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あまみや・かりん北海道生まれ。愛国パンクバンド「維新赤誠塾」ボーカルなどを経て作家に。自伝『生き地獄天国』(太田出版)のほか、『悪の枢軸を尋ねて』(幻冬舎)、『EXIT』(新潮社)、『すごい生き方』(サンクチュアリ出版)、『バンギャル ア ゴーゴー』(講談社)、『生きさせろ!〜難民化する若者たち〜』(太田出版)など、著書多数。現在は新自由主義の中、生活も職も心も不安定さに晒される人々(プレカリアート)の問題に取り組み、取材、執筆、運動中。非正規雇用を考えるアソシエーション「PAFF」会員、フリーター全般労働組合賛助会員、フリーター問題を考えるNPO「POSSE」会員、心身障害者パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」名誉会長、ニート・ひきこもり・不登校のための「小説アカデミー」顧問。「週刊金曜日」「BIG ISSUE」「群像」にてコラム連載。雨宮処凛公式サイトhttp://www3.tokai.or.jp/amamiya/
「こわれ者の祭典」、月乃光司さんと。この人が「生きづらい若者のカリスマ」ってところがスバラシイ。パジャマだもんな・・・。
この一週間、単行本などのため、いろんな人と対談をした。
まずは「こわれ者の祭典」の月乃光司さん。元アルコール依存症でひきこもりだった彼は、「生きづらい」若者たちのカリスマ的存在だ。心身障害者パフォーマンスイベント「こわれ者の祭典」を主催し、自らがひきこもり時代に着ていたパジャマ姿で自作の詩を絶叫する。しかし、普段の姿は彼いわく「ダメ会社員」。そんな月乃さんと、生きづらさや働くこと、病気からの回復などなどについて語り、話は「人生を変えた一言」になった。
20代で精神病院に3度入院し、何度も自殺未遂を繰り返してきた月乃さんの人生を変えた言葉は、アルコール依存症の人々の自助グループで、アル中から回復した紳士がみんなの前で放ったこの一言だったという。
「今の僕はもう、台所とトイレとお風呂の区別がつきます。今の僕はもう、窓の外を歩く女子高生を見てオナニーしません!」
その一言によって、のちの彼が作られたのだろう。自分の恥を積極的に公開することが、誰かを救うこともある、ということに気づいたのだと思う。
さて、それでは「私の人生を変えた一言」ってなんだろう。考えてみて、思い出した。それはある人の、「生きづらい奴は革命家になるしかない」という言葉だ。その言葉を発したのは、作家の見沢知廉さん。10代から左翼運動にかかわり、途中、右翼に転向し、スパイ粛清事件を起こして逮捕。12年の獄中生活の中、小説を書き、獄中で賞を受賞して作家となった人という異色すぎる経歴の人である。そんな経験を経て作家となった彼の文章は、いつも私の胸に突き刺さった。彼は鬱屈した若者たちにいつも「ショボい喧嘩をするくらいなら、生きづらいなら、国家に喧嘩を売ってみろ」と呼びかけていた。やたらと「革命」「維新」をけしかけていたのである。
実は私を右翼団体に紹介してくれたのも彼だ。その前、左翼の集会に連れていってくれたのも彼であり、その後、北朝鮮やイラクに行くようになるのも、ある意味すべて彼の仕組んだことである。21歳くらいでフリーターで、生きる意味も目的もなくてリストカットを繰り返していた私に、彼はいかに古今東西の革命家が、その時代の貧しく、何も持たず、生きづらさを抱えた若者だったかを懇切丁寧に説明してくれた上で、世界の仕組みを鮮やかにブッた切ってくれた。世界が180度違って見えた。半径5センチくらいのものすごい狭いことで悩んでいる場合じゃないと、私は世界のことを知るために猛勉強をした。そうすることによって、それまで自分ががんじ絡めになっていた悩みからも解放された。そして活動にハマり、気づけば彼と同じように物書きになっていた。私が一冊目の本を出した時、もっとも喜んでくれたのは彼だ。
その彼も、2年前、マンションから飛び降りて亡くなった。自分がどれほど彼によって様々なものを得てきたのか、改めて考えた。その頃、私は運動の現場からは遠ざかっていた。しかし、もう一度、何かしなければいけないような気にさせられた。なぜなら彼は作家でありながら、常に活動家であり、常に日本に生きる若者に寄り添っていたから。
彼の死からしばらくして、プレカリアート運動に出会った。以来、まるで恋でもしたかのようにこの運動にハマっている。「人生を変えた一言」を思い起こし、改めてそんな自分自身の遍歴を思い出したのだった。
そして8月6日、単行本の対談で、高遠菜穂子さんと初めて会った。イラクの人質事件から3年、初めて御会いする高遠さんは、ものすごくサバサバした「豪快姉さん」だった。
事件後、イラクのストリートチルドレンのための場を作り、今はイラクの再建に力を注ぎ、ヨルダンでイラク人たちと打ち合わせを重ねて「イラク人の使いっ走り」をしていると笑う彼女の姿は、なんだかすごくカッコよかった。なんか、やってることが思いっきり「平和の使者」なのだ。イラクの親しい人たちに、武力での解決や、やられたらやり返すという連鎖では何の解決にもならないことを地道に話し続け、そういう人の輪を少しずつ、広げていく。そんな彼女が再建に力を入れている地域はこの3ヵ月間、一人の死傷者も出ていないという。憲法9条という切り口で話すのはあまり好きではない、という彼女は、それでもイラクの友人たちを「9条を実践している」人たち、と言う。
高遠菜穂子さんと。イラク話、イラク人話で盛り上がりました。あー、中東に行きたい。
対談後、近くのお店で甘酒を飲みながらも話は尽きなかった。高遠さんが住む千歳の自衛隊。女性隊員獲得に力を入れる宣伝の数々。北海道でやたらと放映されているという、自衛隊をカッコ良く描くテレビ番組。就職のない高校生たちが自衛隊の体験入隊で迷彩グッズに屈託なく「超かわいいんですけど!」と盛り上がる様子。そして話は貧困層出身のイラク帰還兵へと繋がり、まさに格差社会が「戦争」に直結していく様が浮き彫りになる。
戦争に行って帰国すれば、今よりもマシな生活が送れると思っていたアメリカの貧困層の若者は、イラクに駆り出されて帰還兵となった今、多くの自殺者を出し、また多くがホームレスになっているという。
私も高遠さんと同じく北海道出身で、将来の選択肢に「自衛隊」が当り前にある中で育った。彼女と話して、イラク帰還兵の人の話を聞かなければ、と強く強く、思ったのだった。
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