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5月16日に、俳優の田村高廣さんが脳梗塞のため、77歳で亡くなりました。私のとても好きな、渋くてかっこいい俳優さんでした。特に、勝新太郎と組んだ『兵隊やくざ』でのインテリ落伍兵は本当にはまり役でした。
その追悼の意味もあったのでしょう、5月29日にNHK・BSで田村さん主演の映画『泥の河』(小栗康平監督、宮本輝原作)がオンエアされました。モノクロ画面の中の、汚れた深い河の小さな波が、心にじわりと沁み込んでくるような、そんな映画です。
敗戦の傷がまだ癒えない日本の、大阪の片隅に生きる少年や少女、そして彼らを取り巻く大人たちの、切ない出会いと別れの物語。こんなまとめ方は、あまりこの映画の本質を語ったことにはなりませんが、懐かしい風に吹かれたような気持ちにさせてくれる映画です。
(個人的に言わせてもらえば、「日本映画マイ・ベストテン」の上位に常にランクされる作品です)。
あんな人たちが生きていた街やそのときの風の揺らぎ、さざなみの河、手を振りながら去ってゆく友だちを追いかけて走り続ける少年-----。
それらを懐かしいと思い、彼らへの切ない感情が、言葉の持つ本来の意味での「故郷やそこに住む人々をいつくしむ想い」なのだと思います。もし「愛国心」というのであれば、私の考える「愛国心」とはそういうものです。
しかし、このところ騒がれ続けている「愛国心」は、こんな緩やかな感情とは対極にあって、猛々しく鋭く、そして何よりも自国以外の国々を排斥する非寛容なもののように思えて仕方ないのです。
そこで、「今週のキイ・ワード」は
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自民公明の与党は、4月13日までに「教育基本法改正案」の与党合意案をまとめました。
要するに、「現行の教育基本法は物足りないから、言い足りないところをキチンと補うべき」というのが、その言い分です。で、何が「言い足りない」のかといえば、当然のことながら「愛国心」です。
与党案の「愛国心」は、こんなふうです。
第一章 教育の目的及び理念
【第二条の五】
伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。
まあ、ここだけを読めばその文意には取りたてて目くじらを立てるほどのこともない、と思われる方もいらっしゃることでしょう。
「愛国心」という言葉そのものに抵抗感が強かった公明党に自民党が配慮し、妥協した結果の産物なのだといわれています。事実、その通りでしょう。「心」がなくなり「態度」がそれに取って代わっています。
ならば、妥協してまでもこの一文を入れ込みたかった自民党の真意とは何か、が問題になるでしょう。
もちろん、それは「愛国心の強制」にあるのです。「そんなの考えすぎだよ」という批判があることは承知の上で断言しますが、自民党政権が続いていく限り、「愛国心の強制」は必ず姿を現すはずです。
その悪しき例があります。
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5月27日朝日新聞より
「愛国心」の評価 行き過ぎ指導へ 文科相
小坂文部科学相は26日、愛国心をランク付けする通知表が一部の小学校で使用されていることについて「内心を直接的に評価してはならないと学校長会議や教育長会議で伝達している。通知表に行き過ぎがあれば、学校長の理解を求める努力をしていきたい」と述べ、通知表を通じた強制にならないよう指導する考えを明らかにした。〈以下略〉
この記事をどう考えますか?
これはすでに、一部ではあれ、「愛国心」の評価、すなわち「強制」が始まっていることを意味します。
評価でいい点数を取るには、生徒は先生に「愛国心」を分かる形で表現しなければなりません。すなわち、それは心をある一定の形に押し込めることになります。心を評価する、なんてことがいったい誰に出来るでしょうか。評価する側の教師だって、頭を抱えてしまうに違いない。
さらに、私たちの国で暮らす定住外国人の子どもたちは、どうすればいいのでしょう。彼らの「愛国心」、どこにさまようことになるのでしょう。
特に在日コリアンの子どもたちなど、今でさえ、何かことが起きるたびに攻撃の対象にされているというのに、「自分たちの愛国心」などと言い出そうものなら、どんなイジメや襲撃を受けるか分からない、というような事態になることは容易に想像できます。
それがまた排外主義に火をつける。
悪循環の繰り返しだとは思いませんか?
