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2011-09-21up
イラク派兵差止訴訟弁護団・川口創弁護士の「憲法はこう使え!」
【第8回】高校「退学」と子どもの学習権
(憲法26条)
5万人を超える「高校中退」
「高校中退」の人数は、しばらく7万人台を推移してきましたが、平成21年には5万6948人と減少しました。減少した理由については、家庭の経済的理由での退学という事態に対して、一定の政策がなされたことなどが指摘されていますが、はっきり分かりません。
とはいえ、それでも多くの高校生が卒業前に高校を去っている現実があります。
弁護士会の子どもの権利委員会に属していることもあり、「学校から退学と言われている」という相談を受けることがしばしばあり、子どもの代理人として学校側に対応をしたことも何度もあります。
よくある「退学」の相談
多くは次のような相談です。学校の教師から親が呼び出され、「お宅のお子さんはこんな問題がある」とたくさん問題点を指摘されます。その上で、「退学していただくしかない」と伝えられ、一定の期限を決められ、「それまでに退学を決めていただき、手続きを進めていきたい」などと言われます。
ここで注意すべきは、教師は「退学処分」という言葉は使っていないことです。あくまで「退学」という言葉を使ってくるのみ。ほとんどの親は、「退学」という言葉と、「退学処分」の違いなどは分からず、やめるしかないと思い詰めてしまいます。
なお、「退学処分ですか」と聞いた場合には、学校教師は「自主退学を勧めている、ということです」あるいは「進路変更の指導です」などと言ってきます。
「退学」と言われた時の注意点
子どもの「退学」を学校から言われた時には、まず「退学処分」と、「自主退学勧告」「進路変更指導」とは異なることをしっかり念頭に置く必要があります。「退学処分」は、学校教育法11条、同施行規則26条に定められた校長の権限で行う「処分」です。一教諭の一言で発令できるものではありません。
学校は、「退学処分」となると、事務処理が煩瑣ということや、後に「処分」の違法性が問題されかねないことから、できる限り「生徒の意思で学校をやめた」という形にしようとします。そこで、しきりに「自主退学」を勧め、あるいは強要してきます。
しかし、「自主退学勧告」は、あくまで生徒側が自主的にやめていくことを学校が勧めているだけであり、法的には意味はなく、退学に応ずる義務はありません。学校の説明に納得がいかない以上、安易に退学に応ずる必要はありません。
とはいえ、普通の親は、自分の子どもの問題をたくさん指摘され、多かれ少なかれショックを受けます。そして「退学」といわれた時点で「このままこの学校に通うことは無理」と諦めてしまい、子どもの退学届を提出していく、ということが少なくありません。
憲法26条の「学習権」を中心に据える
「退学処分」は、学校から排除されることを意味します。これは、子どもが人として成長していく上での重要な学習権(憲法26条)を侵害するものです。
「学習権」は、人間が人として様々なことを学びながら成長する、重要な権利で、憲法26条で保障されています。
「ユネスコ学習権宣言」(1985年)では、学習権を、「読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、人的・集団的力量を発達させる権利である」とし、「学習権は、人間の生存にとって不可欠な手段である」と言っています。
「教育を受ける」という受動的な権利ではなく、学び、成長する人間として根元的な権利だとされてきています。
「退学」を巡る場面では、学校も親も感情的になってしまう面があります。しかし、「退学」は、子どもが人間として成長する根元的な権利を奪うことになる、ということに、子どもの親も、学校の教師も、一呼吸おいて立ち帰ることが必要だと思います。
子どもの親としては「退学処分」の告知や「自主退学勧告」がなされたときには、手間がかかっても、学校との話し合いをし、その際、子どもの問題点ばかりでなく、子どもの学習権を議論の中心において話をしていくことが必要です。
なお、弁護士が代理人として対応する際、いきおい、「退学処分が裁量権の濫用か」など、処分の違法性の問題に関心がいきがちです。
