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今週のキイ

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 教育基本法の改定がもはや時間の問題だとされている。
 こんな大事なことが、拙速で行われていいのだろうか。これも含めて

教育問題

 とにかくメチャクチャである。
 いわゆるタウンミーティングのことだ。文部科学省が内閣府と組んで「やらせ質問」を仕掛け、政府与党に都合のいい方向へ議論を誘導しようとした事実が、次々に明らかになっている。
 当初は、「仕掛けはしたが、実際にはできなかった」と釈明していたが、その後、続々と事実が判明。
 なんと、現在までに174ヵ所で行ったタウンミーティングのうち、半数以上で「やらせ」があったことが分かったのだ。もちろんこれは、文部科学省や内閣府が調べたもの。実際にはもっと多くの会場で「やらせ」が行われていた可能性が指摘されている。
 つまり、このイベント自体がほとんど税金を使った政府のプロモーション活動にすぎなかったわけだ。税金を使って、国民を洗脳しようとする。これでは、政府が発表する様々な情報など、まず疑ってかかるしかない。
 特に「教育問題」にからむタウンミーティングである場合、その罪は大きい。子どもに、ウソをついてもいい、と教えているようなものなのだから。

 そんな中で、いじめを原因とした自殺が止まらない。まるで連鎖反応のように、それは全国各地に広がりつつある。
 さらに、いじめの存在を隠していた、などとして批判を浴びていた校長や、例の履修科目問題を苦にした校長などが、相次いで自殺した。

 子どもに「命の重さ」を教えるべき立場の人たちが、まるでその言葉を裏切るように自らの命を絶ってしまう。子どもたちは、命の重さを理解できないままに成長していかざるを得ない。それが、今度は幼児虐待などへつながっていく。命の重さを体得できずに育った子どもは、大人になっても命を軽く扱うようになってしまうのだ。
 どこかで歯止めをかけなければいけない。

 すぐにでもできる対策は、たくさんあるはずだ。
 私なりに考えた対策を、以下に列挙してみる。

 


 1. キッズ・テレフォンの開設

 とにかく一刻も早く、24時間対応の電話窓口を開設するべきだ。それも、各都道府県、各都市、各地方にそれなりの人数と人材を投入して、ひたすら子どもたちの悩みに対応していかなければならない。
 現在も「いのちの電話」などの活動はあるが、いかんせん、あまりに人数も資金も貧弱だ。ここに、予算をできるだけ潤沢に投入して、ただただ子どもたちの悩みにつきあう。
 聞くだけでいいのだ。大人は、ただ相槌をうちながら聞くだけでいい。話すことで救われるということは、私たち大人でさえも幾度となく体験してきたことではないか。
 話すこと、聞くことの大事さを、大人はもう忘れかけている。しかし、子どもたちは、話を真剣に聞いてくれる大人が確かに存在するというそれだけで、かなり救われるのだ。
 各地で、数百人〜数千人規模のラインを設置して、24時間対応できるような組織にすれば、それだけで何人の子どもの命が救えるかしれない。つまらぬことに予算をつけている場合ではない。「少子高齢化」に拍車をかけるような自殺を防ぐには、どれほどのお金を注ぎこんだとしても、惜しくはないはずだ。
 「教育基本法改定」などに血道をあげているときではない。事は急を要する。子どもの命も救えずに国会が「教育基本法」の採決だ、阻止だと騒いでいるのを見ると、本気で腹が立つ。
 一つでもいい。何か子どもの自殺を防ぐ具体案を示せ。教育関係の法律を作るというのなら、「キッズ・ライン法」などの制定が急務ではないか。


 2. 徹底した情報公開

 あまりに非公開の情報が多すぎる。
 最近の学校関係の事件にしたところで、大本の情報を学校側や教育委員会は把握しているにもかかわらず、メディアにつつかれるまでまったくといっていいほど隠したままだった。
 特に文部科学省など、ここ10年近く、「いじめによる自殺者数はゼロ」と発表し続けてきた。なぜこんなことが起こるのか。すべては上意下達のシステムのせいだ。
 隠すことで保身を図る。出世しか頭になく、叱責を異常なほど恐れるという教育現場の体質を、いったい誰が作ったのか。
 まずすべてを公開するところからしか、話は始まらない。失敗の原因をきちんと把握し、それを公開することで事態の深刻さをすべての人が共有することが、解決の第一歩である。
 学校も教育委員会もそして文部科学省も、隠してはいけない。


