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麻生首相が就任直後、
「集団的自衛権は憲法解釈を変えて認めるべきだ」との持論を述べました。
浜田防衛大臣をはじめ新しい閣僚たちも、
「集団的自衛権が行使できるかどうかの憲法解釈の議論を深めるべきだ」
との考えを示しています。福田前内閣の時は、封印されていたこの議論、
タカ派内閣になったとたん、早速吹き出してきた模様ですが、
これをどう考えるべきでしょうか?
いとう・まこと1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら。
「伊藤真のけんぽう手習い塾」から生まれた本です。
集英社新書より絶賛発売中!
塾生をつれて中国に行ってきました。毎年恒例のスタディツアーです。あるべき日中関係を法律家として考えるために、まず現地を見て、事実を直視することが必要だと考えているからです。今回は重慶、南京、上海を訪問しました。
1937年12月、当時の首都であった南京の陥落とともに大虐殺が行われます。蒋介石の中国国民党は、揚子江をさらに上って重慶に臨時政府を置きます。日本軍はこの重慶に1938年から4年間にわたり無差別爆撃を繰り返し、約10万人の犠牲者を出しました。
この爆撃の特徴は、地上軍は侵攻せず、航空戦力のみの攻撃で、軍事目標に限定せずに都市そのものを無差別爆撃した点にあります。ドイツ空軍によるスペインのゲルニカ爆撃の1年後に行われたこの重慶爆撃によって、日本は、戦略爆撃の作戦名を公式にかかげ、組織的・継続的空爆を実施した最初の国となったのです。
その後、イギリスによるドレスデン空爆、アメリカによる日本への無差別爆撃および原爆投下、朝鮮戦争、ベトナム戦争、コソボ、アフガン、イラクと、市民への無差別空爆による虐殺の歴史が続きます。
こうして日本が、戦争法規にも国際人道法にも反する新しい戦争の突破口を開いてしまったわけです。
ゲルニカの日から60年後の1997年ドイツのヘルツォーク大統領はゲルニカ市と市民に対して謝罪しました。ドレスデンを空爆したイギリスは2000年に、謝罪と破壊された聖母教会の再建費用負担を申し出ました。日本は中国に対して、重慶爆撃の謝罪はおろか事実の認定すらしていません。
今回の訪問では、重慶、南京で生存者の方々の話を聞き、爆撃跡や虐殺跡、記念館などを見学してきました。こうした戦争被害に遭われた方や中国側の弁護士、歴史家などの関係者の話の中に、必ずといっていいほど、「当時の軍国主義、侵略戦争がいけいない。今の日本人を憎んではいない。」という言葉が出てきます。
悲惨な過去の事実に向き合い、いたたまれない気持ちになっているときに、この言葉を聞くと、正直にいって少し救われた感じがします。ですが、同時に「侵略戦争がいけない」と聞き続けていると、ちょっと違うぞという気持ちも持ってしまいます。
確かに侵略戦争ではあったけれど、日本としては自存自衛のための戦争であり大義をかかげて戦っていたわけです。当時の多くの日本人はこの戦争に正義を感じていました。つまり侵略戦争であろうと自衛戦争であろうと、正義の戦いであろうとなんであろうと戦争そのものが人間のやってはいけないことだという教訓を導き出さなければいけないのです。
侵略戦争はいけなかったと言って謝罪するだけでは、憲法9条を持つ日本の態度として不十分だと考えます。過去の悲惨な加害の歴史に向き合い、そこから、どのような名目の戦争もやってはいけないという教訓を導きだし、それを共有できるような努力をして初めて、未来にむかっての新しい関係が築けるのだと思いました。
日本の戦争責任についてよくドイツと比較されます。過去の戦争への向き合い方には、ドイツと日本とで3つの決定的な違いがあると指摘されています。
1970年、西ドイツのブラント首相がワルシャワ・ゲットーの記念碑前でひざまずいて謝罪した姿は印象的でした。1985年に行われたヴァイツゼッカー大統領の演説(荒れ野の40年)はあまりにも有名です。「過去に目を閉ざす者は現在も盲目となる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい。」という演説です。
2005年、アウシュビッツ解放60周年にあたってシュレーダー首相は、「現在生存しているドイツ人の、圧倒的多数は、ホロコーストに対する罪を負ってはいません。しかしながら、彼らは特別の責任を負っています。国家社会主義の戦争と民族虐殺を心に刻むことは、私たちの生きた憲法の一部となっております。」と演説しました。
そして、2711の石碑を建て、約39億円の建設費を費やして、過去を心に刻む警告のためのホロコースト記念館をベルリンの一等地に完成させます。
これらの謝罪と賠償などの具体的な行動を通じて、ドイツは60年の歳月をかけて主体的、意識的に近隣諸国との信頼関係を築き上げてきました。それ自体はすばらしいことであり、本当に日本も見習うべき事ばかりです。
しかし、こうした信頼関係の回復の後にドイツが行ったことは何か。再軍備してNATO軍として、コソボ空爆、アフガン空爆に参加しているのです。再び戦争をするために、近隣諸国の信頼を勝ち取ったのではないはずです。しかし、皮肉にもドイツはこうした真摯な謝罪と反省の結果、現在の戦争に加担することを可能としてしまったのです。
日本はアジア諸国に心からの謝罪と過去の事実を永久に心に刻むことの実践、そして賠償を行うべきだと考えています。そうした過去の清算を行わずして、日本の未来はありません。
しかし、そうしてアジアでの信頼関係を回復した後にめざすべきものはドイツとは異なったものであるべきです。近隣諸国の信頼を勝ち得た上で、憲法9条を改正して再軍備するようでは、重慶も南京も東京も広島も長崎も、なんのための市民の犠牲だったのでしょうか。
中国と軍事同盟を結び、新たな戦争に加担することを可能にするために、中国との信頼関係を回復するのではありません。中国に軍縮を呼びかけ、核放棄を説得することができるようにするために信頼関係を築くのです。
正しい歴史認識を持ち、誠意ある行動をとってアジア諸国の信頼を回復した先にあるものは、一切の戦争を否定する平和な社会でなければなりません。憲法9条を持つ日本の進むべき方向を私たちはしっかりと見据えていかなければならないのです。
「一切の戦争を否定する平和な社会を築く。そのために近隣諸国に呼びかける」
それが9条の理念であり日本の進むべき道だという、
当たり前の認識が今、あやしくなっています。
集団的自衛権の行使とは、
すなわち日米同盟を結ぶアメリカの戦争に参加することを意味します。
そのように考える日本のリーダーで良いのか、
将来の日本はそれで良いのか、
私たちは今こそ、熟考する時です。
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「伊藤真のけんぽう手習い塾」は、今回が最終回です。
次回からは、新シリーズ「教えて塾長!伊藤真のQ&A」が始まります。
お楽しみに!
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