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今週のキイ

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 みなさん、Coccoという歌手を知っていますよね。沖縄出身の、いや「出身」という言葉は正しくない。彼女はいまも沖縄に住んで、沖縄で歌を作り、沖縄の海を守ろうという「沖縄ゴミゼロ大作戦」というボランティア活動をしている「沖縄の歌手」です。

 そのCoccoが、毎日新聞に『想い事』という詩を寄稿していました。読みながら、考えました。

 そこで、今週のキイ・ポイントは
 
沖縄
 です。

 6月23日は「沖縄・慰霊の日」です。この日が、第2次大戦中、日本国内で行われた唯一の地上戦「沖縄戦」が終結した日が、1945年6月23日だとされているからです。

 この日付にはかなりの異論もあります。

 「その後も、散発的に戦いは続いていた。最終的にすべての戦闘が終わったのは、同年9月以降であった」という意見です。だから、「この『6月23日説』は、組織的戦闘の終結のみを意味し、山中に逃れた鉄血勤皇隊の少年兵たちなどや、他の兵たちの戦いを無視した論であり、それは日本政府の一面的な見解でしかない」という批判もある意味、正しいと思います。

 しかし、ここでそれを検証するつもりはありません。近づいてきた「沖縄の日」を、この機会に少し考えてみたいと思ったのです。 

毎日新聞6月5日付より
(とても長いので、全体の5分の1ほどの抜粋です。興味のある方は、ぜひ、この日の毎日新聞11面「暮らし豊かに 役立つページ」をご覧ください)。

想い事 
Cocco 
6月23日、黙祷


<前略>
平和の礎に刻まれた名前を
全て読み終えられる日と、
世界中から戦争が無くなる日と、
どちらが先だろう、
おびただしい数なんだよ。
そこに並ぶ名前たちは
果てしない数なんだ。
毎年、新たに加えられる
戦没者のための余白が
もう準備されている。
終わりが無い。

<中略>
あからさまな平和主義者なんて
夢見がちな馬鹿野郎だと
想ってた。
例えば、ジョン・レノン。
ごめんね。
世界は未だ変わっちゃいない。
“Imagine”なんて
中学生でとっくに習ったのに。
あなたに見せられる
立派な現実なんてどこにも無い。

こんな情けない時にも
歌は生まれて来るんだから
歌うたいなんて所詮バカだ。
終わりの無い歌。
馬鹿は馬鹿なりに
それを承知で
今日も歌を歌う。

人はまだ、祈るんだ。

 自分の居るべき場所をきちんと探しあてた人の、とても潔い想いが伝わってきます。現実と向き合いつつ、主義主張への懐疑を抱きつつ、それでも、いやそれだからこそ、戦争への憎しみや哀しみを歌う。
沖縄で生まれ、沖縄で暮らし、一度は沖縄を出て、そして沖縄に戻ったこの人のミュージシャンとしての想いは、ここに行き着いた----。

人はまだ、祈るんだ。

確かに、祈ることで報われることも報われないこともあるはずです。しかし、祈るという行為が、決して無駄ではなく、そして自分のためだけではなく、いつか伝わる、誰だかわからない人に、必ず伝わる。
そう想うことで、祈り続けていける。
まだ、まだ、まだ----、何度でも何度でも繰り返し。

平和の礎に刻まれた名前を
全て読み終えられる日と
世界中から戦争が無くなる日と、
どちらが先だろう。

「平和の礎」を前にしての、深い絶望。どんなに話しても、歌っても、戦争の現実は、世界からなくならない。平和を歌うことも話すことも、あのシジフォスの神話のように、徒労の行為かもしれません。
しかし、その絶望を超えて、歌う。歌うことで祈る。そのような日として沖縄の「慰霊の日」はあるべきなのでしょう。
絶望を、少しでも超えようとする。
私たちも、その想いを忘れてはいけません。


しかし、同じ沖縄でも、それを政治の道具にして恥じない人たちもまた、残念ながら存在する。

 (東京新聞6月5日付)
米軍再編費負担
「本当に出せる?」
米国防長官が質問攻め
額賀長官「心配は掛けぬ」
 
 
 【シンガポール=時事】
 四日の日米防衛首脳会談で、額賀福志郎防衛庁長官が先に在日米軍再編の政府方針を閣議決定したことや今後、必要な予算措置や法整備を講じる方針を説明したのに対し、ラムズフェルド国防長官が合意内容を本当に担保できるか何度も問いただす場面があった。
 会談でラムズフェルド長官は「特別の予算措置を考えているのか」「それは別枠予算か」と矢継ぎ早に質問。さらに「日本の防衛費は国内総生産(GDP)の1%程度にすぎないが、沖縄海兵隊のグアム移転費を出せるのか」とただした。
 これに対し、額賀長官は現行の中期防衛力整備計画(二〇〇五〜〇九年度)に米軍再編費が含まれていないことを指摘し、「防衛予算と別枠で計上することも考えていく。特別の法的措置を検討している」と説明。最後は「ラムズフェルド長官に心配を掛けることのないよう最大限努力する」と約束し、ラムズフェルド長官もようやく「了解した」と答えた。

この記事を読んで腹の立たない人がいたら、その人はどうかしています。他国の大臣に日本の予算や法的措置にまで口出しされて、それに反論するどころか、「心配掛けないよう努力する」などと答えて「おう、よしよし。いい子だいい子だ」とばかりに、頭を撫で撫でされている、といった雰囲気。
 いったいどこが、小泉さんたちの言う「対等な日米関係、日米同盟」なのでしょう。
 ただただ沖縄をダシにして、アメリカからの覚えをめでたくして頂いて、自らの政治的立場の強化に使おうとしているだけ、としか見えません。

 だから、あの辺野古への基地移転にしても、沖縄現地の要望などまるで無視して、結局、日本政府と沖縄県はウヤムヤのうちに誰にも理解できないような「具体的な合意内容のない合意」をしてしまったのです。あの「合意文書」には、辺野古という文字が見当たらないのです。

 沖縄を政治家の食い物にしてはいけない。ほんとうにそう思うのです。
 
 最近よく、「なめられるな」という言葉を聞きます。
 なんだかヌラリとして語感のよくない言葉で、私は嫌いです。しかし、言葉の本来の意味で、これほど馬鹿にされている2国間関係もないのではないでしょうか。それこそ「なめられている」。

 前原前民主党代表が完全に支持を失ったのは、例の「偽メール事件」の際、小泉さんにポンポンと肩をたたかれて、まるで子ども扱いされて「まあ、きみもがんばりなさい」というようなことを言われている場面がテレビで何度も流されたからだ、といわれています。
 同じことが、この会談でも再現されているではありませんか。
 しかし、その小泉さんにしたところで、他人を子ども扱いに出来る資格なんかないのです。

 憶えていませんか?
 ブッシュ大統領に肩を抱かれて嬉しそうに笑っている小泉さんの顔を。
 目下の者が目上の人の肩を抱く、なんてことは、日本に限らず世界中でそんな習慣はありません。それを小泉&ブッシュは、何度も私たちに、いや、世界中に見せ付けたではありませんか。
 首相が子ども扱いにされて嬉しがっていたのです。子分の額賀さんが子ども扱いされても当然だと思ったとしても、まあ仕方ないのかもしれません。

 同じ沖縄を考えながら、これほど違った感想を書かざるをえない。
 これもまた、避けて通れない現実なのです。

(今週のキイ選定委員会)
 
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