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2011-08-24up

イラク派兵差止訴訟弁護団・川口創弁護士の「憲法はこう使え!」

【第4回】憲法を使い、新しい権利を獲得する

 法律によって権利や利益が全く規定されていない場合、法律違反を理由に相手と交渉をしたり、さらには裁判を起こすことは困難です。こういった時に、憲法をどう使っていくか、という一例を示したいと思います。

 日本は、欧米と異なり都市計画が進んでいません。そのため、ある日突然暴力的な巨大マンションが家のそばに建設されてしまう、ということがしばしば生じます。たとえば、昔から住んでいた一戸建ての自宅のそばに、高さ50メートルを超すマンションが建設される、ということになったら、どうでしょうか。
 家の「真南」であれば、日影規制などを検討し、日照権侵害の訴えが考えられるでしょう。とはいえ、日照権侵害を根拠に訴えた裁判自体なかなか困難なのが現実ですが、全く勝ち目がないわけではないと思います(04年10月、太陽光採光システム「ひまわり」の設置費用を含む和解金を被告が支払う、という画期的な和解を勝ち取ったことがあります。僅かばかりの慰謝料でお茶を濁されてきた感のある日照事件において、太陽の光を確保したことの意義は極めて大きい事案でした)。

 では、自宅の「真北」に、50メートルを超えるマンションが建設されることになったら、どうでしょうか。「真北」ですから、日照については全く問題ありません。むしろ照り返しで日照が増す、と思えるくらいです。しかし、道を挟むことなく、家の真北に50メートルもの巨大建造物が突如出来たとしたら、生活していく中で圧迫感を感じることは否めません。

 確かに、家の中にいれば、直接マンションを見ることもなく、その意味で常に「圧迫感」があるとは言えないのではないかとも思われるでしょう。しかし、現実に自宅からマンションを見上げたときの圧迫感や恐怖感はかなりのものです。圧迫感に加えて、何かが落ちてくるのではという不安も常につきまとい、安心した生活が出来ません。

 しかし、こういった「圧迫感」は、日照権の裁判の中で副次的に主張されることはあっても、それ自体単独で訴えられたことはなく、権利としては認められてきませんでした。ですから、私が関わったAさんの件でも、建設業者との交渉では圧迫感は考慮されることはなく、結局近隣住民であるAさんの意向は無視されて建設が強行されました。これに対し、Aさんは憤り、裁判を起こしてほしいと私に依頼をしてきたのです。

 これまでの判例を見る限り、全く勝ち目はありません。「圧迫感」は法律でも認められていないので、法律違反を訴えることも出来ません。そこで、憲法13条の「人格権」の中に、今日的な「新しい権利」として、「快適な住環境を享受する権利」あるいは「アメニティー権」が認められ、その中に圧迫感を受けないで生活する利益も含まれる、という構成を取り、裁判を起こしました。これまでにない新たな権利主張とその論理構成です。

 その際、法学の研究にはあまり参考になるものがなかったため、建築学会の研究や心理学、都市政策の分野など、他の分野の研究を活用しながら理論構成をして闘いました。海外の都市政策も研究しました。また、学者や建築士の方にも多大な協力をいただきました。 不動産鑑定士の方に依頼し、経済的価値の下落が現実に生じることも立証しました。
 しかし、一審は「圧迫感を受けないで生活する利益については、客観性、明確性を備えるに至っておらず、法的保護の対象となるに足りる内容を備えていない」として権利性を認められず、完敗しました。その後控訴をし、さらに被害の実態をリアルに訴えるなどしました。

 その結果、名古屋高裁は、2006年7月5日付判決で「圧迫感なく生活する権利ないし利益」は、「日照、眺望、通風などと同様に隣接建物等から受ける圧迫感も住環境を構成する重要な要素の1つであり、少なくとも圧迫感なく生活する利益は、それ自体を不法行為における被侵害利益として観念できる」とし、初めてその権利性を認めました。

