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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。
すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」
相撲大好き少年だった。僕に限らず当時の子供たちは皆、そうだった。小学校、中学校では、休み時間といえば廊下に出て、皆で相撲を取っていた。小学生の時は弱かったし負けてばかりいた。しかし中学生になってからは、努力の甲斐あって、めきめき強くなった。左四つで、右上手を取ると誰にも負けないと思った。中学でも5本の指に入った。
朝早く学校に行って、授業が始まる前に、一時間、稽古する。休み時間にやる。放課後も残ってやる。相撲の稽古の為に学校に行っているようなものだった。
相撲の技は本で覚えた。大相撲の月刊誌があり、父親にねだって毎月、買ってもらった。それに『冒険王』や『おもしろブック』にも技の解説が出ていた。それを見て研究し、さらに創意工夫を重ねて稽古した。「テレビで分かるだろう」と思われるかもしれない。しかし、テレビはまだ無かった。いや、発明され東京では少しあったようだ。しかし僕は秋田県の湯沢市という田舎にいた。だから見たことはない。隣に住んでいたおばあちゃんが、東京の息子に会ってきた。「電気で動く紙芝居」を見たという。「テビレ」と言うんだと興奮して話していた。
大相撲の中継はラジオで聞いていた。頭の中で想像し、そこに土俵を描き、楽しむのだ。高度で知的な娯楽だ。本はあまり読まなかった。ただの相撲少年だった。
大学に入って、合気道を習い、その後、サンボ(ロシアの格闘技)を習い、50歳になって講道館に入門し、柔道を習った。毎月、試合に出て若者と闘い、三段をとった。でも、もつれ合った時、とっさに相撲の小手投げや上手投げが出る。自分でも驚く。体の中にインプットされた記憶が復活するのだろう。体が大きかったら相撲とりになっていただろう。
その大好きな大相撲が危機だ。「横綱の品格」がない朝青龍は解雇してしまえ。いや、引退勧告だ、という声が上がっている。その危機感が追い風になったのか、貴乃花親方が新理事になった。絶対無理だ、と言われてたのに大番狂わせだ。「このままじゃダメだ」という危機感、焦燥感が親方の間にも広がったのだ。今までは記名式で、立会人の前で書くので誰に投票したか分かる。今回は立会人から離れた所で、○をつけるだけだ。投票の改革で貴乃花は勝った。でも、西洋式の投票・多数決で決めるなんて情けない。「国技」だと言うのなら、「国民投票」したらいい。そうしたら貴乃花は一挙に理事長だ。国民投票が無理なら、土俵上で決着をつけたらいい。元相撲とりなんだから、相撲をとって結果を出したらいい。ここでも貴乃花は優勝、そして理事長だ。
さて、朝青龍だ。ナショナリズムと絡めて批判する人がいる。やめてほしい。「横綱としての品格がない」「暴行事件を起こした」。それは事実だ。じゃ、どう処分するか。それだけを考えたらいい。それなのに、「千秋楽で君が代を歌わない」「横綱なのに日本に帰化しない」「優勝パレードでモンゴルの国旗を持っていた」…と。そんなことで批判する人がいる。心の狭い人たちだ。大相撲は別に「国技」ではない。憲法にも法律にも書いてない。日本で始まったが、今や世界の大相撲だ。だから、モンゴル人が優勝したら、モンゴル国歌を流したらいい。そうすると、「君が代」は永遠に聞かれないかもしれない。でも悔しかったら日本人力士が発奮すればいいのだ。
ナショナリズムに起因する反発がある中で朝青龍を「解雇」あるいは「引退勧告」したら、かえって〈国辱事件〉になる。日本はそんなに偏狭な、排外主義の国なのかと思われてしまう。前に、病気で休場中にモンゴルでサッカーをした、として処分されたことがある。あの時は二場所出場停止処分だった。残酷だと思った。力のあり余る横綱を本場所に出さない。ファンだって怒るし、休場させられた朝青龍も体がなまる。もうダメかと思った。でも不屈の闘志で復活した。
