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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。
すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」
「お前はゴーギャンだ。俺はゴッホだ」と言われた。右翼運動の大先輩・野村秋介さんに言われたのだ。「お前は苦しみから逃げている。俺は苦しみを引き受けている」。そういう意味らしい。確かに当たっている部分はある。
僕はテロを否定した。又、「右翼なんて怖くない。安全な市民運動を目指すべきだ」と言った。新聞の取材で答えた。さらに、「僕らの運動なんてUFO研究会のようなものだ」と言った。野村さんは、この発言にカチンときた。「俺は、UFO研究会の為に命を賭けてるんじゃない!」と、叱られた。
これは僕の失言だった。謝った。僕としては、右翼の「怖いイメージ」を変えようと思った。自由で、明るい集団だ。僕のやっている一水会だって、ちょっとした興味や好奇心で会合に出る人もいる。それでいい。オタクの人もいる。まあ、UFO研究会のつもりで、のぞいてくれてもいい。そう言ったのだ。
でも僕の言い方が悪かった。舌足らずだった。野村さんは河野一郎邸焼討事件で12年、経団連事件で6年、刑務所に入っている。命を賭けて運動をやってきた。日本の運命を、危機を、自分の問題として引き受け、考え、闘ってきた。苦しみから逃げない。国を救う為のテロなら時には必要だ。そう言ってきた。
苦しみから逃れ、現実を直視せずに、マスコミに出ては、「大衆受け」する無責任な放言をしている。…と僕は思われたようだ。
ゴッホは、全ての苦しみを引き受け、自らの耳を切り落とし、最後は自殺した。逃げなかった。しかし、親友だったはずのゴーギャンは、苦しみから逃れ、タヒチに去り、裸の女たちとたわむれ、そこに楽園を見た。そして、裸の女だけを描き続けた。
野村さんは俳人であり、芸術家だった。絵も好きだった。だから、こんな話もしたのだ。かつて、「朝日ジャーナル」に出て、下村満子編集長の取材を受けた時、「俺を右翼と呼ぶな」と言っていた。「右翼は差別用語だ」とも言う。「自分は日本の中道を行っている。右の翼しか持たない鳥ではない」と言う。これはその通りだ。「では、どう呼んだらいいんですか」と編集長は聞く。「日本浪漫派と呼んでくれ」と言っていた。でも、これは定着しなかった。相変わらず僕らは「右翼」のままだ。
「日本」をつけないで、「浪漫派」だけでいい。あるいは、「印象派」でもいい。「じゃ、俺達は野獣派だ」と言ってた右翼の人がいた。その通り、右翼は野獣だ。これはいい。一水会は、同じ名前の絵の団体もあるし、そのままで絵の集団だ。僕は、ほんわかとしたコローの絵が好きだから、バルビゾン派と名乗ろうか。とも思った。
さて、ゴーギャンだ。南国に逃げたと思われたゴーギャンにも苦しみはある。むしろ、人類の「普遍的な苦しみ」と直面したからこそ、あの選択をしたのだ。
松本清張の名作に『駅路』という短編がある。何度もテレビ化され、つい最近もやっていた。銀行員として平凡な生活を送り、終点に近い駅路で、突如、失踪した男がいる。これだけ耐え忍んだ人生だ、もうこの辺で解放してもらいたい、と思ったのだ。そして妻や子供を残して、失踪する。愛人と共に…。そして事件に巻き込まれる。
この失踪男だが、ゴーギャンが好きなんだ。男を追う刑事が、その心境に同情する。
男の家の応接間にはゴーギャンの絵がかかっていた。ゴーギャンは第二の人生を求めて、タヒチに行く。長い人生の苦労の末に、人生の終点に近い駅路で、人は誰でも自分の<自由>を取り戻したいと思う。この銀行員も、定年まで勤めあげ、家庭への責任を果たした。やれやれ、あとの人生はおれの勝手にさせてくれという気持ちだ。それを感じ、この刑事は若い同僚刑事にこう言うのだ。
<僕は、あの絵からゴーガンという人の伝記を調べてみたがね、ゴーガンはこんなことを言っている。
人間というものは、自分の子供の犠牲になるものだ。そして、その子供たちはまた自分の子供の犠牲になる。このばかげたことは永遠につづくらしい。もしも、すべての人間が子供の犠牲になるとしたら、一体、誰が美しい芸術や美しい人生を創造するだろうか、とね。言葉はよく憶えてないが、こういう意味だった>
では、誰が芸術をつくるのか! この言葉は僕にとっても衝撃的だった。ものを書くのも、演説することも、そして運動家として生きるのも表現であり、広い意味での「芸術」だ。子供のことを考え、その子供の犠牲になっていたら、永遠に芸術は生まれない。ゴーギャンの苦悩に、その決断に感動した。学生時代にこの小説を読んだ。そして、この言葉は、その後の僕の人生を呪縛した。子供の犠牲にはなりたくない、と思った。「誰が、芸術をつくるのか」。この言葉のために、結婚も出来なかった。ゴーギャンの言葉に打ちのめされ、支配された一生だった。
さて、国会議員の世襲の話だ。世襲を制限しようという動きが与野党で急に起こっている。たぶん、法律も出来るだろう。と言っても、「子供は議員になるな」とは言えない。職業選択の自由を奪うことになる。憲法違反だ。だから、せめて同一選挙区での世襲はやめさせよう。という事になるのだろう。他の選挙区から出るのならいい、というのだ。
なぜ、これほど世襲が増えたのか。それは、議員の仕事が、「うま味」があるからだ。さらに名誉も得られる。だから子供に継がせようとする。子供がかわいいからだ。でも、「子供に楽をさせたい」「人々に尊敬される地位につけたい」と思うのは、初めから「子供の犠牲」になっているのだ。
明治の元勲たちを見てみろ。ほとんど誰も、子供に継がせてない。子供は子供だ。自分で生きろ。俺は手をかさん。子供の犠牲にはならん、という厳しい覚悟があったのだ。又、いつ暗殺されるかもしれない。だから、政治家は決して「安定」した「おいしい」仕事ではなかった。
それにしても、小泉純一郎には失望したな。自民党をぶち壊し、改革に命をかけた。そして惜しまれながら政界引退だ。やるだけはやった。あとはイタリアかオーストリアに移住して、毎日、好きなオペラを聞いてるよ。と言うのかと思った。ところが、息子を後継者にした。がっかりだ。お前も子供の犠牲になったのか。では一体、誰が芸術をつくるのか。誰が政治の改革をやるのか!
子供に余計な苦労をさせたくない、とは多くの人が持つ親心。
けれどそこからは、本当の「芸術」も「改革」も生まれない?
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