戻る<<

雨宮処凛がゆく!:バックナンバーへ

雨宮処凛がゆく!

100106up

あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

※アマゾンにリンクしてます。

「公設派遣村」の年末年始。の巻

大久保公園でボランティア

 皆さんは年末年始をどう過ごしただろうか。
 私は「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」のボランティア、そして「公設派遣村」の取材などでバタバタしていてちっとも「正月気分」を味わっていない。いや、でも私なんかより、「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」実行委員会の人たちは「正月気分」どころか過労死寸前ではないかと心配だ。それほどに、連日連夜、生活相談、宣伝活動、会議などで走り回っていた。本当にお疲れ様でした。

 「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」は、旧派遣村の実行委員会の人たちが中心となって立ち上げられた会だ。「今年は民間のボランティアが派遣村をやらなくていいように」というのは反貧困運動などが昨年一年中ずーっと訴えてきたわけだが、昨年末から1月4日まで、「公設派遣村」が開設されることになった。昨年は住む場所も所持金もない人に対して国はまったくの放置という姿勢を取り、いろんなNPOや労働組合の人たちが中心となって年越し派遣村が開催されたわけだが、今年は国や都がそれをやったのである。
 これは大きな前進だ。何しろ去年は極寒の野外テントで食事のたびごとに炊き出しに並ばなければならなかったわけだが、今年は宿泊施設が提供されるのである。が、この取り組みに関しての「宣伝」が遅く、また充分とは言えないものだった。ということで、ボランティア初日は新宿でビラまき。困窮している人々にまずは「年末年始に住む場所もお金もない人を受け入れてくれる場所がある」とアピール。そしてその翌日、30日は公設派遣村に入る手続きをした人を大久保公園のテントに誘導、というボランティア。大久保公園では「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」が9時〜5時で生活相談を実施していたからである。 

 なぜこのような取り組みが行なわれていたのかというと、「公設派遣村」に入ったはいいものの、中での相談体制は整ったものでなく、「入ったはいいけど1月4日にまた追い出されて路上では」という不安の声が多く聞こえてきたかららしい。そこで、「ワンストップ・サービスをつくる会」ではテントで相談を受け付け、希望者には生活保護申請をしていたのだ。いわば、「公設派遣村」を出た1月4日以降の生活再建を支援する取り組みである。
 そうして私も何人かを誘導した。疲れ切った顔でハローワークで手続きをしてきた人に声をかける。その中には若い人もいれば、年輩の人もいるし夫婦もいる。私は会っていないが子連れの人もいたらしい。特徴的なのは、みんな一様に大きな荷物を持っていることだ。

 その時に会った人の中には、「足がパンパンでもう歩けない」と今にも倒れそうな人もいた。30代後半くらいの男性だ。やはり大きな荷物を持った彼は「公設派遣村」の情報を知り、なんと「川崎から新宿まで歩いてきた」のだという。そんな彼はもうしばらく食事も取っていないということで、しきりに「今日の寝場所はあるのか」「御飯は食べられるのか」を気にしていた。昨年の「年越し派遣村」とまったく同じ光景が目の前に広がっていた。だけど違うのは「大丈夫です、食事はもちろん、今日からあたたかいベッドで寝られます」と言えるところだろう。この日、ハローワークには長妻大臣も視察に訪れ、会ったのだが(私がボランティアしてるの見てビビってた)、長妻大臣に「国の足りない部分を下支えしてくれてありがとう」とお礼を言われ、なんだか政権交代後の「時空のねじれ」を感じたのだった。いや、自公政権の時だったらそういうボランティアって「邪魔な存在」っていうか、決して「お礼」を言われる対象なわけではないわけでしょ? それがお礼言われるなんてさ・・・。

 さて、31日には「公設派遣村」の前で入所者緊急集会ということで私も駆け付け、入居者を「激励」。というのもやはり中の相談体制が弱く、みんなの不安は高まっているらしいとの情報が入ったからだ。そこで彼らの今の思いを聞き、また、「年越し派遣村が必要ないワンストップ・サービスをつくる会」の弁護士さんが「生活保護」などについて説明するという「集団学習会」が行なわれたのだ。施設の外に宣伝カーをつけ、施設の柵越しに集会は進む。私たちは柵の向こうの入居者たちに「路上からできる生活保護申請ガイド」を大量に差し入れする。ガイドを受け取る人の中には「本読みました、ファンです!」とか「僕も“素人の乱”です!」とか「サインして下さい!」などと言ってくれる人たちがいて、自分の読者層の人たちが本当に「公設派遣村」に入っている現実にやっぱり打ちのめされてしまう。というか、本当に若い人が多くてそのことにまずは驚いた。

公設派遣村の個室はこんな感じ

 集会後、取材のために「公設派遣村」の中に入り、いろいろな人に話を聞いた。今年の4月から8月までの給料が全額不払いだったという解体業の人、4日以降どうなるのか、仕事探しはできるのかと不安を募らせる人。喫煙所で煙草を吸っていると私が「雨宮処凛」だとわかる人たちが話しかけてくれて、その場は「にわか相談所」のようになる。生活保護のこととか借金のこととか「第2のセーフティネット」のことだとか。答えられる限り答え、そしてそんなふうに話しているうちに、みんな本当に心の底から「働きたい」と思っていることをビシバシ感じる。
 この日は、20代の男の子にも話を聞いた。「捨て子」だったという彼は養子として育ち、成人してからは派遣で工場で働いていたものの、4年近く働いていた工場が倒産。寮も追い出されたので仕方なく実家に戻ると、実家は売りに出されていたという。もちろん鍵も変えられているので入ることもできない。養父母とは未だに一切連絡が取れない状態。そんな状態で上京した彼は必死で職を探すもののそのままホームレスになってしまい、公設派遣村に辿り着いたのだ。新宿や渋谷の福祉事務所に出向き、「生活保護を受けたい」と言ったのに「若いから働ける」と追い返されたという経験を持つ彼は、ここにくるまで繁華街の路上で寝袋で寝ていたという。この寒さの中。
 なんだか愕然とするばかりで、本当に去年の「派遣村」が目の前に蘇ったかのようだった。だけど今年は吹きっ晒しのテントではなく、施設の中はあたたかい。食事も3食お弁当が出るという。が、相談体制が充分ではないということで、「ワンストップ・サービスをつくる会」では1月1日から施設の外にバスをつけ、その中で個別相談を実施。1月2日までに400人近くの相談を受け付け、300人近くの生活保護申請を実現させた。正月返上でまったくのボランティアで、今年もそうして多くの人が駆け回った。
 そうして4日、派遣村は閉鎖。800人以上が年末年始をここで乗り切った。ここからまた別の施設に移動し、2週間ほど滞在するという。さて、それ以降がどうなるのか、また路上に戻されるなんてことがないよう、みんなも注目していてほしい。

ビッグイシューの販売員さんと公設派遣村で会う

不十分な点も指摘されてはいるものの、
国や都によってこうした取り組みが行われたこと自体は、
大きな前進と言えるのかもしれません。
そして、ひとまずは年末年始を乗り切った人たちが、
今後どうしていくのか。
本当に重要なのはここからです。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条