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2010-08-24up

やまねこムラだより〜岩手の五反百姓から〜

第五十八回

お米の花が咲くころ

 今日、8月18日は「米の日」です。・・といっても、いまどきそれを知っているのは岩手県の百姓だけかもしれませんね。
 なぜ、8月18日が米の日かというと、お米は八十八回も手間ヒマかけて作られる、といわれていたからです。それに、米という字を分解すれば、八十八になります。そこで、8月18日を、米の日としたわけです。おわかりいただけたでしょうか。

 日本の百姓にとって、お米を作る、ということは単なる農作物をつくるということを超えて、ある種、神聖な食べ物を作る、ということでした。
 いや、百姓だけでなく、すべての日本人にとって、お米は神聖な食べ物だったのです。
 その証拠に、日本の天皇がその年にできた穀物、とくにお米を食べる儀式が「新嘗祭(にいなめさい)」として、いまに引き継がれています。古くは陰暦11月の卯の日に行われたそうですが、近代になってからは11月23日に行われました。それが、現在の「勤労感謝の日」として、国民の祝日になっているわけです。

 江戸時代には大名の格式の高さを、お米の収穫量の石高で表示しました。藩の単なる経済規模をあらわす数字ではありませんでした。
 たとえば、盛岡南部藩は、江戸初期から18世紀末までは10万石の大名でした。ところが盛岡藩ではそれが不満でした。それで19世紀のはじめに、幕閣にたいして大金を使ってロビー活動をし、20万石の大名にしてもらいます。内実は変わらないのに、10万石から20万石の大名になったわけです。それだけ格式があがったので、殿様は鼻高々だったでしょう。当然、格式が上がったぶん出費も増えます。でも藩のお米の収穫量が倍になったわけではない。そこで、藩は百姓たちに過酷な増税を課す。盛岡藩の苛斂誅求に耐えられなくなった百姓たちは、大規模な百姓一揆を起こします。幕末の盛岡南部藩は、一揆の本場といってもいいくらい百姓一揆が多い藩だったのです。盛岡南部藩は、国を傾けても、石高(格式)をあげたかったのです。それが、お米という穀物のもつ力でした。

 さらに、いまにつづくさまざまな祈りの姿、お祭りや民俗芸能をみていくと、そこに「お米」という神聖な食べ物が必ず登場してきます。七福神の大黒様が、打出の小槌をもって米俵の上にのっている絵を見た方も多いでしょう。お米は、日本文化の基層をなす神聖な食べものだったのです。
 わずか百年足らず前までの日本は、お米が、経済の中心であり、富の象徴であり、格式の象徴であり、文化の核として暮らしの中心にあった食べ物だったのです。

 その日本のお米が、いまいくつかの理由で危機に瀕しています。
 まず、米価が下がり続けて、お米だけでは百姓の暮らしが成り立たなくなっていることは、いまさら言うまでもありません。1970年から、日本は米あまりになって、政府は「減反政策」をこの40年、推し進めてきました。かつて日本人が、ひとり1年に1石(150キロ)食べていたお米を、現代人は60キロも食べていません。現代のお米はその神聖性を剥ぎ取られて、one of them の食べ物でしかありません。「お米」が「コメ」になってしまったのです。
 1970年。「お米」が「コメ」になるのと時を同じゅうして、原発が推進されていくのですね。これも、時代の転換の意味合いを示しているような気がします。

 神聖だった食べ物が、ただの食べ物に成り下がって、経済的な視点でしかみられない、ということでは、今年の8月8日から始まったコメの先物取引がそれを象徴しています。「やまねこムラだより」の54回でもふれましたが、いってみればコメがマネーゲームの対象になったのです。投機の対象。金さえあれば、だれでもコメの先物取引に参加できます。数ヶ月後のコメの値段が上がるか下がるか、それにかけるのです。本質的に、丁か半かのバクチと同じだとおもいます。
 田んぼなんか見たこともない人も参加できます。百姓がどんな気持ちで田植えをしたり、肥料をまいたり、水を入れたり、草を刈ったりしているか、知らなくてもいい。むしろ知らないほうがいい。クールに、経済の動向だけを見極めることが大切です。
 「サムサノナツハオロオロアルキ」なんていうことは、投機家にはかったるいことでしょう。「サムサノナツ」なら、冷害不作で米価は上がる。ならば「買い」だ、という判断だけができればいいのですから。

 もうひとつ、お米にとっての受難は「放射能汚染」です。福島第一原発の事故がどれだけの農地をどれだけ汚染したか、おいおいわたしら百姓にもわかってきました。極端な言い方をすれば、東日本全体が、放射能の数値の違いこそあれ、汚染されたということなのです。東日本に住む人々全員が程度の差こそあれ「ヒバクシャ」になったということなのだとおもいます。
 水田の場合、農地放射能が5000ベクレル、というのが汚染度の境目ということです。そこから収穫されるお米は、その汚染の10%を吸収すると計算する係数があって、1キロあたり500ベクレルが「基準値」になる。旧市町村単位でその地のお米の放射能汚染を計り、玄米で1キロ500ベクレル未満なら市場に出荷されるが、500ベクレルを超えるなら、その旧市町村単位で、収穫されたお米が全量廃棄される、とのことです。
 まことに納得のいかない「基準値」ですが、そうしないと出荷できないお米が膨大な数量になって、政府も困るのでしょう。
 政府も困るが、百姓はもっと困るのです。せっかく、それこそ八十八回手間ヒマかけて育てたお米が、見たこともかいだこともない放射能に汚染されている、ということで、全量廃棄処分されるかもしれないのです。いま、9月の稲刈りを前に、自分の育てたお米の放射能数値がどう出るか・・戦々恐々の気分というのが、岩手に限らず東北のコメ農家の偽らざる心情ではないでしょうか。
 わたしも、自分の田んぼのお米がどういう汚染度の数値になるのか(放射能汚染から無傷ではありえないのですから)、心配です。もしも、出荷できないレベルだと判断されても、私は自分の育てたお米はしっかり自分で食べるつもりです。むざむざ廃棄処分にはさせません。それくらい、自分の育てたお米には愛着があるのです。

 8月6日の広島記念日から8月15日の終戦記念日あたりまでは、1年で一番暑い時期でしたね。各地で猛暑日が記録され、熱中症が取りざたされていました。
 じつはそのころに、お米は花を咲かせ、受粉をするのです。豊作になるためには、お米の花が咲くころ、日照と温度と水が必要なのです。ですから宮沢賢治も「サムサノナツハオロオロアル」くことしかできなかったのです。
 お米の花を見たことがない、というかたも多いとおもいますので、今回の添付写真をごらんください。1ミリか2ミリの白くて小さな地味な花です。でも、百姓には、じつに美しく思える花です。
 放射能におびえることなく、コメ相場にも左右されずに、安心して自分の田んぼで、お米を来年も育てたい。これが、いま現在のわたくしの正直な願いなのです。

(2011.8.18)

米粒よりも小さな、白い花。お米の花です。受粉すると、それまで青々としていた田んぼがいっせいに、はけで刷いたように薄茶になっていきます。

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あちこちで耳にする、農家や酪農家の方たちの、悲鳴のような叫び。
安全でおいしい食べ物を、との思いが踏みにじられる、
その一点においてだけでも、やっぱり原発はいらない、と言いたい。
どんなに経済的に「豊か」になっても、
「食」なしには誰も生きていくことはできないのだから…。

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つじむら・ひろおさん
プロフィール

つじむら・ひろお1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

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