このこと自体は対応として間違っているとは思いませんが、しかし、処分や学校側の判断の適否が焦点となることで、過去の事実ばかりが問題となり、今後の子どもの成長の機会をどう図っていったら良いのか、という将来的視点を忘れないでほしいです。
大事なのは、目の前の子どもの学習権であり、子どもがどうやって成長していくか、ということです。これまでの問題点などを前提にしながらも、親や学校、そして子ども自身が何が出来るのか、学校をやめることなく、環境調整をしていくことが出来ないか、その子どもに応じて、前向きな議論をしていくことが必要だと思います。
最近の学校を取り巻く環境
最近の高校は、学校の先生も様々な業務で多忙で余裕がなくなり、一人一人の子どもたちに真摯に向き合うことができなくなっているように思います。子どもは失敗しながら、ゆっくりゆっくり成長していきます。しかし、学校にはそのスピードに合わせてじっくり向き合う余裕がないようです。
学校側が手のかかると思った子どもを、「秩序を乱す」などという理由で安易に学校から排除していく傾向が多い、というのが僕の印象です。
「子どもの学習権」が「学校の秩序」の前に切り捨てられていく現状。
しかし、これでは学校の教育の力は落ちていくばかりではないでしょうか。
学習権の点から、新たな道を選択することも
学校との話し合いの過程は本当に大変です。「学習権」という言葉を振りかざすだけでは何も進まないのはもちろんです。
しかし、学習権の核心の、「子どもの成長の機会を大事にしよう」という問いかけは、少なからず教育者である学校の教師には届く部分があります。子どもの将来を見据え、親と子、親と学校、学校と生徒とで「ここが正念場」と覚悟を決めて、じっくり話をする場を持っていただきたいです。
その結果、環境調整を新たに行い、学校での生活を再スタートすることもあります。
他方で、最終的に「この学校には自分の子どもの学習権を支える力がない」と判断し、生徒の意思でその学校をやめ、新たな進路を選択し、新たな学校に移っていく、ということもあります。
その選択が、その子にとって良かった、ということも経験上少なくありません。すばらしい笑顔を取り戻した子どもを何人も知っています。
いずれにしろ、「退学」ということを学校から言われた際には、どういう形であれ、簡単に答えを出そうとせず、子どもの学習権、子どもの成長を一番の柱に、子どもが自らの道を選択していく、というプロセスを大事にしてほしいと思います。
なお、学校から「退学」を言われた時、最初にすべきことを述べておきます。
①「退学」が、校長名義の「退学処分」なのか、「自主退学勧告」なのか、確認する。
②退学処分の場合、事前に学校が考えている退学処分の根拠とする校則と、処分の前提となる事実を、書面で回答してもらうように、学校に申し入れる。
③自主退学勧告の場合には、なぜ退学をするように言われるのか、具体的な事実を書面で回答してもらうよう、学校に申し入れる。
いずれにしろ、書面での回答を求めていくのが大事になります。
そして、子どもの学習権(憲法26条)を念頭に、子どもを軸に話を進めていって下さい。場合によっては、その書面をもって、弁護士会の子どもの権利相談などに行くこともお勧めします。
*
人が人として成長するための重要な権利である「学習権」。
それが学校の都合などだけで、安易に奪われることがあってはならない。
これは人権問題だという視点を持った上で、
何が一番、子どものためになるのか、
家族も学校も一緒になって考える必要があります。
川口創さんプロフィール
川口創(かわぐち・はじめ)
1972年埼玉県生まれ。2000年司法試験合格。実務修習地の名古屋で、2002年より弁護士としてスタート。 2004年2月にイラク派兵差止訴訟を提訴。同弁護団事務局長として4年間、多くの原告、支援者、学者、弁護士らとともに奮闘。2008年4月17日に、名古屋高裁において、「航空自衛隊のイラクでの活動は憲法9条1項に違反」との画期的違憲判決を得る。刑事弁護にも取り組み、無罪判決も3件獲得している。2006年1月「季刊刑事弁護」誌上において、第3回刑事弁護最優秀新人賞受賞。現在は「一人一票実現訴訟」にも積極的参加。
公式HP、ツイッターでも日々発信中。@kahajime
著書に『「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』(大塚英志との共著・角川グループパブリッシング)