 その上で、「圧迫感なく生活する利益の侵害がその受忍限度を超えて違法となるか否かは、圧迫感が隣接建物の高さや幅、被侵害者の居住地からの距離などによって生み出されるものであること、そして建物の高さや容積率等については、建築基準法、都市計画法などにより規制されていること、さらに圧迫感は住環境を構成する要素の1つであることからすれば、問題とされる建物の形状、被侵害者の居住地との位置関係のみならず、その居住地の地域性、すなわち立地条件、建築基準法の法規制の内容、当該地域における建物建築状況、さらに被侵害者の居住地の四囲の状況や居住建物の配置・間取りなどの諸事情を総合して判断するのが相当である」と、具体的な基準も明記しました。

 ただし、高裁の段階ですでにマンションはほぼ完成しており、建設の差し止めという点では目的は達成できず、損害賠償についても結果は敗訴となりました。ですから、原告の方の被害は残念ながら救済されませんでした。
 しかし、裁判で「圧迫感を受けずに生活する権利」が権利と認められ、その権利侵害の要件が具体的に示されるたことは極めて画期的です。今後同種の事案で裁判外の交渉の段階から、業者との間で圧迫感を主張することが可能となり、一定のプレッシャーをかけることにもなります。これは、明らかな前進です。

 前進を勝ち取っていくことはそう簡単ではありません。一気に新たな権利の獲得がなされ、被害が全面的に救済される、ということはまずありません。しかし、ある人が、裁判で一定の前進を勝ち取り、その到達点を他の人が承継していくという「権利」のリレーをしていくことで、少しずつ、しかし、確かに「権利」は発展していきます。まさに、「国民の不断の努力」(憲法12条)が必要となってきます。「権利」を新たに獲得し、また権利の要件を拡大していくためには、やはり裁判に訴えていくということが有益であり、大事になってきます。そして、裁判がうまく進み、裁判所が「権利」とその要件を明言すれば、今度は他の人達もその「権利」を市民生活の中で活用していくことが出来ます。

 そういった「権利」の闘いのリレーをしていくことで、たとえば、本件では暴力的なマンション建設に対する一定の歯止めになっていくと思います。また、イラク訴訟でも2008年4月に、名古屋高裁は「平和的生存権」の具体的権利性を認め、その要件を明言しました。それまでは、「平和的生存権」は具体的権利ではないとして、訴訟でも、また市民運動の中でも使われてきませんでしたが、この名古屋高裁判決で潮目が変わりました。

 その年の日弁連の人権大会では、平和的生存権を明言する宣言が採択されましたし、沖縄や横須賀などの基地の闘いでも、また震災後のさまざまな局面でも平和的生存権が訴えられるようになり、平和的生存権は、市民の中で幅の広い豊かな権利に発展しています。
 新たな権利の獲得を簡単に諦めてはいつまでも権利は発展しません。同時に、安易に裁判所で救済されると裁判所に依存し、楽観してもいけません。細々と、しかし堂々と、権利を使うリレーを法廷の内外でしていくほかないと思います。それが、新しい権利の獲得と発展につながる唯一の道だと思います。

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すでに定められた権利を「守る」だけではなく、
新たな権利をつくりだし、獲得するための基盤ともなる憲法。
すぐに大きく状況が動くことはなくても、
小さな一歩を積み重ねた「闘いのリレー」が、
いつしか状況を大きく変えていくかもしれない。
どんな問題と向き合うときにも、心に留めておきたいと思います。

 

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川口創さんプロフィール

川口創(かわぐち・はじめ)
1972年埼玉県生まれ。2000年司法試験合格。実務修習地の名古屋で、2002年より弁護士としてスタート。 2004年2月にイラク派兵差止訴訟を提訴。同弁護団事務局長として4年間、多くの原告、支援者、学者、弁護士らとともに奮闘。2008年4月17日に、名古屋高裁において、「航空自衛隊のイラクでの活動は憲法9条1項に違反」との画期的違憲判決を得る。刑事弁護にも取り組み、無罪判決も3件獲得している。2006年1月「季刊刑事弁護」誌上において、第3回刑事弁護最優秀新人賞受賞。現在は「一人一票実現訴訟」にも積極的参加。
公式HP、ツイッターでも日々発信中。@kahajime
著書に『「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』(大塚英志との共著・角川グループパブリッシング)

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