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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を訪ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイトhttp://www3.tokai.or.jp/amamiya/
ドイツのラジオ番組から、「蟹工船」ネタで取材を受ける。
最近、海外から「蟹工船」ブームについての取材が多い。フランスやイギリス、ドイツ。また、韓国に行った時にも日本で蟹工船ブームということは報じられていて、コメントを求められた。
「豊か」で「多様な生き方ができる」上、ちょっと前まで「一億総中流」という幻想が根付き、オタク文化などのイメージなどからなんとなく「楽しく」生きられると信じられてきた日本。海外の人と話していて気づくのは、日本のサラリーマンは「過労死」などで大変だが、フリーターなどは「自由」に「楽しく」生きていると信じられていることだ。様々な日本文化からそんなイメージを読み取るわけだが、しかし、そんなイメージが世界中にバラまかれる一方で、この国の底はゆっくりと抜け始め、そしていつしか「蟹工船」的状況になっていた。その蟹工船は「洗練された横文字の派遣会社」が「あなたの好きな時間に働けます」などと囁きかけ、「自分の自由な意志」で乗っているように思い込まされているのも特徴だ。リアル蟹工船のようにわかりやすい暴力は全面には出て来ないが、「搾取」の形はより巧妙になり、稼ぐために蟹工船に来たのに着いた時点で借金を背負っていた、なんて構図は今の製造派遣となんと似ているだろう。
この日曜日、広島に行ってきた。今年の5月、インディーズ系、独立系メーデーとして広島で初めて開催された「生存のためのメーデー」の実行委員の方々が呼んでくれたのだ。グッドウィルで働き、労災に遭って団体交渉という形で闘っている人や、ガンに冒された正社員が血を吐きながら働く職場で働いていた元派遣の人、残業時間が200時間近い人、弁当工場で外国人労働者とともに働き、その無権利状態に胸を痛める人などなど、様々な人と出会えた。そして外国人労働者や研修生の支援をしている人々、様々な労働組合の人、学生。これから「もやい」に研修にいくという若者にも出会った。広島で野宿者支援をしているという。
広島では、5月のメーデー以来、月に一度くらいの頻度で「生存のための交流会」を開催しているという。そう、年に一度のお祭り的メーデーも大事だけど、こういう取り組みが本当に大切だと思う。メーデーでつながった人々が、月に一度、出会い、ただ語り合う場。今のこの国で「働くこと」「生きること」について、「自己責任論」に押しつぶされない形で話をできる場はあまりにも少ない。競争原理から離れて、ただ愚痴れたり、自分の弱味を見せられる場所。具体的な問題があれば、組合を紹介してもらうこともできるだろう。メーデーが「ただ騒いでるだけ」的批判を受けることもあるが、こういうつながりを作る場にもなっているのだ。そしてもうひとつ、「ただ騒ぐ」ことも相当大切なことだと思う。路上を解放して、路上を奪還して、「デモをする」という当り前の権利を行使し続けること。
そんな「デモを目的としたデモ」が、8月16日、大阪で行われたという(人民新聞1321号より。最近人民新聞ネタが多いが、この新聞はプレカリアート運動にやたら力を入れているのだ)。タイトルは「とんでもなくのびのびするぞデモ」。横断幕やプラカードの言葉は「やれやれ」「ひま人」「人ごみ反対!」とか、限りなくどうでもいい。素人の乱の西日本ツアーで行われたデモなのだが、素人の乱はただいま西日本ツアー中。高円寺発のワケのわからないデモは全国に増殖中だ。「ただ騒ぎたくてやってる」なんて批判は、こういった「とんデモ」の前でまったく意味をなくす。最近、河出書房から『素人の乱』という本が出版されたが、それを読めば「デモ」に対する意識が根底から変わるはずだ。時にデモのために無理矢理「反対」することを探して開催されるデモ。「駅のトイレのティッシュをただにしろ」というどうでもいい要求や「お母さんを大切にしよう」デモなんてものまでもが企画されていた「素人の乱」のあまりにも自由な「権利の行使」は、私をどこまでも脱臼させ、そして自由にしてくれる。
と、ここまで書いてきて、福田辞任のニュース!! 2人続けて逃げた首相! ダブル逃走!
こういう時ばかりは彼らに思いきり「自己責任論」をふりかざしたくなる。日頃不安定層に投げかけられる「甘えている」「だらしない」という言葉を、今こそ一億倍くらいにして返したい。
それにしても、本当に存在感がない人だった・・・。この連載を読み返しても、安倍や小泉の名前はよく登場するのに、現役なのに福田の名前はほとんど出てこない。これほど「いるかいないかわからない」上に批判もされないって、どういうことだ? なんだか今さら気の毒になってきたぞ。
さて、これからどうなるのだろう。なんかこういうの見ると、「若者が政治に無関心」とか、すごいわかる(つか、既に「若者」じゃないのに本気で無関心な同世代とか同世代以上とかもかなり多いが)。だってマトモに関心持ったところで、馬鹿らしいだけなんだもん。なんか「福田に続け! 嫌なことから逃げるデモ」なんてデモまでやりたくなってくる。
「首相辞任」の突然のニュースに、
思わず「無責任な」と声をあげた人もいるのでは?
責任って何? 無責任なのは誰?
と、考え込みたくなります。
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