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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト
この前の土曜日、新宿ロフトプラスワンで開催された「本音で語ろう! 生きやすさってなに? 」というイベントに出演してきた。主催は、自身が壮絶ないじめられ体験を持つという暗器使いさん(20代男性)。今回のイベントは彼の主催のものとしては四回目。これまでは主にいじめや犯罪被害的な側面を語ってきたのだが、「生きづらさ」から「生きやすさ」へとテーマを変えた今回、何か彼自身が大きく変わったような気がしていた。そしてその予感は的中した。彼は、ものすごく大雑把に言えば「生きる希望」のようなものを手にしたのだ。これはすごいことだ。だって最初の頃なんか、世の中全部を憎み、人間すべてに不信感を募らせ、ずっと「テロをしたい」と言っていたのだ。そして私自身、彼にある種の「いつ暴発してもおかしくない」鬼気迫るものを感じてもいた。
そんな彼が「希望」を手に入れたのは「恋愛」によってだった。自分を好きだと言ってくれる人の存在。それは彼にとって「テロ願望」が消えるほどの大きなものだったのだ。
更にはイベントという形で人との出会いとつながりを求め、自分自身をいい形で変化させることができた彼を見て、なんとなく、秋葉原事件の加藤被告のことを思い出した。
この日のイベントにはお客さんが詰めかけ、ロフトプラスワンは満員だった。そしてそういう「生きづらさ」系のイベントに来る人と、プレカリアート運動に参加する人は一部はかぶるものの、「絶対に運動系には行かない」という層も存在する。
今日、「本の旅人」8月号である文章を読んだ。『私の赤くて柔らかな部分』という本の書評で、伊藤氏貴氏はこう書いている。
「誰だって喜びを介して人とつながりたい。が、それはなかなかに難しい。とりわけ競争社会・格差社会と言われるような状況にあっては、喜びがすなわち勝つことにあるとされるところでは、つながりよりも断絶が求められる。しかし弱者にも残された一縷の望みが、傷口を介して人とつながることだろうと思う」
そして朝日新聞09年7月27日には、「論壇時評」の「今月の注目論文」に「情況」7月号の座談会「今、労働の問題に立ち向かうために」についての記述がある。情況を読んでいないのでなんとも言えないが、その座談会について橋本努氏は以下のように書いている。
「他方、若者たちのメーデーを組織化してきたフリーター労組副委員長の山口素明氏は、8(座談会)で今年の祭典にはやや行き詰まり感があったと告白する。どうも雇用の現場から排除された人々はコミュニケーション能力が不足気味で、抵抗の社会運動よりもメンタルヘルスを求めているのではないか、という深刻な現実が示唆される」
「コミュニケーション能力が不足気味」というまとめ方が正しいか正しくないか、ちょっとひっかかるので置いておく。しかし問題提起はすごくわかる。「弱者」が「傷口を介して人とつながる」こと、そして抵抗運動よりも「メンタルヘルス」的なものが求められること。で、私自身は「傷の舐め合い」のようなものはまったく大肯定というか、自分自身がそうやって生き延びてきたという実感があるのでそれはそれでとても必要なことだと思う。一方で、自分自身は「私がこんなに生きづらいのは何かこの社会とも関係があるのでは?」という問題意識をずっと持ってもきた。が、生きづらい当事者がなかなかその「回路」を持つことは難しいのだ、とここ数年で痛感もした。だからこそ、自分自身は運動の現場とメンヘラ的な人々が集う場での「言葉の使い方」を変えたりという小細工をしながらふたつの世界を行き来し、そのたびに「断絶」を感じたり、逆に当事者の発言などから「すごく繋がっている問題なのだ」と感じたりもしてきた。
唐突だが、『生活保護VSワーキングプア』(大山典宏著 PHP新書)には、10年ほど前から20代、30代の生活保護受給者が増えていることを示すグラフが掲載されている。「壊れる若者たち」という小見出しがついた文章には、こんなふうに書いてある。
「しかし、多くの人たちは、『壊れる』という形で生活保護のネットに救われることになります。厳しい労働条件の仕事でボロボロになるまで傷つき、家族関係の葛藤に悩まされ、心の病──うつ病──になって初めて生活保護の対象になるのです。改めて、世帯類型の割合を見てみると、傷病・障害世帯が二九%から三五%に増えていることにお気づきになるでしょう。このなかには、少なくない数の心の病から仕事ができなくなった人たちが含まれています。ウェブサイト『生活保護一一〇番』の相談者の多くも心の病を抱えて仕事ができなくなり、生活の見通しが立たなくなった人たちです」
私自身、10年以上前から「壊れる若者たち」といった現実を目にしてきた。周りに生活保護受給者も多いし、精神障害者手帳を持つ人も多い。そして大山氏が書くように、確かに彼ら・彼女らは「壊れる」ことでしかセーフティネットにひっかかれない、もっと言うと、ある意味で「壊れる」ことによってやっと「生き延びる」ことができる、そんな状況にいたし、今もいる。彼ら・彼女らの「生きづらさ」の原因は様々だった。もちろん仕事という人もいれば親との関係という人もいた。が、多くはその「生きづらさ」は、義務教育時代から始まっていたとも言える。で、そんな「学校的」なる価値観はやはり「競争」を基準としたものなのだ。だから、だから、えーっと、うーん・・・。
なんだか話が全然まとまる気配を見せないが、たぶんいろいろなところで問題はつながっていて、ある場所では「傷」を介してつながりあい、ある場所では「怒り」から抵抗運動が起きている。そして両者の問題は「かぶる」部分がとても大きいと思うのだが、今のところ、私も言語化できないのでどういうふうに「かぶる」のかが理解されていない。
ここら辺のことを丁寧に考えていきたいと、「生きやすさってなに?」と問うイベントに出て、思ったのだった。
イベントにて。左から私、「こわれ者の祭典」の月乃光司さん、フリーター労組の市野くん、「こわれ者の祭典」のアイコちゃん。
生きづらさと生きやすさ、メンタルヘルス、競争社会、
格差社会とセーフティネット・・・
いろんなところで、いろんな問題が互いにつながり合っている。
そのことへの「気づき」が、第一歩なのかもしれません。
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