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鈴木邦男の愛国問答:バックナンバーへ

鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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「自殺」について考える

 キリスト教では、自殺は罪だ。我々人間は勝手に生まれ、勝手に生きているのではない。創造主(神)によって作られたのだ。だから勝手に死ぬことは許されない。他の宗教も大体が自殺を罪としている。
 しかし日本では罪ではない。追いつめられた人間の「最後の権利」だ。いや、「最後の自由」かもしれない。自分の潔白を証明する為に自殺する人もいる。責任をとって自殺する人もいる。又、切腹という厳かな儀式もあった。称賛された自殺もある。国を憂えて自殺すれば、「自決」と呼ばれ(少なくともその同志たちからは)絶賛され、支持された。戦争中ならば、国家が自殺を奨励した。「特攻」や「玉砕」も本当は自殺だ。でも、今でもそれを自殺と呼べないような<圧力>を感じる。「いや、自殺ではない。国のための尊い犠牲だ」と言われるだろう。そうすると、いつ又、同じことになるかもしれない。
 あの時と同じように、「やむをえない」状況になったら、「やむをえない」戦争をするかもしれない。そして、「特攻」や「玉砕」の名のもとに、自殺が国家的規模で奨励されるかもしれない。そんな時代よりは、今のように「年間3万人」の自殺に驚き、必死に対策を考えてる時代の方が、まだましなのか。
 いや、ましという表現はおかしい。だが戦争中は「自殺」は権力によって強制された。自殺が義務だった。こうなると自殺ではなく、他殺だ。国家は最大のテロリストだ。

 デュルケームの『自殺論』(中公文庫)は自殺を考える上での名著だ。膨大な例や統計を示しながら自殺について論じる。その時代、その国家の<紐帯>が強固な時は自殺は少ない。紐帯が緩くなると自殺は激増するという。「紐帯が強固な時」というのは、失業がなく、福祉が行き届き、皆が他人のことを思いやり…と、そういう社会(国家)だと思った。しかし、そういう何不自由のない社会では、かえって自殺が増える。そうではなく、国と国民が一体になって共通の目標に立ち向かっている時だという。そう、例えば戦争をしている時だ。国と国民の「紐帯」は強固だ。強靭なゴム紐のように、逃げようと思っても、すぐに引き戻される。パチンと殺され、国家の手で祀られ、国家と一体になる。  
 そんな戦争の時は、自殺者はほとんどいない。限りなく、ゼロに近い。個人的理由で、自殺する自由はない。いや、自殺しようと思っても、「親切な国家」は、そのチャンスを先んじて与えてくれる。<戦死>になれば、皆から称賛される。

デュルケームの『自殺論』(中公文庫) デュルケームの『自殺論』(中公文庫)
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 最近、「死刑になりたいから人を殺した」と口走る犯罪者がいる。自殺する勇気がないので国家に殺してもらうのだ、という。ひどい理屈だ。でも、戦争は、そんな自殺志願者の希望も叶えてくれる。彼らにとっても、希望は戦争だ。

 ここで一つの方法を思い出した。逆療法だ。逆療法とは、全く治療にはならないと思われる反対のことをやって、結果的に病気を治すのだ。寒気がするときに、服を沢山着て暖かくするのではなく、ハダカになって水風呂に飛び込む。そんなことだ。これで治る人もいるが、万人に効くとは言えない。僕も薦めない。薦めないが、こんな方法もあり、効いた人もいる、と紹介するだけだ。ちょっと無責任な気もするが、でも衝撃的な方法だし、ここまで言われたら自殺する気力もなくなると思う。だから、もしかしたら最も有効な防止策かもしれない。
 それは、芥川龍之介の「わが子等に」と題した遺書だ。3人の息子にあてて書いた8条からなる遺書だ。1条は「人生は死に至る戦ひなることを忘るべからず」で、以下、箇条書きに書かれている。驚いたのは第4条だ。
 「四、若しこの人生の戦ひに破れし時には汝等の父の如く自殺せよ。但し汝等の父の如く他に不幸を及ぼすを避けよ」

