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2011-10-05up
イラク派兵差止訴訟弁護団・川口創弁護士の「憲法はこう使え!」
【第10回】一人一票の実現と選挙権の行使を
憲法は参政権を保障しています。有権者が等しく一票を持ち、議員を選出していくことが民主主義社会の基盤です。仮に、ある人には1票が認められ、ある人には0.7票しか認められない、となれば、民主主義社会の基盤を否定することになります。
僕が一人一票の問題に直面したのは、2009年夏の衆院選直前。青色LED裁判などで知られる升永英俊弁護士から電話があり、「一人一票に賛成しない裁判官に、衆議院選挙の際に行われる国民審査で『×』をつけよう」という取り組みに誘われたのがきっかけです。そしてその後の裁判も引き続き升永弁護士と一緒に取り組むことになりました。
率直に述べます。それまで僕は、「都市部の一票と、地方の一票と比べたとき、地方の一票が都市部の2倍や3倍だったとしても、より地方の声を国政に、という点では仕方ないんじゃないか」と思っていました。
ですから、升永弁護士から誘われたときも、弁護士の大先輩からのお誘いで、断るに断れなかったこと、当初は裁判の実働を担う人を探すのも困難だったため、多少でも力になれれば、と思って取り組むことにした、という次第で、一人一票の実現に最初から燃えていた、という訳ではありませんでした。
端的に言えば、升永弁護士からの誘いを断ることが出来なかったというだけです。
しかし、裁判に取り組む過程で、「一人一票」の重要性がどんどん腑に落ちてきました。 そして、これまで、多くの誤解をしていたことも分かってきました。
まず、これまで、一票の問題の裁判については「議員定数不均衡訴訟」と言ってきました。しかし、問題は、「選ばれる議員の定数が均衡がとれていない」という問題ではく、「選ぶ側の私たち有権者の一人一票が不当に奪われている」問題だ、ということに気づきました。
僕の理解が遅かったため、僕が升永弁護士から頼まれて作った一人一票の問題のメーリングリストは、タイトルを「議員定数」にしてしまいました。今でも、一人一票のMLは「議員定数」という誤った表現がタイトルとなっていますが、これはひとえに僕の理解が遅かったためです。猛反省です…。
また、一票の価値について、これまで「2倍」、「3倍」あるいは「1対2」あるいは「1対3」という言い方をしてきましたが、これもおかしいことに気づきました。
この表現は、自分が一票持っていることを前提に、2倍あるいは3倍の価値を持っている人が他にいる、というとらえ方で、どこまでも人ごとです。
しかし、自分の投票の価値が0.5票、あるいは0.3票しかない、としたらどうでしょう。一気に自分の問題に繋がります。このことを升永弁護士から指摘されて初めて「自分は、半人前扱いされている」ということに気づき、この問題の重要性を理解しました。
裁判をし、記者会見をする都度、「議員定数不均衡」とか「何倍」という表現は間違っているとマスコミに指摘していきましたが、マスコミはなかなかその表現を変えようとしませんでした。
この表現は、完全な誤りです。ですから、マスコミには繰り返し抗議をしてきました。
表現が誤っているために、問題の本質が覆い隠されてきたのが「一人一票」の問題だと思っています。
この問題を考えるとき、いくつかの反論が考えられます。
一番多い反論が、「地方の声をより反映させるためには仕方がない」という反論です。
しかし、国政で選ぶのは「全国民の代表」(憲法43条)であって、地方の代表者ではありません。たとえ、過疎地対策なども含め、地方の問題を議論するにしても、全国民的視点で議論をすべきことです。
また、国会で議論すべきは地方の問題だけではありません。外交問題など様々な全国民的課題を議論しなければなりません。国会で議論は、地方か都市部か、ということに結びつく問題ばかりではありません。
さらに、北海道は都市部同様、投票の価値が低くなっています。ですから、単純に地方対都市でもありません。一人一票の実現は、地方切り捨てを意味しません。
「地方の声を」という一見もっともらしい言葉に誤魔化されてきた部分がなかったでしょうか。
次になぜ、一人一票がなかなか実現しないのでしょうか。選挙区割りは国会で決めます。それを実現していないのは今の国会議員です。ですから、一人一票の実現を妨げているのは今の国会議員です。
ではなぜ、国会議員は一人一票の実現をしようとしないのか。
