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自他共に認める日本一の愛国者、鈴木邦男が「マガジン9条」の連載コラムに登場です。
5回目にして、すでにファンが急増中。コラムに加え、改憲、護憲、右翼、左翼の枠を飛び越えて、
会いたい人に会いにいき、「愛国問答」を展開する予定です。隔週連載です。
すずき くにお 1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ」
産経新聞の「斬」というコラムで富岡幸一郎氏(文芸評論家)が、1ヶ月ほど前に、北方領土のことを書いていた。ロシアのジリノフスキー(自由民主党党首)が木村三浩氏(一水会代表)に対し「24兆で四島全部を返す」と発言したという。金で島を買い取ることに国民は抵抗があるかもしれないが、でも考えていい提案だ、と富岡氏は言う。
ロシアの自由民主党は、極右政党と呼ばれている。ロシアの政界では力はあるが、大統領ではないから、彼が「約束」してもすぐ実行できるわけではない。だが、ロシアは以前は「領土問題は存在しない」と言っていたのだから大きな前進だ。
なぜ、彼が日本の「新右翼」の木村氏に言ったかだが、二人は親友だ。木村氏はイラクには24回行き、アラブ、インド、フランス、ロシア、北朝鮮・・・と世界を飛び回っている。民族自立に基づき、アメリカ流のグローバリズムに反対している。ジリノフスキーも木村氏の考えに共感。何度も会っている。選挙の時は、木村氏はわざわざ応援に行き、何日も列車の旅を共にしている。フランスのルペン(国民戦線党首)とも二人は仲がいい。 モスクワでは毎年、「世界右翼会議」を開き、木村氏も参加している。木村氏によれば、これは「愛国者インターナショナル」だという。
そうした二人の信頼関係があればこその「北方領土返還発言」だ。「でも、ちょっと吹っかけたんだと思いますよ。10年ほど前、エリツィンは、橋本首相に四島を返そうと正式に言ったんですよ」と木村氏は言う。本当かよ、と思った。でもニュースになってない。「その時は、一島一兆と言ったらしいです」。じゃ、4島で4兆か。安い買い物だ。その時に買っておけばよかった。
10年たって、ジリノフスキーは24兆だ。6倍だ。僕も木村氏に紹介され、ジリノフスキーには会った。一度はフランスで「国民戦線30周年大会」の時に。一度は、彼がワールドカップでロシアを応援に来日した時だ。この時は、新宿のしゃぶしゃぶ屋で会った。「北方領土を返して下さいよ」と言ったら、「それはサッカーで決めよう」と言う。ワールドカップのロシアと日本戦が行われる直前だった。「日本が4対0で勝ったら、4島全部を返そう」と言う。それはいい。「2対0で勝ったら、まず二島だけ返還だ」。いいですね。ぜひお願いしますと言った。ところが、「日本が負けたら北海道ももらう」。ウッと言葉に詰まった。いいですよ、とは言えない。
でも、こうして北方領土問題を自由に話せる雰囲気になってきた。それはいいことだ。先月、プーチン大統領の側近のサルキコフ・コンスタンチンさんが一水会に来て講演してくれた。「両国のためにも北方領土は返した方がいい」と言っていた。これは革命的転換だ。
そして、7月27日(月)の産経新聞を読んで、驚いた。97年にエリツィン大統領は橋本首相に「北方四島、返そう」と約束したという。あの話は本当だったんだと驚いた。ただし、「一島一兆」という数字は出てない。このあと、続報が出るのかもしれない。
産経新聞によるとこうだ。今から11年前の1997年。ボリス・エリツィン大統領が橋本龍太郎首相と会談した際、「あなたの求める島をすべて返そう」といったんは北方四島の全島返還を約束したという。
この衝撃の事実を証言したのは、ロシア人女性ジャーナリストのエレーナ・トレグボワさんだ。彼女はクレムリン番記者をやっており、その後、プーチン政権を批判して勤務先の日刊紙を解雇され、脅迫、いやがらせが続いた。かつての同僚だったアンナ・ポリトコフスカヤさんが06年に射殺された後に亡命を決意し、今年4月に英国への亡命が認められた。だから、これは命がけの証言だ。それだけにリアリティがある。
でも、北方四島は返ってこなかった。これはエリツィンの発言に驚いたヤストルジェムスキー大統領報道官が、エリツィンの前でひざまずき、「大統領、やめてください。少し待ってください」と翻意を迫ったからだという。
それから11年。かなり雰囲気が変わった。「日本に返してもいい」というロシアの人々も増えている。ジンノフスキーは、過去5度ほど大統領選に出て敗れているが、今は国家院(日本の衆議院)の副議長だし、実力者だ。彼が大統領になれば、すぐに北方四島は返る。すぐに大統領にはなれないにしても、連立与党をつくり、国政を左右する立場にはなるだろう。
米ソ冷戦時代は、日本とロシアは敵国だった。ロシアにしても、「北方領土にアメリカの軍事基地が作られては大変だ」という不安もあった。しかし、今は、自由に領土問題を話し合える。一方、冷戦時代は「反共の同志」だったはずの韓国との関係は急速に冷えている。それも竹島という小さな島をめぐってだ。反日デモが相次いでいる。これはどうしたことだろうか。
新学習指導要領解説書への竹島の記述に韓国側が反撥し、駐日大使に帰国を命じた。また、与党ハンナラ党内では、「対馬も韓国領だ」と発言する政治家まで出た。さらに日韓の自治体レベルの交流事業の中止が相次いでいる。韓国と姉妹都市交流を続ける自治体は全国で7県113市区長村があるが、韓国側から一方的に取り消し通告が来てるという。
韓国もやり過ぎだ。それだけ領土問題は人々をエキセントリックにさせる。民族主義とは極限すれば、「血と土だ」と言われる。それにしても、姉妹都市を初めとした「友好」は全く役に立たなかったのかと唖然とする。日本は国際司法裁判所に提訴しようとしたが、韓国は拒否している。「提訴して、もし日本に都合の悪い判決が出ても、従う」と日本側は「大人の態度」を示していたが、それも無駄だった。日韓両方の政府間、民間の信頼関係が全くなかった証拠だ。いや、今まで苦労して積み上げた「友好」はあったのだが、「領土」の前にはあっけなく崩壊したのだ。
米ソ冷戦時代は、あれほど信頼し、団結していたのに・・・。ソ連・中国などに対抗するために米・韓・台・日は、「反共の同志」として固い絆で結ばれていたはずだった。この時は、領土問題などはあったとしても棚上げだった。領土といった「小さな民族主義」よりは、「反共」という国際連帯の方が大切だったのだ。今でもはっきりと覚えているが、愛国党の赤尾敏さんはこう言っていた。「小さな島の領有問題よりも日韓の友好・団結こそが大切だ」と。でも竹島問題は、いつまでも燻り続ける。そこで赤尾さんは言った。「だったらいっそ、竹島などダイナマイトで爆破して沈めてしまえ!」と。凄いことを言うと思った。こんなことを言える人は他にいない。ナショナリズムというよりも、それを超えた「反共インターナショナリズム」だ。この提案がいいとか悪いとか言うのではない。この頃は領土に関しても自由に言える雰囲気があったということだ。
米ソの冷戦は終わった。イデオロギーの対立は終わり、各国は昔の同盟国との領土問題に悩んでいる。民族主義の牙がモロに出てきた。話し合いを拒否し、問答無用の民族主義を煽る人もいる。危ない状況だ。
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