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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイト
建物の入り口に飾られた5人の遺影
今回は、前回書けなかった韓国の「ヨンサン」の取り組みについて、書きたい。
私が韓国滞在中の4月29日、韓国では「ある事件」から100日を迎えていた。
「ある事件」は、ヨンサンの再開発を巡って起きた。『怒りのソウル』でも再開発に抵抗するアーティストの話を書いたのだが、韓国では「再開発」が大きな問題となっている。特にイ・ミョンバク政権は「建設政府」とも呼ばれ、住民の声を無視して再開発を強行、いきなり鎮圧するというかなり強引なやり方がまかり通り、社会問題となっているそうだ。
ヨンサンもそんな再開発の波に巻き込まれた地域のひとつ。そこで今年に入ってから、ある悲劇が起きた。再開発に反対して住民が立てこもっていた建物で警察との攻防中に火事が起こり、中にいた男性5人が亡くなり、更に警官も一人亡くなってしまったのだ。この事件は韓国社会に大きな衝撃を与えた。
そうして事件から100日目の現場を訪れたのだが、驚くことの連続だった。
ビルの様子
まずは地下鉄の駅についた途端、溢れるデモ隊と機動隊。現場の建物は火事の時のままの状態で残り、ビルの壁にたくさんの横断幕が貼られている。入り口のところには5人の遺影が掲げられ、飾りつけされている。そうしてそのビルの前にはテントが貼られ、事件からずーっと座り込みが行われているのだ。更に建物の超至近距離で24時間張り付く機動隊と、辺りを24時間取り囲む何台もの警察車両。
更にその裏に3階建てくらいの建物があり、そこは「キャンドルライトメディアセンター」と呼ばれている。韓国のメディアアクティビストたちがヨンサンの事件に憤り、現場の裏の家を丸ごと改装して自分たちのメディアセンターにしてしまったのだ。警察の「虐殺」(彼らはそう呼ぶ)に対する抗議行動は激しく、日によっては何人も逮捕者が出る。私が韓国滞在中にも一度衝突が起こり、6人の逮捕者が出たのだが、彼らはその様子を撮影し、瞬時に編集してネットに上げて世界中に発信するのだ。ものすごく有効なカメラとネットの活用の仕方ではないだろうか。
辺りにはこんな絵がたくさん。「MB」とはイ・ミョンバクのこと
で、このメディアセンターの取り組みをしている一人が私の友人ということもあり、韓国滞在中は何度も足を運んだ。100日目の夜には、「再開発」「居住」「スクオッティング」などをテーマにしたネットの番組も収録。出演したのは私以外には韓国、タイ、バングラディシュ、フィリピン、オーストラリアなどのアクティビストたち。フィリピンの人からは自国の再開発の話やそれに伴って海外に追い出されていく出稼ぎ労働の話が語られ、世界中のメーデーの連携を目指して活動しているというオーストラリアの人からは、インドの空港には2万人もの家のない人たちが住んでいることなどが語られる。世界各国の「居住」問題があらゆる視点から網羅され、私は年越し派遣村や京品ホテルの闘争、「自由と生存の家」などについて話した。
こんなふうに悲劇が起きたヨンサンの現場で、様々な人たちと出会い、交流し、語った。メディアセンターには常にいろいろな国の人たちが溢れ、ひっきりなしに会議やワークショップが行われている。その間にも映像を編集し、次々とアップしていくメディアアクティビストたち。お腹がすけば、火事になった前のビルに行けばいい。そこには活動家のための食事を作る台所があり、朝も昼も夜も近所のオバチャンたちが美味しい御飯を作ってくれているのだ。私も一度食べさせてもらったが、座り込み用のテントで食べる大盛りユッケジャンはものすごく美味しかった。しかも、もちろん全部タダ。この事件には多くの韓国人が憤り、多大な寄付が全国から集まっているのだという。
番組の打ち合わせ中
更にメディアセンターにはみんなに「スーパー」と呼ばれる秘密の地下室があり、そこに大量のビールが保管されていて、こちらもタダで振る舞われる。話を聞くともともとこの建物は亡くなった5人のうちの一人の家で、パブだったそうだ。遺族が快くメディアセンターとしての使用を認めてくれているというその建物は、立ち退きを巡る攻防によって何度も放水車の攻撃を受け、地下室は浸水。大量のビールが水底に沈んでしまった。が、韓国の友人・X氏は「ビールが飲みたい! 」という並々ならぬ情熱でポンプで地下室の水をすべて汲み上げることに成功。そうして無事ビールを「奪還」したのだ。が、一度地下室の水に沈んだビールの瓶はどれも泥だらけで、一度洗面所で洗ってからみんなに振る舞われる。ちょうど口があたる栓のところが錆びていたりするけれど、放水車の洗礼を受けたビールは毎晩多くの活動家たちに無料で振る舞われるのだった。
地下室から「救出」されたビール
事件から100日の日には、ソウル駅近くで追悼集会も開催され、数千人が集まった。また、民主労総のメーデー前夜祭にも、亡くなった彼らの写真が大きく飾られていた。ヨンサンの問題に抗議するデモ申請をしても通らないことから、彼らは自転車で各地を回って再開発問題を訴えるという「一人デモ」という技もあみ出し、5月1日には一斉に自転車の「一人デモ」隊がソウル各地を駆け巡った。そんな活動に学ぶべく、各国のアクティビストたちがヨンサンを訪れていた。悲劇の一方で、そうして抵抗運動が脈々と息づいている。そんな現場の熱気を全身に感じ、「メディアアクティビズム」の無限の可能性も感じたのだった。どんなにひどい状況でも、「方法」はたぶん、いくらでもあるのだ。そんな勇気を貰った。
この間の「自由と生存のメーデー09 六十億のプレカリアート」の動画がアップされました! 見てね。
【Champon】
http://mediachampon.net/ja/node/106
【YouTube】
http://www.youtube.com/watch?v=BKQ-r6VuDI0&feature=channel_page
メディアセンターに屋台、「救出」されたビール、そして「一人デモ」…
驚くべきこのバイタリティ。
国境を越え、教わること、真似したいことはいろいろありそうです。
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