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森永卓郎の戦争と平和講座:バックナンバーへ

森永卓郎の戦争と平和講座

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福田総理が突然辞任をし、
解散総選挙は11月にもおこなわれると言われています。
日本社会は今、大きな転換点に立っています。
その選択をするのは、私たち国民なのですが、
次なる目指すべき社会について、森永さんは”普通の社会”をあげています。
さて”普通の社会”とは?

“普通の社会”がやってくる

 カネを持つ者が社会の権力者となり、資産を持たない庶民を支配する金融資本主義が、この30年ほど世界で猛威をふるいました。しかし、金融資本主義はいま、断末魔の叫びをあげています。金持ちが投機の対象とした原油や穀物や新興国の株価が、急激に値下がりして、投機資金が消滅しようとしているからです。

 それでは、投機資本が消滅したあと、日本と世界にはどのような社会がやってくるのでしょうか。私は、ごく普通の社会がやってくるのだと考えています。ごく普通の社会というのは、人類が社会を作ったときの本来の姿に立ち返った社会です。

 人類が最初に作った社会は、原始共産制と呼ばれる共同生産・共同分配の社会でした。皆で力を合わせて狩りを行い、皆で力を合わせて農作物を育てます。そして、得られた獲物や農作物は、必要に応じて皆で分け合って食べたのです。人は、一人でも生きていけます。それなのに何故社会を作ったのでしょうか。

 人間が生活していくうえで、一人ではできないことが二つあります。一つは、分業をすること、もう一つは困った時に支えあうことです。分業は現代に至るまで一貫して拡大してきました。様々商品とその商品を生み出す様々な職業が生まれることで、私たちの生活は、どんどん豊かになってきました。ところが、もう一つの支え合いは、進化するどころか、むしろ顧みられなくなってきたのです。金融資本主義のなかでは、カネを握った人が勝者です。ですから、カネを持っている人は、他人を助けようとはしません。他人に施しをすれば、自分自身のカネが減って、権力者の地位から転落してしまうからです。

 そうした愛情とか思いやりのかけらもないカネ持ちたちが、カネで人や会社や政府までをも支配してしまうのが、金融資本主義の特徴です。しかし、それは誤っています。金融資本主義ではお金がお金を生み出すという幻想を掲げていますが、お金はお金を生みません。お金は、モノやサービス作りに携わったみなが生み出したものなのです。例えば、金融資本主義者は、会社は株主のものだと言います。しかし、会社は株主のものではありません。その会社の従業員のものであり、その会社の製品を購入している消費者のものであり、その会社が立地する地域のものであり、その会社に部品を納めている協力企業のものです。だから、カネの論理で、従業員や消費者や地域や協力企業を切り捨ててはいけないのです。  カネが幅をきかす社会は、ろくな社会にならないことを宗教家たちは知っていました。だから、いまでもイスラム教は金貸しが金利をとることを禁じています。中世までは、キリスト教もそうで
した。中世までのキリスト教で、高利貸の地位は、牛馬よりも下だったのです。  人々が互いに助け合い、世の中のためになるモノやサービスを創り出す人が尊敬され、カネをふりかざす人が軽蔑される社会。それが、これから訪れる普通の社会なのです。

金融資本主義が崩壊し、
次なる社会がこんな当たり前の「普通の社会」であれば・・・。
貧困や格差といった問題解決に向けて、
私たち一人ひとりの考え方の「パラダイム転換」が求められる時です。

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