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雨宮処凛がゆく!

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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。雨宮処凛公式サイト

雨宮処凛の闘争ダイアリー
雨宮処凛の「生存革命」日記

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選挙に向けたイベント。の巻

 7月31日、反貧困ネットワークが「選挙目前! 〜私たちが望むこと」というイベントを開催する。詳しくはこちらを御覧頂きたいが、このイベントの告知文には以下のような言葉がある。

 「2005年の小泉・郵政選挙以来の衆議院選挙がやってきました。あのときは自民党が圧倒的な勝利をおさめて296議席を獲得。『弱肉強食』の新自由主義政策が、反対意見を軽視して、一方的に進められる政治を生み出してしまいました。
 当時、『貧困』という言葉が、人々の口にのぼることは、まずありませんでした。
 あれから4年。日本社会の雰囲気は一変しました。(後略)」

 この一文を読んで、いろいろなことが怒濤の勢いでフラッシュバックした。思い出してほしい。4年前。あなたは何をしていただろうか。
 4年前の私はちょうど30歳で、物書きとして細々と生計を立て始めてから5年目で、まだプレカリアート運動にはかかわっていなかった。「反貧困」運動に関しては、まだ「反貧困ネットワーク準備会」すらできていなかった。フリーター労組にも、湯浅さんにも、そしてその後運動をともにやっていく「同志」たちの誰とも、まだ出会っていなかった。
 4年前の私にはひとつ、気になっていることがあった。それは自分自身が子どもの頃に漠然と思い描いていた「30歳像」に、周りの誰一人として到達していなかったことだ。子どもの頃に思い描いていた30歳像。それは男だったらバリバリ働いてて(もちろん正社員)、結婚もしてて子どもも2人くらいいて、なんか30年ローンの家買っちゃったりして、女だったらそういう男の妻で、みたいな世界だ。それがいいか悪いかは別にして、団塊ジュニア世代の多くは、子ども時代に「まあそんな人生なんだろう」というようなものをある程度は共有し、親なんかにも「それがベストの人生なんだ」的なことを吹き込まれてきたと思う。

 が、05年。自分が30歳に達した時に周りを見渡してみると、誰一人としてそんな人生を送ってはいなかった。気配すらなかった。就職氷河期に社会に出た同世代の人たちは既に10年近くフリーターのままで、おまけに時給は20歳の時と変わっていなくて、学生時代から住んでるアパートとかにずっと住んでて、だけどそこの家賃も滞納しまくってるようなカツカツの生活で、冷静に考えてみると「みんな、一体将来どうするんだ!?」というような状態にあった。更に私はフリーター後期、キャバクラで働いていたのだが、私が24歳で一冊目の本を書くために「卒業」したキャバクラで、当時一緒に働いていた女の子たちの少なくない人々が30歳になっても年を誤魔化してキャバクラで働いていた。

 そんな05年、自民党が圧勝。その前か後かは忘れたけれど、NHKスペシャルで「フリーター漂流」という番組が放映された。この番組が私に与えた衝撃ははかり知れない。「請負」という形で(今考えてみれば、偽装請負だよね・・・)製造業の現場を「雇用の調整弁」として転々とするフリーターたち。その数、実に百万人。何の保障もなく、全国からかき集められ、工場のラインに必要な時だけ配置され、いらなくなったらまた別の場所、という形でたらい回しにされる同世代の人々。体調を崩して休めばごっそりと給料が引かれ、派遣元にも派遣先にもとても「人間扱い」されているとは思えない働き方。圧倒的な低賃金と、雇用形態から「どんなに努力してもまったく報われない」請負労働。彼らが住んでいるのは請負会社の寮で、毎朝バスで工場まで運ばれる光景を見て、子どもを持つある人は「言い方は悪いけど『奴隷』みたいで、自分の子どもがあんな扱いをされたらと思うと・・・」と涙ぐんだ。それほどに、「絶望的」な職場の状況が描かれていた。

 フリーターを「脱出」して5年以上経っていた私は、自分が物を書いている5年の間に、ここまで状況が酷くなったのかと愕然とした。信じられなかった。そうして私は、当時小説の話があったある出版社で、「フリーター」をテーマとした小説を書くことを思い立ち、様々リサーチを始めた。その過程で、「派遣」「請負」などの問題点を知り、更には、何度も書いてるがネットカフェで無銭飲食で逮捕される事件がちらほら起きていることを知り、「フリーターのホームレス化」を知った。そうして06年4月、フリーター労組呼びかけの「自由と生存のメーデー06 プレカリアートの企みのために」に行き、小泉政権や新自由主義、規制緩和、構造改革なんて言葉と「都市の寄せ場化」(ネットカフェ難民のこと)についての話を聞き、「そういうことだったのか!」と、何か鮮やかにいろいろな問題が繋がったのである。で、小説の方はリサーチだけで結局一文字も書けないまま、運動にのめり込んでいったのだ。そう、もともと小説を書くためにフリーター周辺のことを調べていたら、いつの間にか自分が運動に参加していたのである。

 こうして長々と書いてきたのは理由がある。05年。4年前。「格差社会」なんて言葉は滅多に聞かなかった。「ネットカフェ難民」なんて存在すら知られていなかった。ワーキングプアという言葉は一部の学者しか知らなかったし、「非正規雇用」という言葉すら、まったく一般的にはチンプンカンプンだったのではないだろうか。生活保護を受けられなくての餓死なんて多くの人が想像もしなかったし、「フリーター」の多くは「好きでやってるんでしょ」とスルーされた。「貧困」なんて言葉は遠い昔に死語になったような感覚だった。
 この4年で、この国が「良くなった」と思えることは、残念ながら私にはひとつも思いつかない。選挙を前にして、改めて今、4年間を振り返っているところだ。ひとつひとつ、ねちねちと掘り起こしたい。

とうとう小説の連載が「すばる」で始まりました!
タイトルは“ユニオン・キリギリス”

「郵政選挙」からの4年間。
あなたは振り返って、何を思いますか?
そしてその「振り返り」を、今回にどう活かすのか?
総選挙まで1カ月半。それぞれが、じっくり考えるときです。

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