都心の上空を、飛行機がスカイツリーよりも低い高度で飛ぶようになるかもしれません。2020年のオリンピック・パラリンピック開催までに、年間2000万人の訪日外国人を呼びたいと目標を掲げている日本。国際線を増便するため、羽田空港からの飛行ルートを変更する計画が進んでいます。この計画によると、これまでは海側から離着陸していた飛行機が、都心上空を飛行することになります。安全面での不安を抱え、地元合意が得られないまま計画が進められてもいいのでしょうか? 航空評論を専門とする秀島一生さんにうかがいました。
人口密集地を飛ぶことで、
騒音や落下物、事故の危険性も
編集部 羽田空港からの新しい飛行ルート計画を見ましたが、都心の真上を飛ぶことに驚きました。2020年のオリンピック・パラリンピックも控えて、空港の機能強化を行うとのことですが、なぜわざわざ都心上空を通るのでしょうか?
※国交省の案では、南風時の15時~19時に都心側から飛行機が到着する。
秀島 現在、羽田空港上空は混んでいて、いまの飛行ルートではこれ以上の増便ができません。リスクが大きいということでこれまで避けていた都心上空の低空飛行を解禁して、発着回数を1時間に80回から90回に増やすという案が国交省から出ているのです。安全性を後回しにして、経済優先で考えられたルートですよ。
編集部 空港近くでは飛行高度も低くなります。計画によれば、渋谷区や新宿区の上空ではスカイツリーよりも低い位置を飛行機が飛ぶことになりますね。人や建物が密集している都心を低空飛行することによって、具体的にはどんな問題が考えられるのでしょうか?
秀島 大きくは、3つの問題が挙げられます。それは、①騒音 ②落下物 ③飛行トラブルです。
まず騒音ですが、羽田空港に近い地域での離着陸の騒音がありますね。その音は、60~80デシベルになると言われています。これが2分に1機の頻度である。曇天のときは音が反響して、さらに大きく、また聞こえる範囲も広くなります。
編集部 60~80デシベルというと、幹線道路脇くらいの音ですよね。
秀島 落下物の危険性もあります。飛行機は着陸に備えて、高度400~500mのところで脚を出します。新しい飛行ルートでいうと、ちょうど渋谷・恵比寿あたり。このときに落下物の危険性があります。
たとえば、成田空港が開港して以来、実質的な落下物被害の報告があったのは約150件。年間だと3~4件あります。いまの飛行ルートだと下はほぼ海や畑なので、報告されていない落下物はもっとあるはずです。千葉県の森田知事が、国交省に警告を発しているほどです。
編集部 落下物というと?
秀島 主には氷です。飛行機はマイナス40〜50度のところから降りるので、次第に溶けていき、脚を出す動作によって刺激されて翼状の氷が落下します。高いところから落下するので、小さい塊でも人に当たれば殺傷能力がありますし、車に落ちれば穴だってあきますよ。それから、ゴム片やボルトのような部品もたまには落下します。ひどい場合には、パネルのような機体の一部がはがれて落ちたことも過去にはあります。海の上なら人にあたるようなことはないですが、人や建物が密集する都心に落ちたら被害がでるでしょう。ましてや、飛行機が新ルートで上空を飛ぶ時間帯が、15時から19時となっていますから、街の中も混み合う時間です。
編集部 渋谷の人混みの上に部品が落ちて来たら…、想像するだけでゾッとします。
秀島 そして、最も大きなリスクは、飛行トラブルです。僕はチーフパーサーとして30年乗務していましたが、飛行機のトラブルというのは、必ず起こるものなのです。飛行機には平均300万点以上の部品が使われていて、すぐに非常事態にはなることは多くないものの、どこかしらのトラブルは日常的にあります。なかでも、いちばん重大事故が起きるリスクが高いのが、「クリティカル11ミニッツ(魔の11分)」です。離陸後3分、着陸前8分に、エンジントラブルや火災、墜落など重大事故が集中しています。新ルートでは、この「魔の11分」の時間帯に、まさに都心上空を飛んでいることになっています。
