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2010-07-06up

やまねこムラだより〜岩手の五反百姓から〜

第五十六回

クラス文集のなかの「陳述書」

 かつての同級生がみんな60歳をこえて、昔がなつかしくなったのでしょうか、40数年ぶりにクラス文集をつくることになりました。呼びかけから半年ほどがたって、詩や俳句やエッセイや近況報告などが載った文集が、世話人から送られてきました。なつかしい名前がならんでいます。「文は人なり」といいますが、40年以上たっても、若いころの友人たちの面影やひととなりが、書いたものに反映されているようでした。
 そのなかに「東京地方裁判所民事11部御中 陳述書」というタイトルの「作品」がありました。「私は〇〇年度都立〇〇高校入学式、〇〇年度同校卒業式に不起立であったことから、戒告、及び減給処分を受けた〇〇〇子と申します」と、「作品」が始まります。

 作者のSさんは、私には印象がうすい方でした。学校時代にも、彼女とは親しく話したことがほとんどなくて「おとなしくて地味だけど、芯はしっかりもののようだ」というのがわたしのSさん像だったのです。そのSさんは「陳述書」の「不起立の理由」という章のなかで、彼女は自分の教師としての経歴をかたります。
 「私の最初の勤務校、都立〇〇工業高校(定時制)は、ほとんどの生徒が地方出身者でした。中学を卒業して上京し、寮に住み工場や会社に勤めていました。朝8時から夕方5時まで働き、その後自転車等で通学してきました。生徒は新米の教員だった私をどうおもっていたのでしょうか」
 おそらくS先生は,生徒の立場になって考えることができる「いい先生」だったのだろうとおもいます。なぜなら32年前に卒業した生徒から定年祝いとして、気に入って買ったという絵が送られてきたというのです。「貧乏だったので、何度も先生の家に押しかけてたくさん食べさせてもらいました。思えば先生のおかげで元気に高校時代を生き抜くことができました」というメッセージを添えて。
 昔ならった先生に、32年たっても恩義を感じているかつての生徒がいる・・。このこと1点だけでも、Sさんの教育者としての姿が浮かんでくるようです。地味な印象だった彼女に、こんなに深い想いと実行力があったとは、学生時代の私にはわかりませんでした。

 Sさんは語ります。
 「教育とは何でしょうか。上から命令を下し人を従わせること、それは教育ともっとも遠いところにあるものです」
 「国家や行政は間違いをおかすことがあります。国家や行政が間違えたとき、その間違いを正そうとすることは、国を愛する者の義務ではないでしょうか」
 「生徒とともに生き、生徒の自立を助けること。そして生徒がよりよく生きることを応援し続けること。これが私たちに課せられた教育ではないでしょうか」
 単なる教育論としてだけでなく、大震災や原発事故にかかわる国家のありかたにも通じるような考え方ではありませんか。
 Sさんのような先生に教わりたかったなあ、と私は自分の高校時代を思い出しました。

 Sさんは定年まであと1年のときに、校長から「構想外」であり勤務校には必要のない人間なので異動するように言われます。その理由の第1は、Sさんが都教委の方針に逆らって君が代斉唱時に不起立だったから。理由の第2は、校長を誹謗中傷したから。その誹謗中傷の中身は「生徒の心に響くことを自分の言葉でいってほしい」とSさんが校長に言ったからだそうです。いつも上の顔色ばかりうかがっていて、自分の言葉でしゃべることをこの校長は放棄していたのでしょうね。
 「上意下達のシステムを作り上げ、貫徹するためには邪魔になる者は抑え込んで当然とするやり方は、そのやり方が間違っていたときはどのような責任をとるのでしょうか。責任のとり方の明らかにされない上意下達システムとは、きわめて危険なものではないでしょうか」
 なにやら原発を推進してきた政治家や学者、電力会社の幹部たちに聞かせたい言葉です。

 今年の5月と6月に最高裁判所は、公立学校のセレモニーで君が代斉唱と起立を求める学校長の職務命令について、合憲判決をだしました。憲法19条の思想・良心の自由には違反しない、という合憲判断でした。大阪府議会も、公立学校の教職員に、君が代の起立斉唱を義務付けた条例を制定したそうです。
 ですが、Sさんはそういう国家や行政の動きに、ある種の胡散臭さをかいでいたのだとおもいます。「お上」がなんでも、国民を都合のよい方向へ動かせる時代がまた来るのではないか、と。自分の父親の戦争体験から、彼女は考えます。
 「19歳の私の思いは、私も次の世代の人たちも、戦争の加害者にも被害者にもなってはならない。そのためには戦争の起こるような状況に加担してはならない、というものでした」「戦争への道の第一歩は何でしょうか。それは権力の<強制>です。それはいつも<教育の場での強制>から始まっていきます」

 Sさんの東京地方裁判所民事11部あて「陳述書」の日付は、2011年2月1日になっています。その裁判の結末がついたのか、まだなのか。その経過や結果についてわたしは知りません。ただ、上記のように最高裁判所の合憲判決から類推すると、Sさんが裁判に勝つことは、なかなかむずかしいのだろうな、とは考えられます。しかし、それでも彼女は裁判を起こして、自分の考えを主張したかったのにちがいありません。
 こんな筋を通せる勇気のある女性が40年前に身近にいたのだな、とわたしは自分の学生時代をふりかえります。あれから、ひとりの教師として、彼女は自分の信じる道を40年歩んできたのだな、とおもいます。しかし、もう40年前にはもどれません。40年前の「人を見る目がなかった」自分を恥ずるばかりです。
 そして岩手の山村から、Sさんの誠実で勇気があり「いい先生」であり続けた人生の、これからもよからんことを祈るだけです。

(2011.7.2)

今年5月22日に生まれた、Q太です。
我が家の9番目のねこなので、Q太となりました。

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「Sさんのような先生に教わりたかった」という辻村さんの言葉に、
思わず大きくうなずいてしまいました。
違う意見を持つ人たちを、強制して排除すること。
それが教育の場にふさわしいとは、どうしても思えないのです。
どん・わんたろうコラム伊藤塾レポート
ぜひあわせてお読みください。

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つじむら・ひろおさん
プロフィール

つじむら・ひろお1948年生まれ。2004年岩手へIターンして、就農。小さな田んぼと畑をあわせて50アールほど耕している五反百姓です。コメ、野菜(50種ぐらい)、雑穀(ソバ、ダイズ、アズキ)、果樹(梅、桜桃、ブルーベリ)、原木シイタケなどを、できる限り無農薬有機肥料栽培で育てています。

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