仮に一人一票をドライに実現しようとすれば、自分の選挙区の範囲が変更される可能性があります。自分の選挙区の範囲が変わることは、議員にとって死活問題です。
ですから、とにかくこの問題を先送りしたい、ということになってしまいます。
議員のための政治から、主権者のための政治へ。選挙区民のための政治から、全国民的視点に本当に立った政治へと転換させていく。その意味でも、「一人一票の実現」は重要になってきます。
続いて裁判所が一人一票の問題をチェックする必要について考えてみます。
国会議員は一人一票の問題について一番の利害関係人です。
その一番の利害関係人が、自ら、「一人一票」の実現のために選挙区割りを変えようとするはずがありません。
だからこそ、裁判所が積極的に違憲判断をしていくことが求められているのです。
しかし、最高裁は、この3月、お茶を濁す判決で逃げました(最高裁大法廷平成23年3月23日判決)。
一人一票を軽視する、ということは、民主主義の基盤を軽視すると共に、一人一人の個人の尊厳を軽視しているとも言えます。
一人一票実現のために、裁判所が果たす役割は大きい。だからこそ、一人一票を軽視する最高裁判所の裁判官には退場願わねばなりません。
そのための大事な権利として、衆議院選挙の際に行われる最高裁判所裁判官に対する「国民審査(憲法79条2項3項)」があります。
民主主義社会を発展させると同時に、個人の尊厳を大事にする政治や裁判を実現させるため、積極的に国民審査権を行使することが大事です。国民審査権の行使は、まさに、「憲法を使う」ことそのものだと思います。
新聞の意見広告でもご覧になっていらっしゃる方も多いと思いますが、次回の「国民審査」で一人一票を軽視する裁判官に「×」を付けて意思を表明していきましょう。
最後に、一人一票とは別に、世代別の投票率も合わせて考えてみます。
今、一番投票率が高いのは、地方の高齢者です。ですから、地方の高齢者が最も国政に影響を持っていることになります。となれば、当選するため、票を伸ばすために、どの政党も、地方の高齢者の利益を考えた政策を追求しがちです。
一方で、投票率の低い都市部の若い世代の声は軽視されがちです。
ですから、一人一票の実現と共に、若い世代が積極的に投票に行くことが重要です。どの政党に投票したか、ではありません。まず、同世代の投票率を上げる。そのこと自体で、自分の世代にプラスになる政策が政党間で競われるようになるはずです。このことは、「若者は、選挙に行かないせいで、四〇〇〇万円も損してる!?」(森川友義著・ディスカヴァー携書)に詳しく書かれています。
僕は、昭和47年生まれ、第二次ベビーブーマー・団塊ジュニアです(キムタクや中居君と同い年)。この世代は、大学に入った後にバブルがはじけ、大学を卒業する頃には氷河期が訪れ、非正規雇用も拡大し、格差社会の荒波に常に翻弄されながら生きてきた世代でもあります。香山リカさんには「貧乏くじ世代」とまで言われる始末です。
ところが、必ずしも政策面で重視されてきたとは言えません。
しかし、人口が多い世代なのですから、この世代の投票率をぐっと上げることで、国政に大きな影響を及ぼせるはずです。
自分たちの世代に目を向けた政治を実現するためにも、一人一票の実現と共に、しっかり選挙権(憲法15条)を行使することが大事ではないでしょうか。
投票に行くこと自体が、重要な意味を持ってます。是非一票を投じてほしいと思います。
*
3月の最高裁判決については、
「伊藤真のけんぽう手習い塾」リターンズ
にも詳しい解説があります。
まさに民主主義の基盤となる一人一票の問題、
まずは国民審査権の行使を通じて、
主権者である私たち1人ひとりの意思をきちんと示していきましょう。
川口創さんプロフィール
川口創(かわぐち・はじめ)
1972年埼玉県生まれ。2000年司法試験合格。実務修習地の名古屋で、2002年より弁護士としてスタート。 2004年2月にイラク派兵差止訴訟を提訴。同弁護団事務局長として4年間、多くの原告、支援者、学者、弁護士らとともに奮闘。2008年4月17日に、名古屋高裁において、「航空自衛隊のイラクでの活動は憲法9条1項に違反」との画期的違憲判決を得る。刑事弁護にも取り組み、無罪判決も3件獲得している。2006年1月「季刊刑事弁護」誌上において、第3回刑事弁護最優秀新人賞受賞。現在は「一人一票実現訴訟」にも積極的参加。
公式HP、ツイッターでも日々発信中。@kahajime
著書に『「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』(大塚英志との共著・角川グループパブリッシング)