編集部 都心に、もしジャンボジェット機が墜落したら…。まるでパニック映画のシーンを思い浮かべてしまいますが。
秀島 墜落事故の例は世界中にありますよ。重大事故がしょっちゅう起きるわけではないけれど、可能性は高い。ですから、これほどの住宅密集地帯や都心近くに国際空港を作るなんておかしいのです。かつてはそうだった香港の空港も、いまは郊外に移転しました。「危ない道は通らない」というのが、普通に考えたら当たり前じゃないでしょうか。
編集部 日本は世界の流れからも逆行しているんですね。そして、国交省は「安全だから問題ない」と言う。またどこかで聞いたセリフですが、信用できないですね。
「安全」さえもコストカット。
蔓延する経済優先の考え方
編集部 そもそも規制緩和によって、飛行機が起こす事故のリスクが以前よりも高くなっているとも聞きます。
秀島 そうです。飛行機もタクシーや長距離バスと同じように、規制緩和して低運賃で競争するのがいいんだと言われてきました。かつては航空会社が自分たちで整備していたのが、子会社や孫会社、さらに委託先に任せてもよくなった。整備の外注化です。整備点検の間隔や項目もゆるくなっています。乗客が搭乗中の給油も、前は火災の危険があるからダメだったけど、いまはできるようになりました。なぜかというと、たとえばLCC(※)は一日6回もの離着陸をすることで儲けをだしているのに、整備や点検に毎回30分でも40分でも時間をとられてしまうと困るからです。儲けるためには整備を甘くしようとなった。安全基準はどんどん下がっています。
※「LCC」(Low Cost Carrier)従来の航空会社で行われていたサービスの簡素化と、運行の効率化によるコスト削減で、低価格での運航サービスを提供する「格安航空会社」。
編集部 たくさん飛ばすためには、慎重な安全点検をしている時間がもったいないということでしょうか…。
秀島 利用者は格安運賃になればうれしいでしょう。でも、それを理由に安全性がないがしろにされていることは知らされていないし、あまり問題にされていない。「多少の安全基準をゆるめても、効率のためなら仕方ない」。そういう考え方が、もう社会全体に蔓延しちゃっている。その延長線上にあるのが、今回の都心上空の低空飛行ルートですよ。
編集部 行き過ぎた価格競争やそのためのコストカットが原因とみられる長距離バスの事故が相次ぎましたが、飛行機でも事故が起きやすい状況になっているのでしょうか…。
秀島 運賃を下げるために、ブランケットや飲み物を有料にするくらいならいいですよ。でも、安全対策までコストカットされていることを誰も知らないで乗っている。しかし飛行機ですからね、墜落なんかしたら、それは大きな被害を出すことになる。それでいいんでしょうか。厳重に安全のための規制があった昔でさえ事故は起きていたのに、なおさら大丈夫なのかなと不安です。正直言って、僕はいまの飛行機に乗るのは怖いです。
羽田の国際線増便は、
ただの「痛み止め」でしかない。
編集部 しかし、都心上空の低空飛行という無理をしてまで、羽田空港で国際線を増便するのはなぜでしょうか。
秀島 羽田のほうが都心に近いからなのでしょうが、それなら成田空港の交通の便をよくすればいい。そもそも、日本が航空政策の全体計画をちゃんと描いてこなかったことに問題があります。かつて国際線を成田空港へと移し、成田は国際線、羽田は国内線がメインになった。そのときに、羽田と成田、都心間を結ぶ交通整備をきちんとやればよかったのに、やらなかった。マレーシア、韓国、シンガポールなどアジアの他国では、空港の利便性を高めて機能強化を図ってきているのに、日本は取り残されてしまった。そのためにアメリカや欧州からアジアへの入り口となる空港としての役割を、他国にとられている状態です。2020年が近づいてあわてて羽田空港の国際線を増便しても根本的な解決にならない。ただの痛み止めみたいなものです。
