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伊勢崎賢治の15歳からの国際平和学

戦争とは? 紛争とは? 国際貢献とは? そして平和とは・・・?
世界各地で「武装解除」などの紛争処理に関わり、
現場を誰よりも知る伊勢崎賢治さんが贈る、
とびきりわかりやすくてオモシロイ「平和学講座」です。
伊勢崎さんが「第二の故郷」と呼ぶアフリカのシエラレオネが舞台の
“「ブラック・ダイヤモンド」が語らなかったこと“も、いよいよ最終回。
これまでの連載を見逃したという方は、右上のバックナンバーからどうぞ。

武装解除 いせざき・けんじ●1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)などがある。
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第5回:「ブラッド・ダイヤモンド」が語らなかったこと
~平和か。それとも正義か。〜

(武装解除のために招集され、登録を待つ少年兵たち。彼らは加害者か、それとも被害者か。)

平和を選ぶのか、それとも正義を選ぶのか。
正義を追求することで平和を達成することができるのか。
そもそもだれにとっての平和なのか。
だれにとっての正義なのか。

 現在のシエラレオネでは、一応“平穏”に国家の復興が進んでおります。皆さんも、観光旅行しようと思えば、行けますよ。特に首都フリータウンなら、ちゃんとしたホテルも再建されておりますし、きれいなビーチもあります。でも、物乞いをする大勢の少年・少女たちの姿も眼にするでしょう。そして、その子達の手足が欠けていることも。
 余裕があったら、ちょっと足を伸ばして郊外の小学校を2、3、覗いてみてください。シエラレオネ人は人懐っこい人たちですから、先生を呼び止めて許可をもらえば、教室の中を見学できるでしょう。そうすると、教室の中に必ず一人二人、周りの子供と不釣合いな“青年”がいるはずです。他のクラスメートたちがボロボロの制服を着て裸足なのに、パリッとした身なりをしている。血色もいい。これらが恩赦され、外国の援助を受けた特別な更生施設で社会復帰の恩恵を受けている少年兵たちです。少年兵は、武装解除当時3千人以上いて、その全てが恩赦され小学校、中学校などに復学しているのです。
 その他の年少のクラスメートたちは、彼らが内戦中何をしたか鮮明に覚えているのです。直接の被害者、もしくは家族に被害者がいる子も大勢いるでしょう。

 ロメ合意は何をもたらしたのか?
 結論を言いましょう。
 アメリカを中心とする国際社会の大人たちは(僕を含めて)、一つのメッセージを、確実に次の世代に刷り込んでしまいました。
 「一人二人殺せば殺人事件として警察に捕まるが、千人単位で殺せば戦争犯罪になり、そうすると結局は恩赦され、社会復帰の恩恵も受けられる。」

 どうしたらよかったでしょう?
 アメリカが仲介したとは言え、“テロリスト”と妥協するロメ合意が国際倫理規範(つまり戦争犯罪は裁かなければならないという。裁かなければ、また戦争は繰り返されるだろうという)に著しく反するものであると知りながら、それ以外の戦争を止める方法もないので“シカト”を決め込んだ国連。そればかりか、それを利用して、武装解除を成功させた国連(つまり僕)。

 現在、国連の主導で、シエラレオネ特別法廷という戦争犯罪法廷が動いています。他方から見ると、これはロメ合意違反なのですが、とにかく、この辺の一連の出来事は、明確な論理が成り立たないのです。世界で一番強大なアメリカが独自にやったことに、その他の国際社会が何とかつじつまを合わせているのですから。
 しかし、武装解除をやっているとき僕らは、当時虐殺を直接現場で命令した指揮官クラスの人間が400人以上いると、全ての名前まで把握していました。戦争犯罪法廷というのは、通常、たいへんな時間と金を要するものですから、裁けても本当に首脳部だけで、数十人にも満たない数になるでしょう。つまり、ほとんどの指揮官たちが、一兵卒と同じように恩赦を受けるということになる。
 どちらにしろ、これが、現在、人類が持っている“正義”のキャパなんですね。その国際正義の限界をシエラレオネ国民は、もっとも身近に感じ、なす術も無く生きているわけですね。

 なぜ、“正義”と、わざわざ“ ”を使ったかというと、たぶん…、これは若い人たちには言いにくいことなのですが、たぶん、この世の中は、というより人類はまだ、アメリカ人にも、アフリカ人にも、全ての人間にとって共通な“正義”を持ち合わせていないということなのでしょうか。
 今、“正義”の敵は“テロリスト”であり、“テロリスト”と妥協するのは非“正義”つまり悪なのですが、そもそも“テロリスト”とは、誰がそれを決めるのでしょう。RUFは、当初は“フリーダム・ファイター”でした。それが、多くの人々を殺すにつれ、“テロリスト”になっていきました。なら、“テロリスト”になる基準は、殺した数なのでしょうか? そのRUFと妥協したのはアメリカです。
 殺した数が問題なら、今、日本を含めたアメリカの有志連合が躍起になって追い回している、アメリカで9.11の同時多発テロを起こしたアルカイダとタリバンはどうなのでしょうか? 殺した数では、シエラレオネの“テロリスト”に遠く及びませんが、今では“世界”の敵です。
 つまり、“誰を殺したか”、が問題なのでしょう。

 僕の第二の故郷シエラレオネで起きたことは、僕自身にとっての「原体験」です。原体験とは、自らの考え方、行動の全てに決定的な影響をあたえる体験のことです。
 若い皆さんは、5回にわたって連載したこの一連の話で、僕の意図を、大人の世界の矛盾、そして何かを信じることは無意味だと言っている。こういうふうに受け取るかもしれません。そういう受け取り方をされても仕方がないと思っています。そして、結局アメリカのように力があるものが勝つのだ、と達観する人もいると思います。それも仕方ないでしょう。

 僕は、若いときからずっと人に説教をされることが大嫌いな人間でしたから、この辺でこの話は止めます。しかし、最後に一言。
僕は、「人類に共通な正義はない」という真実をしっかり胸に刻んで、いかに人々が自らの原因でない理由で死ぬ状況を回避するか、それを常に考えて行動したいと思っています。

「人類に共通な正義はない」という、ショッキングとも思える言葉。
けれど、だからこそそれを前提とした上で、
私たちが「どう行動するか」が問われるのかもしれません。
次回以降は、また新たなシリーズが始まります。ご期待ください。

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