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伊藤真のけんぽう手習い塾(第71回)

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北京五輪は、「平和の祭典」を掲げ、
盛大な「お祭り」を開催しましたが、世界を見渡せば、
数々の紛争や国際問題の火種がくすぶりつづけています。
これらをどう解決していくのか? 
「たとえ自衛のためであっても軍事力を使うべきではない」とする
「非暴力防衛」の実践について、具体例を用いながら検証していきます。

いとう・まこと1958年生まれ。81年東京大学在学中に司法試験合格。95年「伊藤真の司法試験塾」を開設。現在は塾長として、受験指導を幅広く展開するほか、各地の自治体・企業・市民団体などの研修・講演に奔走している。近著に『高校生からわかる日本国憲法の論点』(トランスビュー)。法学館憲法研究所所長。法学館のホームページはこちら「伊藤真のけんぽう手習い塾」から生まれた本です。
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非暴力防衛の事例を検証する

グルジア紛争はなぜ起こり、
市民の被害が増えたのか?

 オリンピック期間中も、外国人記者の拘束やチベット問題、グルジア問題など、もっと報道されるべき問題が世界では起こっていましたが、人々の関心はもっぱらオリンピックだったようです。

 マスコミもこの2週間は北京オリンピック一色でした。それにしても、開会式などでは女性や子どもたちをあそこまで国家の威信のために利用するのかと改めて驚きました。人権という観念はけっして人類普遍の価値ではないのだと思い知らされました。

 さて、地域紛争の原因にはもともと、民族、宗教、利権など多くの事情がありますが、こうした紛争解決に軍事力が役立たないことを今回のグルジア問題でも痛感しました。

 黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方にロシアとトルコに接してグルジアという国があります。旧ソ連から独立した後も、グルジアはアブハジア自治共和国、アジャリア自治共和国、南オセチア自治州という民族独立とナショナリズムの火種を抱えた国で地域紛争が絶えませんでした。

 グルジアはもともと反ロシア的だったため、ロシアはグルジアの勢力を弱めるために、南オセチアの分離独立運動を支援していました。他方、グルジアはカスピ海の原油を黒海に送るパイプラインを押さえているため、そこに魅力を感じる欧米諸国と接近しました。

 ニューヨークで弁護士もしていたサーカシビリがグルジア大統領になってからは特に、NATOと接近し、自由主義経済を推し進め、ロシアとの対立を深めていきます。

 国際的にはグルジアの領土ですが、1992年から事実上独立状態にあった南オセチア自治州にグルジアが8月7日、軍事侵攻し市街地を攻撃しました。それに対してロシアが南オセチア自治州を支援する形でグルジア軍と衝突したのです。

 ここに「グルジア(背後に英米仏)」対「南オセチア自治州(背後にロシア)」という対立構造が見えます。国際的にはロシアへの非難が強いようですが、今回の武力衝突のきっかけはグルジアによる軍事侵攻です。

 今回は自治州の独立併合問題ですが、事実上独立している南オセチア側からみれば、これは外敵に対する自衛戦争とみてよい状態です。こうした外国からの軍事侵攻のときに備えて軍隊を持ち、軍事的な防衛をするべきだというのが従来からの防衛論であったわけです。

 このグルジアによる軍事攻撃で多くの南オセチア自治州の市民が犠牲になりましたが、これにロシア軍とともに反撃したことで被害は拡大しました。結局はフランスの仲裁によって両軍とも撤退しましたが、軍事的方法によっては問題を解決できなかったのです。

 もちろん問題を単純化するつもりはありませんが、たとえ自衛目的であっても軍事的抵抗は多くの市民の犠牲を伴います。こうした軍事衝突を引き起こす地域紛争がいまだなくならないことは、非暴力防衛の検討が無意味であるとする理由にはなりません。

非暴力抵抗の実例からわかること

 今回は、市民的非暴力防衛の検討を少し進めたいと思います。軍事的な防衛手段に頼らない市民的防衛または非暴力防衛は、非現実的であるという一言で片付けられてしまうことが多いのですが、実際の事例も歴史上存在しています。そのいくつかを紹介してみましょう。

●ルール闘争(1923年)
 フランスとベルギーにルール地方を占領されたドイツは、鉄道員を中心に石炭の搬送を拒否するなどの抵抗を行いました。その結果、フランス、ベルギーは多くの要員を投入せざるを得なくなり、その占領政策に大きな打撃を与えることができました。

●ノルウェーの教員による抵抗運動とスポーツストライキ
 ノルウェーがナチに占領されたとき、ノルウェーの教員はファシズム的教育統制に不服従と非暴力の闘いで抵抗しました。その結果、ナチス傀儡政権はその後のファシズム国家建設の計画を断念せざるを得なくなりました。

 このようにノルウェー人はドイツ人に対してもノルウェーのファシスト党に対しても政治的協力を幾度となく拒否したのですが、スポーツの場面でも協力を拒否しました。ファシストの支配するスポーツ組織の一切の活動が占領の間、終始ボイコットされたのです。
 スポーツ観戦も含めてのこうしたスポーツストライキは上からの指導に基づいて行われたものではなく、むしろ、市民の側から、全国のスポーツ団体内部から生じてきたものでした。

 よくスポーツと政治は別だとオリンピックの際に主張されることがありますが、実際にはさまざまな政治利用がなされてきました。ヒトラーもベルリンオリンピックを最大限活用しました。中国も今回のオリンピックを政治利用したことは明らかです。こうしたスポーツの持つ政治性を逆に利用して非暴力抵抗の手段に使ったのです。

●チェコ事件(1968年)
 ソ連軍を始めとするワルシャワ条約機構軍の侵攻に対してチェコスロバキアの民衆が団結して非暴力で抵抗しました。侵略に対しての軍事的抵抗はさしひかえ、そのかわりに占領された後に非暴力の抵抗によって占領の失敗を招こうとしました。ソ連軍兵士への市民による説得やパンフレット配布を始め、敵軍兵士の道義心に訴える心理作戦の結果、都市に入ったソ連軍兵士の士気は短期間で喪失していったのです。

 すでにこのコラムの62回で検討したように、占領されたことは全面的な敗北ではありません。仮に軍事侵攻されるような事態に至ったとしても、その時点で軍事的な反撃をするのではなく、占領されたことを前提に非暴力抵抗が始まるのです。外敵が占領を始める段階から非暴力による抵抗を開始して、これを撃退しようというものです。

 もちろん、こうした事例も、必ずしも完全な成功を収めたものばかりではありません。しかし、軍事的、暴力的抵抗に比べて被害が少なく一定の効果をあげている事実に着目するべきです。

 領土の防衛に固執することなく、占領支配という敵の本来的な目的に対して、非暴力防衛の手段は一定の効果をあげることができます。支配者の権力は、究極的には、その支配する民衆からの支持に依存しているからです。

 私たちはこうした非暴力防衛の事例から、さらに効果を上げるためには前提条件として何が必要かを学習し、いくつかの教訓を引き出すことができるはずです。次回から、この点の検討を進めていきます。

「占領されたことは、全面的な敗北ではない」とする塾長の考えを多くの人が共有し、
そこからさまざまな手段を考えていければ、
「非暴力防衛」の現実味が帯びてくるように思います。
さらに検証は続きます。

法学館のHPに塾長と川口創さん
(イラク派兵差止訴訟弁護団事務局長)の対談が掲載されています。
「私たちも今、憲法違反のイラク戦争に参加している」ということに、
意識的になりたいと思います。


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