 3. 悩める大人へのカウンセリング

 ある程度の規模の企業には、社員の3〜5%ほどの「心を病む人」が必ず存在するという。例えば1千人の従業員を擁する企業には、30人〜50人ほどの「心を病む人」がいるということになる。もちろん、もっと多い企業もあり、その人数は年々増加傾向にある。
 パワハラやセクハラ、いじめや嫌がらせが、大人の世界でも増えているのだ。
 この事態への対策も急務だ。あの自殺を選んだ校長たちや、岐阜県などで裏金問題などを苦にした幹部の自殺、なぜか、最高幹部ではなくその命令を受ける立場にいた人たちがいつも命を絶つ。死ぬことはない。
 この人たちを救わねばならない。カウンセリングが必要なのだ。ここにも多くの予算を割くべきだ。
 企業はいまや、人員削減などで相当な利益を上げている。しかし、その利益は従業員の給与には向かわず、競争力をつける、という理由でさらなる内部留保に廻される。
 政府はさらに、国際競争力拡大のためと称して、企業法人税の引き下げさえ検討し始めた。これでは、従業員の生活は少しも改善されない。住宅ローンや消費者金融(サラ金)で借金を抱えたサラリーマンたちは、追い詰められていく。
(消費者ローンのグレー金利にこだわって、サラ金の味方をしたのは、自民党の金融族だったという事実を、しっかりと覚えておいてほしい)。
 心ある弁護士たちの活躍ばかりに頼っていてはいけない。
 企業負担のカウンセリング・ルームや、地方自治体の相談窓口を、すぐにでも大拡充、大充実させなければならない。
「国力」とは「人材」であることを、どうも政府は忘れている。


 4. 教育委員会の改革

 かつて教育委員は公選制であった。すなわち、選挙で教育委員たちは選ばれていたのだ。ところが、選挙では、教育について熱く語る人が革新系に多く、その人たちが当選していったという過去がある。
 当然、それを嫌がった政府やかつての文部省はこれに猛反発、やがて教育委員会公選制は、東京都中野区の「準公選制」(選挙をして、それで選ばれた人をそのまま任命するという制度)を最後に消えてしまったのだ。
 この復活をも考えるべきではないか。いまや、「革新系」などという言葉は死語に近い。もはや政府自民党もそんなことを恐れてはいまい。
 広く公募して、人材を集めたほうがいい。
 現在の教育委員がほとんど地方の名誉職化している、とはよく言われることだ。教員経験者や、県庁からの天下り、地方名士(医師や住職、企業社長など)の肩書きに成り下がっている。それでは、何も見なかったことにし、何も聞かなかったことにする、というのも当然だ。
 公選制を導入し、きちんと教育についての意見を聞いたうえで投票する。ダメならばリコールする。こうすれば、いつも上(文科省や政府)を見てばかりいた教育委員たちも、地元住民の意見や批判、提案に耳を傾けざるを得なくなるだろう。どうか。



 いずれも(4.を除けば)今すぐにでも実行可能な対策であるはず。何度でも繰りかえすけれど、これまで何の問題もなかった「教育基本法」を改定することなど、この教育崩壊の惨状の中でどんな意味があるのか。
 とにかく、上に書いたような対策を(他にもっと優れた案があればそれでもいい)早急に実現してもらいたい。
 どんどん具体的な対策案を出し合って、とにかく現状を打破していくことが求められている。

 おまけのキイだが、やはりこれだけは書いておく。

核保有論議のまやかし


 中川自民党政調会長、どうしても止まらない。
 「核保有について議論することがなぜいけないのか。表現の自由を認めないのか」。一見もっともに聞こえるこの理屈。中川氏が繰り返すなら、ここでも何度でも批判しておかなければならない。

 なぜ「まやかし」か?
 「議論」というのは、違う意見が少なくとも二つ以上存在するから成立する。当たり前だ。こんな、論理学の初歩が、中川氏にはまるで分かっていない。

 例えば、「私の意見はAである」「いや俺はBという意見を持っている」「よし、どちらが正しいか議論しよう」
 少なくとも、こういう状況がなければ、議論は始まらないはず。
 ところが中川氏は(盟友の麻生氏も)「私は非核三原則を支持しているが」と、言い訳がましく必ず言う。
 ところが現在、政府内部(与党内部と言い換えてもいい)に「いや、非核三原則は認めない」という意見は皆無なのだ。(さすがに怖くて、心では思っていても言い出せないでいるのか)。

 つまり、非核三原則支持(仮に意見Aとする)以外の論者は、少なくとも政治家と称する人たちの中には現在のところ(あの西村真吾議員を除いては)見当たらない。
 中川氏は「この議論は政治的に必要だ」と繰り返している。ならば、政治家同士で議論を闘わせなければならないはずだ。
 ところが、政治家の中に「核は保有するべきだ」(仮に意見Bとする)と言う者がいない。
 もうお分かりだろう。現在、内心はともかく、意見Bを表明している政治家はいない。意見A しか現実には存在していないのだ。

 意見Aしか存在しない状況で、意見Bを含めて議論しよう、と言ってもどういう議論が成立するのか。するわけがない。
 「私はAだ」「俺もAだ」----。
 この後、どんな議論が成立するというのか。
 にもかかわらず、中川氏が「核保有について是か非か議論しよう」と繰り返すのは、自分が意見B、つまり「核保有論者」であることを自ら認めているようなものではないか。でなければ、これほどこの議論に固執するわけが分からない。


 繰り返す。
 中川氏が「議論しよう」といい続けるのは、自分が非核三原則とは異なる意見を持っているからに他ならない。彼の意見がAであるならば、はなから議論は成立しないのだから。彼の意見はBなのである。

 こんな人を、自民党要職に置いたまま、その彼の論法を支持し続ける安倍首相もまた、やはり意見B「核保有論者」としか思えない。そうではないと言うのならば、早々に中川氏を政調会長から外すべきだし、麻生外相も罷免するべきである。

 
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