「しかし、文部科学大臣が、強制にならないように指導する、と言っているじゃないか。大臣の言っていることを信用しないのか」というお叱りも出てきます。
信用しません。
次の記事をお読みください。 |
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5月27日毎日新聞より
日の丸・君が代
東京都 延べ345人処分
03年以来 教員「異常な締め付け」
東京都教育庁は26日、今年の入学式の「君が代」斉唱時に起立しなかったとして、都立高校の教職員5人を減給や戒告などの懲戒処分にした。03年10月に日の丸掲揚や君が代の起立斉唱の徹底を求めて同庁が通達を出して以来、処分を受けた教職員は今回も含めて延べ345人に上る。これほどの処分数は他の自治体では例がない。処分を受けた教員らは「異常な締め付け」と反発している。
同庁によると、今回の処分内容は減給10分の1(1ヵ月)3人、戒告2人。いずれも「国歌斉唱時に国旗に向かって起立し斉唱する」との校長の職務命令に従わなかったことが処分理由。同庁は今春の卒業式後にも33人の停職や減給などの処分をしている。
文部科学省によると、04年度に日の丸・君が代に絡んで懲戒処分を受けた教職員は全国で125人。このうち東京都の教職員は9割以上に当たる114人と突出している。 〈以下略〉
この記事を読んでも「職務命令に従わなかったのだから仕方ないよ」と思った方、ちょっと昔を思い出してください。じつはこの処分には、かなり問題があるのです。
この処分の根拠になっているのは「国旗国歌法」(正式には「国旗及び国歌に関する法律」)です。これは1999年に、野党などのかなりの反対を押し切って、例のごとく自民党が強行採決した法律です。しかもそのとき、当時の野中広務官房長官が「これは順守規定を示したものであり、強制力を持って起立させたり斉唱させたりは絶対にしない」と、何度も言明した曰くつきの法律です。
また当時の小渕首相も、国会での審議の際に「この法律が成立しても、教育現場での国旗・国歌の強制は考えていない」と、明確に答えていたのです。
それがどうでしょう。現実はどうなっていますか? |
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これで、「文科相の言うことなど信用できない」と書いた意味がお分かりでしょう。彼らは、自分に都合の悪いことはすぐに忘れてしまうのです。
もしあのときの、自党の幹部たちの発言に責任を持つならば、この東京都教育庁の呆れ果てた処分に、自民党は当然マッタをかけるべきです。それが、責任政党のあり方、政権を握っている政党の責任の取り方ではないですか。それをしないから、信用できないのです。
この例が示しているように、「愛国心」はやがて一人歩きし始めるでしょう。それに疑問を持つものには「処分」が待っています。
やはり、おかしい、どこかヘンだと思うのです。
天皇でさえ「強制にならないことが望ましいですね」と、園遊会の席で米長邦雄東京都教育委員に釘を刺していたではありませんか。
(余談ですが、現在、将棋名人戦の開催権を巡って、朝日新聞寄りの発言を繰り返しているのが、この米長将棋連盟会長です)
では、それに対抗して提出された民主党の教育基本法改定案では「愛国心」はどうなっているのでしょう。
探してみました。 |
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「民主党 教育基本法案」の「前文」の長ったらしい条文の最後のほうに、こうあります。
〈後略〉
日本を愛する心を涵養し、祖先を敬い、子孫に想いをいたし、伝統、文化、芸術を尊び、学術の振興に努め、他国や他文化を理解し、新たな文明の創造を希求することである。
〈後略〉
これまた、相当にひどい文章です。
議員さんたちには全員、文章講座の受講を義務付ける法律を作る必要があるのかもしれません、という皮肉はさておきます。
それにしても、安いパソコンじゃ出てこないような「涵養」なんて古びた言葉を使わざるを得ないところに、この法律の古臭さがにじみ出ているとも言えます。内容も、与党案とどっちがひどいか判定に困るほど。
与党も野党もこの始末。
両案とも、私たちには必要ない。
そう強く思わざるを得ません。
なぜ、現行の教育基本法を改定しなければならないのか、もう一度、その点をきちんと説明してもらいたい。
知っている方たちも大勢いらっしゃるとは思いますが、ヨーロッパにはこんな言葉があります。
Patriotism is the mother of the war.
(イギリスの格言)
愛国心は戦争の母である。
Patriotism is the last refuge of a scoundrel.
(イギリスの哲学・文学者サミュエル・ジョンソンの警句)
愛国心は悪党の最後の逃げ場である。
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(今週のキイ選定委員会) |
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