 学生時代、初めてこれを読んだ時は、何て残酷な親かと思った。これは酷い。狂気だと思った。その後、何回も何回も読む機会があった。そして、案外とこれは「有効な薬」だったのかもしれないと思った。
 芥川は自殺の動機を「ぼんやりとした不安」だと書いている。芥川の実母は発狂している。自分もいつかそうなるのではと怯えていた。友人の作家・宇野浩二が発狂し、自分もそうなると思った。その不安で自殺した。
 残された子供にしたら、さらに不安になり怯えるだろう。これは芥川家の血だと思うかもしれない。おばあさんは発狂し、お父さんも精神に異常を来たして自殺した。じゃ、自分たちもいつか…と。芥川はそれを心配した。子供たちが、そう考えないように必死に予防策を考えた。

 「わが子等に」の第7条には、「汝等は皆汝等の父の如く神経質なるを免れざるべし。殊にその事実に注意せよ」と書いている。しかし、注意したところで、どうなるものでもない。これから大きくなり、いつも祖母、父のことを考える。自分たちの血や運命を考える。苦しい時、挫折した時、自殺は甘美な誘惑となるだろう。普通の父親なら、「強く生きろ」「絶対に自殺するな」「父のような弱い人間になるな」と書くだろう。僕だってそう書く。でも、「ダメだ、ダメだ」といくら書いても防止策にはならない。そこは天才文学者・芥川のことだ。一計を案じ、「無理しなくていいよ。苦しい時には自殺しなよ」と書いたのだ。子供だって、「何を馬鹿なことを」「冷酷な父だ」と思ったはずだ。でも、「イザとなれば自殺があるや」と思ったせいだろう、たくましく生きた。3人とも自殺していない。さらに、その子供たちも自殺していない。たぶん、自殺の誘惑にかられた人もいなかっただろう。偉大な芥川の偉大な逆療法だ。自殺によって自殺を防止したのだ。

 昔、武士には切腹という厳かな死の儀式があった。斬首などの刑罰と違い、名誉ある死でもあった。武士はいつ切腹するかもしれない。死すべき時に死なないのは卑怯であり、武士道に反すると教えられた。しかし、その時になって、急に練習しても出来るものではない。だから武士は子供のうちから「切腹の作法」を教わった。今から考えると残酷な話だ。子供のうちから家庭で自殺の方法を教えているのだ。外に出ても、「武士はいざというときには切腹するものだ」と語りあう。自殺礼賛社会だ。それによって「個人的な理由による自殺」はなくなったかもしれないが…。芥川の遺書を読んで、そんなことを感じた。幼い子供たちに「切腹の作法」を教えているようだ。
 芥川の子供は3人。長男比呂志(当時7才)、二男多加志(当時4才)、三男也寸志(当時2才)だ。俳優、音楽家などになって大成している。この子供たちも、孫たちも、誰一人として自殺していない。「逆療法」によって芥川は家族、子孫を守り抜いたのだ。立派だ。
 だが、そうとばかりも言えない。芥川の自殺は社会的事件となり、後追い自殺も相次いだからだ。最近読んだ梯久美子の『昭和の遺言』(文春新書)に出ていた。芥川は自分の一族は守ったが、関係のない他人の命は奪った。誤爆によって第三者を殺したようなものだ。それに、一時はやった『完全自殺マニュアル』を連想する人もいるだろう。だから芥川の「逆療法」は決して薦めない。
 じゃ、どうすると言われても困る。どんな問題だってすぐに解答は出ない。だから難問だし、だからそれを考える人生も価値がある。皆も迷い、悩んだらいいだろう。

昭和の遺書―55人の魂の記録 昭和の遺書―55人の魂の記録 (文春新書)
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1998年以来、日本の年間自殺者数は11年連続で3万人以上。
そこには、明らかに何らかの「ゆがみ」が映し出されているようにも思えます。
だからといって、国家との<紐帯>が強いほうがいい、はずもない。
皆さんは、どう考えますか?

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