「非核三原則」とは、次の3カ条をいう。
「核を、持たず、作らず、持ち込ませず」
これは、世界唯一の被爆国である私たちの国の、絶対に譲れぬ悲願としての国是、政策であった。したがって、「憲法改正」を党是とする自民党でさえ、この三原則を否定するようなことは、これまでには一度もなかったのである。
もっとも、この中の「持ち込ませず」については、政府自民党はこれまでずっと誤魔化し答弁に終始してきた。
なぜなら、日本の米軍基地(特に沖縄米軍基地)では核の存在疑惑が常に指摘されてきたのだが、政府は一貫して「アメリカがあるとは言っていないのだから、ない」と否定し続けてきたという経緯があるからだ。
(「アメリカがあると言うのだから、ある」と言って、イラクにおける大量破壊兵器の存在を検証もなしに認め、アメリカの言いなりになって、自衛隊の海外派兵に踏み切った際の小泉前首相のロジックも、まさにこれだった)
それでも、日本自体が核を持つ、ということについては、さすがの自民党政府も一度として言及したことはなかったのだ。
だが今回、外務大臣という内閣のもっとも主要な外交閣僚が「核武装」についての発言を繰り返している。
妙なことに、その際の発言には、必ず前提として「私は、決して核武装論者ではないが」とか「私は、非核三原則は守るべきだと思っているが」などというエクスキューズ(言い訳)がくっついている。これは、麻生大臣も中川会長も同じだ。
(かつて、同様の発言をした自民党の方々も、ほとんど同じ前置き付きだった。はっきりと「核武装すべき」と言い切ったのは、あの民主党除名の西村慎吾議員ぐらいのものか)
なんだか背筋がむず痒い。
理屈に筋が通らないから、気持ち悪いのだ。
「核武装は認めず、非核三原則を守り抜く」というのであれば、いったいどんな「核武装についての議論」が必要になるというのか。
「どうすればアジア非核地帯を構築できるのか」とか「北朝鮮の核を、どうすれば放棄させられるのか」などという議論ならば分かる。いまや、そういう議論が本当に必要な時期にきているのだ。
さらに議論を進めて「世界の核拡散をどう防ぐのか」「核軍縮に日本はどのような役割をはたすべきか」という方向へいくべきだろう。 |