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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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脱貧困の経済学。の巻

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 最近、経済学者の飯田泰之さんとの対談本『脱貧困の経済学』(自由国民社)を出版した。経済学とか、当然私はまったくわからなくて、それが経済学者の方と対談なんて、自分がどれだけ馬鹿かということを世間に晒すようなものだと思ったのだが、考えてみれば頭がいい経済学者同士が対談しても秘密結社の暗号みたいな言葉ばっかりで一部マニアしかわからないわけで、じゃあ頭が悪いなりに「素朴な疑問」をぶつけよう、と思って挑んだ対談だった。

 で、本当に「素朴」すぎる質問ばかりぶつけたのだが、いろいろと勉強になったことは確かだ。というかまず、大前提として今の失業や貧困など、プレカリアートを巡る問題が「経済」の問題である、という次元の話になるだけで、「自己責任論」系の声を一掃できるという作用を生む。まあ09年の現在、今さら「自己責任」とかいう人はさすがに少なくなってきたわけだが、やはり今も日本全国に生息し、そしてそれは個々人の心の中に根強く居座っているはずだ。

 さて、そんなわけで対談していて私が「へー」と思ったのは、製造業と円高を巡る話。1ドルが120円だったら月給20万円の人の賃金は1600ドルで、これだったら中国に移転などしなくて日本で人を雇うのだという。が、1ドル90円だと海外へ。製造業の人によると、1ドルが105円より円安になると日本人が日本で作った方がいいらしい。
 こういうことを聞くだけでも、「それって本人のやる気とか努力とかをいくら総動員してもまったく太刀打ちできない問題だよね・・・」ということが改めて確認される。そういうものに振り回されて派遣の人は切られまくったり突然必要とされたりして、結局「調整弁」として人生ごと振り回されているなんて・・・。もうどこから手をつければいいんだか本当にわからなくなって気が遠くなる。

 さらに「ほー」と思ったのは富裕層減税の話。もうずっと金持ち減税が続いているわけだが、これに対して年収600〜700万くらいの人々が「自分は税金を払いすぎている金持ち」とうっかり勘違いして喜んでいたりするらしい。が、この層はたいして得はしてなくて、年収1000万を越えないと得にならない税制改革に喜んでいるらしいのだ。そういう「自分が金持ちだと勘違いしてる層」が小泉改革に賛同し、貧乏人を積極的に放置してきたという構図もあるらしい。そして、この対談で飯田さんは言った。

「橋本内閣以降、そして小泉路線の想定した『税金を払いすぎている金持ち』は年収1000万円以上、それ以下は税金を納めない『貧乏人』なんです」

 それは知らなかった。何か、プレカリアート連帯の輪が、年収999万円くらいの人にまで広がりそうな気がするのは私だけだろうか。でも年収500万越えたくらいの人から、「自分は金持ち」意識になって貧困層を「まったく別世界の人」みたいな目で見るんだよなー。で、100万円台の人は年収300万円の人を「金持ち」だと思って羨んだり。

 あとは再分配の話。これは私の周りでも話題になっているのだが、日本は「再分配」で貧乏人が増える、というメチャクチャな状況になっている。特に子どもと20代の貧困率がアップ、というワケのわからない状態だ。システムとして完全に破綻していると思うのだが。

 破綻、ということで言えば、この本には「社会保障全体の世代別損得計算」が出ている。それによると、75年生まれの私は年金・医療保険・介護保険の支払額と受給額で計算すると、1250万円「損」をするのだという。ちなみに05年生まれは更に悲惨で3490万円の損。なんとなく、自分より「損」をする世代がいると思うとちょっとほっとしてしまうのはなぜだろう・・・。この「自分はまだマシという安心感」は、何かたぶんとってもよくない種類のものだぞ。そして1940年生まれの人は4850万円の「得」。なんかこう、むらむらくるのは私だけではないと思うが、こういう微妙な感情が、世代間や年収がいくら以下、いくら以上なんかの人々の対立を生んでいる気がする。悪いのは制度設計なのに、何か「得してる誰か」を恨んじゃったりするような構図は、特に「格差社会」と言われるようになってから顕著になった気がする。で、それは「自己責任」という言葉と同じように、今も私の心のどこかに燻っているのだからタチが悪い。

 と、こんなふうに、為替のこととか自分が今までまったく考えてこなかった分野の話を聞き、いろいろと勉強になったのだが、残念なことに相変わらずちっとも頭は良くなっていないのだった。というか最近、ますます頭が悪くなっている気がして、仕事で話す相手の言ってる横文字がさっぱりわからない、ということが頻発している。で、そのたびに馬鹿丸出しみたいな顔で「○○ってなんですか?」と正直に聞くのだが、「そんなことも知らないの? 」という相手の驚いた顔を見て「すいません、高卒なんで」とあえて言ってちょっとした鬱憤を晴らす、というやり方が流行っている(自分の中だけで)。で、私の中で「高卒ブーム」が吹き荒れているのは、何を隠そう、福満しげゆきの漫画(エロ漫画以外)を愛読している、というただそれだけの理由なんだけど、何かそういう言い方は私が「学歴社会」と闘っている、と勝手に勘違いしてくれている人もいるので当分流行は続きそうだ。だって、だって、なんだか周りの人とか仕事で会う人とかに高学歴の人が多すぎるんだもん!!

 さて、もうすぐ、でもないが、毎年恒例の「反戦と抵抗の祭〈フェスタ〉」がやってくる。この間は初めて実行委員会の会議に出た。みんな畳の部屋に寝そべっての会議だ。「最近の若者はすぐ地べたに座り込む」とかそれどころの騒ぎじゃない。座ってもいられなくて寝ながらの会議だ。さすがプレカリアート! で、寝そべりながら、政権交代後なんかについて語り合う。まだ日程も何も決まっていないが、何か面白いことをみんなでブチかましたいと思っているのでよろしく!

誰もが「自分より得をしている人」を羨み、
「自分より損をしている人」を見て安心する。
そんな対立構造の陰で、本当に「得をしている」のは誰なのか?
まずは、そこを考えてみる必要がありそうです。
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