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鈴木邦男の愛国問答

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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男さんの連載コラム。
改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて展開する「愛国問答」。隔週連載です。

すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」

『失敗の愛国心』(理論社)

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第14回「無菌」環境の危うさ

 なぜ花粉症の人がこれだけ増えたのか。アレルギーの人が増えたのか。それは、社会が汚れ、不潔になったからではない。逆に、きれいになり、清潔になったからだ。それで免疫がなくなったのだ。
 ほんの少し前。人間が自然と接し、家畜と接していた頃は、こうしたアレルギーはなかった。あまりきれいではない環境の中で、黴菌もあったが、それが体内に入っても闘い、守る力があり、免疫をつくった。「エンドトキシン」というものが大活躍し、アレルギーを防いだ。それが多く発生し、体を守る。NHKスペシャルでやっていた。
 このエンドトキシンはどこにあるか。家畜小屋に一番多くある。特に牛だ。それも、牛のフンだ。だから、子供時代に牛小屋に出入りしていた人は絶対にアレルギーにならないという。小さいうちから牛小屋に入り、牛の面倒をみている子供は、ずっと健康だ。
 牛ではないが、イエス・キリストは馬小屋で生まれた。家畜小屋だから同じだ。だからキリストは花粉症にならなかった。アレルギーにもならなかった。日本の聖徳太子も馬小屋で生まれた。それで厩戸皇子(うまやどのおうじ)という。花粉症にもアレルギーにもならなかった。とても聡明で、人々の訴えをよく聞いた。同時に十人の訴えを聞いて、即座に問題を処理したという。馬小屋で生まれたからだ。だから「17条憲法」も作った。「和を以て尊しとなし」で有名だ。これこそ「平和憲法」だ。今の日本国憲法第9条のルーツだ。
 イエス・キリストも、争いの空しさを説き、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」と教えた。ミッションスクール出身の僕は、以後この教えを守ってきた。おかげで(左右両翼から)左右の頬を殴られ続け、こんなに腫れ上がってしまった。
 そこで結論だ。子供は全部、馬小屋で生めばいい。牛小屋ならもっといい。そうしたら、一生、花粉症にもアレルギーにもならない。又、「平和の人」になる。オギャー!と生まれた時から、全国民が「9条」信奉者になる。「マガジン9条」人になる。なんだ。簡単なことではないか。

 NHKスペシャルでは、さらにこう言っていた。田舎の子供より都会の子供の方がアレルギーになりやすい。又、第一子が一番アレルギーになりやすい。大事に、清潔に育てられるからだ。第二子、第三子、第四子となると、アレルギーはなくなる。汚れた環境に慣れ、免疫が出来るのだ。
 人間の体は少々汚いところでも十分に生きていける。そんな構造になっている。エンドトキシンが頑張ってくれるからだ。ところが、社会が清潔になると、黴菌と闘う力も弱まる。そうすると、<敵>が攻めてこないのに何かの変化で、誤爆したり、自爆したりする。それがアレルギーだ。いわば、今の保守派論壇のようだ。社会主義・共産主義という「大きな敵」がいなくなった。大きな敵に備えて、巨大な敵愾心を育ててきたのに、そのマグマの行き場所がない。それで内部に敵を求める。「女帝論者は反日だ」「自虐史観は反日だ」…と。日本を愛し、それ故に反省する所は反省する、そんな当たり前のことを言っただけで、「反日だ!」「自虐だ!」と言われる。
 いかんな、無菌状態で育った人間たちは、と思う。純粋培養された人々だ。この人たちこそが最も偏狭で、過激だ。

 昔、佐藤早苗の『誰も書かなかった韓国』という本を読んだ。北朝鮮から逃げてきた人のことを韓国では褒めたたえ、英雄扱いだ。でも、子供は疑問に思う。「北は悪魔の国でしょう。逃げてきた人も悪魔でしょう。なぜ歓迎するの?」と。「悪魔の国」というのはタテマエだ。本当は同じ民族だし、一緒になりたい。そう子供に言ってみても分からない。タテマエの「政治スローガン」で育てられ、純粋培養されたからだ。日本の保守派も同じだ。60年代の「政治の季節」も知らない。左翼と殴り合ったこともない。今は左翼の脅威もない。そして、左翼のいない「安全」な、「無菌」の世界にいて、言うことだけはどんどん過激になる。ヒステリックになる。困ったものだ。

 僕は、汚れた世界に生きてきた。だから、幸せにもアレルギーにはならない。子供時代は東北の田舎で、自然の中で生きてきた。近くの川で真っ裸で泳いでいた。冬は、家でスキーを履き、そのままポンと雪の積もった畠に降りていた。犬や七面鳥は放し飼いで、よく追いかけられ、食いつかれていた。道路は馬車が走り、馬糞がいたる所にあった。トイレも汚かった。蚊も多かった。人間は蚊帳に避難して、やっと眠れた。
 あんな時代がいいとは思わない。でも、その中で免疫も生まれ、強くなった。僕は子供の時、亀を飼ってたし、鳩も飼っていた。小学校に連れて行ったら、校庭の木に止まって、僕が帰るまでジッと待っていた。かわいいと思った。
 中学、高校では、変な奴、悪い奴が一杯いて、いじめられた。大学に入ったら、全共闘の連中に殴られた。社会に出て、右翼になったら、とんでもなく酷い人、常識外れの人たちが一杯いた。生まれてからずーっと、「動物」と一緒だった。又、人間の格好をした「獣」たちと多く会ってきた。牛小屋で生活していたのと同じだ。そのおかげで、アレルギーにならなかった。本当に感謝している。

 いや、僕自身が「獣」だったのだろう。左翼にはよく殴られたが、殴りもした。襲撃もした。先日、早大の同級生と会った。右翼学生だ。「あの頃はよく乱闘したな」と思い出話になった。「左翼なんか皆殺しにしろ!」なんて叫んでいた。右翼学生の方が圧倒的に少数だから、こっちの方が抹殺されるところだった。でも、闘っていた。力が余って、左翼だけでなく、一般学生も殴っていた。誤爆だ。「僕は左翼じゃありません。ノンポリです」と抗議されると、「ウルセー、左翼的な顔をしているのが悪い」と言って、又、殴る。「ほら、左向いた」と言って又、殴る。ひどい連中だ。獣だ。僕も、そんな獣の一人だったようだ(その時だけは、イエス様の教えを忘れていた。いかんな)。しかし、それで通用した。いい時代だった。
 学内では殴ろうと何しようと、自由だ。まるでユートピアだ。最近は暴れることが出来ない。「いい人」ぶって、猫をかぶっているから辛い。そのストレスでアレルギーになりそうだ。たまには虎になってみたい。昔の野生に戻りたい。

家畜小屋で生まれた人が平和主義者になる…のかどうかはわかりませんが、
人間の体も精神も、少しくらいの汚れに触れたほうが強くなる、もののよう。
「清潔」を追い求めるのもほどほどに?

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