さて、今回の暴行事件だ。一般人を殴って怪我をさせたという。示談が成立したようだし、これはよかったと思う。本来なら、相撲協会が、示談に臨み、たとえ1億出してでも横綱救済に努力すべきだ。それでもダメで逮捕されるのなら、それは仕方ない。ただ、帰ってきたら「厳しく」迎えたらいい。解雇や引退勧告ではなく、迎えるのだ。これだけ力のある横綱はいない。しかも、ヒール(悪役)だ。客だって来る。追い出す手はない。「厳罰付き」で迎え入れたらいい。つまり横綱降格だ。そんな規定はないなら、作ればいい。大相撲の危機なんだ。この程度のことはやったらいい。「大関に落としてもすぐに上がってくる」という批判があるのなら、思い切って十両にしてもいい。あるいは幕下に落として、他の力士の「付け人」から体験させてもいい。そんな屈辱的処分には我慢できないと言えば、引退させたらいい。究極の選択だ。
そうしたら相撲人気も回復する。朝青龍も「再チャレンジ」の中で、〈品格〉も生まれるだろう。
それにしても、本場所中に泥酔し、一般人を殴り、それを覚えてないと言う。それほど酔っ払い、朝まで飲んでいて、相撲には勝つのだ。そして優勝した。大したものだ。これだけ天才的な力を持った横綱を手放してはならない。
それに、外では「品格」を持って、頭を低くし、取材記者には気を遣って優しく語り、どんな時にも笑顔でいて、どんなことを聞かれても怒らない。そんな「絶対紳士」であれという。しかし、土俵に上ったら、獣のように猛々しく闘え、という。無理な話だ。土俵でジャンケンをするのではない。生か死か、闘うのだ。土俵を降りたって猛々しい気持ちがあって当然だ。
昔だって、こういう「荒らぶる横綱」はいたんだ。事件も起こしていた。でも、揉み消していたのだ。「お相撲さんは命をかけて闘っている。酔って暴れる位、仕方ない」と温かく見守っていたのだ。それに、写真週刊誌も、テレビのワイドショーもなかった。スポーツ新聞もなかった。だから、できたのかもしれない。
横綱ではないが、力道山は力士をやめてプロレスラーになり、国民的英雄になった。それでも、よく「タクシーの運転手を殴った」と新聞記事に出ていた。事件にはなったが、逮捕もされなかったようだ。又、不世出の大横綱・双葉山は、辞めた後、ある新興宗教に入り、そこが警察と揉めた時、大立ち回りを演じている。警察官を相手に千切っては投げ、千切っては投げだ。これは社会的大事件だから揉み消せなかった。でも事件が収拾してからは相撲協会の理事長になっている。つまり、今回の朝青龍ていどのこと、あるいはそれ以上のことはいくらでもあったのだ。でも、「時代が違う」というのならば、横綱降格処分にしたらいい。
ともかく、実力のある横綱を相撲以外のことで引きずり落とすのは反対だ。又、政治家だって、実力のある大政治家を書類の記載ミスやダーティな噂だけで追放するのは国家の損失だ。そう、小沢一郎のことだ。アメリカ、中国、北朝鮮、ロシア…と、したたかな国を相手に外交史、政治をするとき、こちらもダーティであろうと、小沢のように、したたかな人間が必要なのだ。このままでは、金も女も、噂もない、クリーンな、しかし政治家としての実力もない人間ばかりになってしまう。そして、テレビの討論やバラエティに出て、ただ喋っているだけだ。これではダメだろう。相撲も政治も、実力ある「悪役」が必要なのだ。
【追記】
2月4日、朝青龍が引退を発表した。残念だ。モンゴルからの中継で、「なぜ、辞めなくちゃいけないのだ!」と、子どもが怒っていた。「残念だ」と白鵬は泣いていた。ダメだな大相撲も。未来はないよ。モンゴル、ロシアの力士が中心になって大相撲を脱退し、新しい相撲団体を作ったらいい。
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朝青龍には1日、協会から無期限の「謹慎処分」が。
一方、小沢民主党幹事長は、「立件された場合には幹事長辞任」を示唆したとも。
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