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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。
すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」
なぜ、猫は本を読まないのだろう。勉強しないのだろう。向上心が全くない。寝てばっかりいる。「寝る子」から「猫」と呼ばれるようになったが、寝てる赤ん坊のままだ。精神は赤ん坊のままで、本も読まないし、学校にも行かない。体だけは大きくなるが、食って寝てるだけだ。一生、不登校だ。こんなことでいいのか。
猫は四千年以上前から地球上に住んできた。いや、もっと前かもしれない。日本よりも古い。エジプトやペルシャや、ともかくあの辺に生まれた。その後、インドや中国に渡った。シルクロードをテクテクと歩いて来たのだろう。そして、中国から日本に来た。「仏典の守り神」として来たのだ。仏教が日本に伝えられた時、夥しい数の仏典も来た。船で、長い日数をかけてくる。大敵はネズミだ。貴い仏典を食い荒らされたらたまらない。それで、猫が仏典の守り神として同乗したのだ。
仏典というのは、仏教の教えを書いたものだ。法だ。法律のようなものだ。人間の生き方を書いたものだ。だから法律と同じだ。いや、法律よりも上だな。憲法のようなものだ。
日本で初めての憲法は聖徳太子の「17条憲法」だ。これは、「和を以て貴しとなす」といった、人間生活の基本的なことが書かれている。憲法は、ゴチャゴチャといろいろ書かなくていい。この「17条」さえあればいいのだ。今の憲法はアメリカに押しつけられたものだから、廃棄して、明治憲法(大日本帝国憲法)に戻せ、という人がいる。これこそが、日本人が作った自主憲法だ。ここに戻し、これを改めたらいい。そういうのだ。でも、それ以前に、「17条憲法」がある。いっそのこと、「17条憲法」まで戻したらいい。憲法の原点に立ち返るのだ。17条だけで十分だ。シンプル・ライフだ。エコだ。
今の憲法を廃棄して、17条憲法に戻る。そうすると仏法民主主義だ。どっかの政党のようだな。ともかく、地球にやさしいエコ憲法になる。条文は少ないんだし、仏典を日本に持ってきたのは猫だ。憲法をつくった大恩人だ。だから、このエコ憲法は、別名「ネコ憲法」とも呼ばれる。
日本を変える大きな仕事をした猫だ。日本をチェンジした猫だ。それなのに、昔の偉業、大活躍を忘れて、寝てばかりいる。困ったもんだ。深夜に時々、円く輪になって会議をしているが、ロクなことを話していない。あそこに行けばエサをくれるオバさんがいる。いや、こっちの方がうまいエサがある。…と、食べ物の話ばかりだ。これでいいのか。使命を自覚しろよ、と言いたい。
映画「地球が静止する日」を見た。忘年会の帰り、新宿の野良猫に導かれて映画館に入ったら、この映画だった。猫の中でも、このままではダメだ、という憂国の猫がいたのだ。映画を見て驚いた。猫に対する強烈なメッセージなのだ。
宇宙人が地球にやってくる。こんな話は今まで一杯ある。でも、別に侵略する為に来るのではない。「地球を守る」為に来るのだ。いい事だ。ありがたい話だ。では誰から守るのか。他の星の侵略者だろう。そう思っていたら違う。「地球を守る」。これはいい。でも、「人類からこの地球を守る」のだ。ゲッと思った。これだけ水と緑に恵まれた星はない。これだけ生物種が多い星もない。それなのに、たった一握りの人類のために、この地球は汚染され、破壊されようとしている。この地球を守らなくてはならない。そう言うのだ。
「そうだ、そうだ。この地球を守れ!」と叫んでしまった。「人類なんか、地球から叩き落としてしまえ!」と思った。そうしたら、美しい地球は守れる。でも、人類は「お願い!滅ぼさないで」と哀願する。「反省するよ。行動を改めるよ!」と誓う。「いつもそう言って来た。でも、人類は全く反省しない」と宇宙人。確かに宇宙人の言うとおりだ。やっちまえ、きれいに掃除しちゃえよ、と叫んだ。(その続きは、映画館で見て下さい)
もし人類だけが吹き飛ばされたらどうなる。野生の王国になる。植物や魚の世界はいいが、陸上の動物の間に、まだルールが出来ていない。でも最終的には旧約聖書の「イザヤ書」にあるように、ヒツジとライオンとは互いに仲よく草を食って遊んでいるような状態になるだろう。「理想は常に過去にある」と誰かが言っていた。ユートピアは大昔の記憶への回帰だ。「天地創造」という映画があった。「ノアの方舟」が出ていた。堕落し切った人類を滅ぼそうと神は大洪水を起こす。地球を救う為に、人類を流し去ろうとしたのだ。象や虎や羊など、生物を一対ずつ残す。それだけでいいのだが、例外的にノアの家族だけを残す。
でも動物のエサはどうしたのだろう。舟の中で、虎やライオンは羊や牛や兎を食うだろう。そうしたら種は半減する。でも、そんな「内ゲバ」はしない。猛獣たちも草を食べ、(羊や牛の)ミルクを飲んで満足している。「ライオンも虎も猫と同じですから」と説明されていた。そうか、同じ猫族か。猫も元々は肉食だった。しかし、人間と共生するようになって、肉食をやめた。人間の与えるエサが、食生活を変えた。いや、それ以上に、人間を見て、肉食をやめたのだ。戦争を繰り返し、同じ種同士で殺し合うのは人間だけだ。こんな愚かな種を見て、自分たちだけでも「内ゲバ」をやめようと決意したのだ。人類がいなくなり、猫が地球の主権者になると、他の猫族を説得し、肉食をやめる。「内ゲバ」をやめる。「旧約聖書」の世界に戻る。
そうなのだ。人類亡きあとの地球は、一時的に猫の独裁になる。全ての動物の完全平等、自主独立が達成できるまでの、ほんの短期間だが。「プロレタリア独裁」のようなものだ。猫は、先代の支配者(=人類)の近くにいて、その統治を見てきたし、その欠点も分かる。又、猫は最も遵法精神があるからだ。何せ、日本に仏典を運び、「17条憲法」を作ったのだ。だから、人類亡きあとのユートピアで、新しいルール(=憲法)を作るのに最もふさわしいのは彼らだ。「Yes, we can!」と言うニャン。
新しい統治権を狙って、犬もライバルになるが、ちょっと無理だ。なんせ鎖につながれていた時代が長い。奴隷根性が抜けない。犬のリンカーンが現れて奴隷解放宣言をする必要がある。それに、奴隷のくせに、犬は遵法精神がない。それは現在の「飼い主」の心理にも反映している。犬を飼ってる人はみな、「改憲派」だ。猫を飼ってる人は皆、「護憲派」だ。これは一人の例外もない。「マガジン9条」の連載陣も全員が「ネコ派」だ。雨宮処凛さんをはじめ、全員がそうだ。
次の主役は猫なのだ。「自民党から民主党へ」などという小さな政権交替などはどうでもいい。「人類から猫へ」の巨大な政権交代が始まる。そして、9条の精神を生かした「非戦地球憲法」が生まれる。「マガジン9条」の悲願も達成される。
ゴロゴロ、のんびり寝てばかりの猫たちに、実はそんな使命があったとは!?
犬派が「改憲派」で猫派は「護憲派」なのなら、
鈴木さんはいったいどっちなんだろう?と考えてしまったり…。
ちなみに、文中に登場した映画「地球が静止する日」は、
全国各地でロードショー上映中です。
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