編集部 羽田空港に機能が集中することにもなりますね。
秀島 それもとても危険です。3・11のときに仙台空港が使えなくなったのを覚えていますか。台風が来たって、羽田からの欠航が相次ぎます。内陸にある大きな空港は成田しかありません。自然災害が起きたとき、羽田に国内線・国際線が集中していては対応できないかもしれない。世界をみれば、パリではオルリーとシャルルドゴール、NYではJFKとラガーディア、ニューアークと大都市では複数の空港が機能しています。
編集部 どういった解決策が考えられるのでしょうか
秀島 政府はリニア新幹線に30兆円かけると言っていますよね。完成を8年も前倒ししようとしている。それをやるくらいなら、羽田と成田にストレスフリーな直行新幹線をつくればいい。すでに香港ではやっています。市街地に隣接していた啓徳国際空港をやめて、郊外に新しくチェクラップコク国際空港をつくりました。市街地からは離れたけれど、空港から香港まではエアポート・エクスプレスがあり25分弱で移動できます。アジアのハブ空港としても評判がいい。どうして同じことが日本ではできないのでしょうか。危険をおかして都心上空を低空飛行するより、成田を国際空港として充実させて、羽田空港と都心を結ぶ交通整備をすればいい。そのほうがよっぽどシンプルだし、簡単です。
特定地域の問題でなく、東京全体の
そして社会全体の問題として捉えよう
編集部 以前、羽田空港がもっと市街地に近い場所にあったときは、大田区で騒音や墜落の問題に対して住民運動が起こりましたよね。
秀島 そうです。1973年に大田区議会が「安全と快適な生活を確保できない限り空港は撤去する」という決議をしたことを受けて、国交省は羽田空港を沖合へと移転させたという経緯があります。この新しい飛行ルートは、そのときの大田区との約束を一方的に破る形にもなっています。
編集部 ひどいですね。私たちの生活に直撃する大問題だと思うのですが、市民はこの問題にどう対峙していけばいいでしょうか? 大田区・品川区・江戸川区では反対運動が、豊島区・練馬区・板橋区では地域の住民による勉強会が開かれていると聞きます。
秀島 僕も勉強会の講師として呼ばれることが多くなりました。いつも会場に入りきらないほどの人たちが集まり、みなさんものすごく真剣に話を聞いています。しかしながら心配しているのは、特定の地域の人たちだけの問題にされてしまうことです。飛行ルートといっても、電車の線路と違ってラインのうえをまっすぐに飛行機が飛ぶわけじゃない。気象条件や風向きによっても変わってきます。まして墜落の危機は、都内全域にあると言ってもいいわけです。また、神奈川県川崎市の臨海地域にある石油コンビナート上空を離陸後すぐに通るルート案もあり、川崎市の市民からも危険ではないかと声が上がっています。
編集部 この問題は、ちゃんと知りさえすれば、「危ないよね。ちょっとおかしいよね」とみんながわかることだと思うのですが。実際には、あまりにも知られていないようにも感じています。反対の声が大きくなれば、案が取り下げられる可能性もありますよね。
秀島 国交省の住民への説明会もまだまだ不十分だと思いますので、住民側から要望を出すことも必要でしょう。またこれは効率や経済を安全性より優先させていいのかという問いでもあります。社会全体で考えていかないといけない問題です。
(構成・写真/マガジン9)
取材中、何度も「これは飛行ルートにあたる地域だけの問題ではない」と強調されていた秀島さん。便利さや効率性と、「安全」は天秤にかけることができるのものなのか--これは私たちの社会全体のあり方や価値観にかかわる問題です。議論を広げるためにも、多くの方に知ってほしいと思います。この問題についてわかりやすくまとめたちらしを「羽田空港増便問題を考える会」が作成しています。こちらよりダウンロードできます。