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教えて塾長!伊藤真の憲法Q&A

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いとう・まこと 1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。著書に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)、『中高生のための憲法教室』(岩波ジュニア新書)ほか多数。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら。

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第6回「裁判員制度について」(その2)

前回に引き続き、裁判員制度についての疑問です。塾長も問題視し、まだ明確になっていないルールの修正を呼びかけている事柄について、説明しています。

Q14 基本的に有罪、無罪についてや、有罪の場合の量刑についても、「多数決」で行われるそうですが、死刑の判決についてまで「多数決」で決めるということに強い違和感を覚えます。そして、このような重大な場面において、少数意見を無視するということは、立憲主義や憲法の精神に反するのではないですか?

A14 裁判員裁判では、弁論手続きが終わったあとに評議を行い、次いで、どのような判決を言い渡すかを、裁判官と裁判員が評決という手続きで決めることになります。評議で全員が納得していれば、評決も全員一致になりますが、議論をつくしても意見があわなければ、有罪・無罪、刑の重さのどちらも、多数決で決めることになります。被告人を死刑にするかどうかも、仕組みのうえでは多数決で決めてよいことになっているのです。

 これに対しては、死刑判決は全員一致を要件とすることをルール化すべきだという意見が、国会議員の間でも党派を超えて強く主張されています。たとえば2008年3月に発足した「死刑廃止を推進する議員連盟」(会長亀井静香衆議院議員)や、2009年4月1日に発足した「裁判員を問い直す議員連盟」(代表世話人亀井久興衆議院議員)などで、そうした意見がまとめられています。

 私は死刑に反対の立場です。日本国憲法でいちばん大切な価値が、憲法13条前段の「個人の尊重」、すなわち、一人ひとりをかけがえのない存在として大切にする価値だと考えたときに、どのような凶悪犯でも、人間として存在する限り、その人にもかけがえのない命が存在することを認めなければならないからです。

 人であるならば人として生きる権利をきちんと認める。そこが人権の出発点です。死刑は、命という最大の人権を、刑罰の名の下に――いわゆる公共の福祉の名の下に――合法的に奪おうとします。それは国家による殺人であり、最大の人権侵害です。

 ですから、私は死刑制度が憲法に違反すると考えていますが、仮に死刑制度を前提に考えてみても、それを運用するにあたっては、最大限度、慎重に慎重を期さなければなりません。その意味で、死刑判決は少なくとも裁判官・裁判員全員の一致が必要だと考えています。

 死刑という最大の人権侵害が間違って起こらないように、司法権の権力行使を監視するための裁判員制度という観点からも一人でも疑問を感じる人がいるときには、そうした権力行使は控えるべきなのです。

 また、裁判員が、いっときのマスコミ報道や世論に押されて、安易に厳罰主義、死刑の方向に流れてしまうおそれがあること、「国家による殺人に加担することはいやだ」と思う裁判員の思想を尊重することからしても、死刑判決には全員一致のルールを明確化すべきでしょう。

Q15 問題が山積みの上、多くの市民が「参加したくない」という声の中でスタートしてしまうこの制度ですが、施行後に市民の声を反映して、制度の変更や場合によっては、停止、廃止、ということもありえるのでしょうか?

A15 2008年1月に最高裁判所が行った「裁判員制度に関する意識調査」によると、裁判員として裁判に参加することについて、「あまり参加したくないが義務なら参加せざるを得ない」が44.8%、「義務でも参加したくない」が37.6%です。参加したくないと思う人が8割を超えていることがわかります。

 また、読売新聞社が2009年4月25〜26日に面接方式で実施した裁判員制度に関する全国世論調査でも、参加したいと思う人は、前回(2006年12月)の20%から18%に減少し、逆に、参加したくない人は、75%から79%に増加しています。

 一度走り始めた制度を、実施前に停止することは、よほどのことがない限りむずかしいことです。そうであればこそ、何か新しい法制度を作るときには、その実施前に、本当に憲法にマッチするかどうかをしっかりと調べなければなりません。

 そういう姿勢は、司法制度改革審議会意見書にも、「具体的な制度設計においては、憲法の趣旨を十分にふまえ、これに適合したものとしなければならないことはいうまでもない」と明記されていました。

 ところが、その後は、憲法上の問題点を議論することや、憲法との整合性をよく調べないまま、裁判員法は成立してしまいました。裁判員制度の設計に関わった人たちは、裁判員制度はよい制度なのだし、憲法問題をのんびり議論していては、いつまでたっても改革は進まないと考えていたのかもしれません。

 しかし、憲法は権力を行使する国に守らせる法です。国に守らせることで、人権を守るためにあるのです。今頃になって憲法問題が噴出するくらいならば、法案審議の段階で、憲法違反の疑いが消えるほど、議論を尽くすべきでした。

 また、被告人の人権保障という観点からも多くの問題を含んでいますから、被告人自身にこの裁判員による裁判を受けるかどうかの選択権を与えるべきでした。運用の中で改善すればよいというのでは、被告人を実験台にするようなものです。

 ただそうはいっても、裁判員制度はもう運用がはじまります。ですから、これから裁判員制度を運用するなかで、どうすれば裁判員制度が憲法に適合した運用になるかに知恵を絞り、運用面で対応できない事態が生じたときに一旦停止させて制度を見直し、そしていくら見直しても憲法に適合させることが困難だということがはっきりしたときには、廃止することも視野に入れておくべきです。

 その際には政治によるリーダーシップが求められます。市民の声を吸い上げて政策に反映させるのが政治であるという理由だけではありません。現実的にも、裁判員制度が始まってから、被告人や裁判員がこの制度の違憲性を主張して裁判で争ったとしても、最高裁判所が違憲の判断を下す可能性は限りなく低くそうです。それは最高裁長官をはじめとして裁判所自体がこの制度を強く推進してきたことからも明らかでしょう。

 結局、この制度を監視し、廃止も含めた是非を判断する鍵は国民が握っているのです。

憲法違反を理由に制度の廃止や修正を訴えるのは、難しそう。
ならば、やはり市民の声を政治に反映させ、政治判断しかないようです。
いずれにしても、私たちが受け身一方でいては、この裁判員制度は、
どんどんおかしな方向に行ってしまいそう。
「国民の権利」として、監視を続けていきましょう。
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