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今年で結成23年を迎える寿[kotobuki]は、
沖縄出身のナーグシクヨシミツさん、広島出身のナビィさんのユニット。
沖縄民謡とオリジナルのナンバーをレパートリーに、
日本国内のみならず世界各地でのライブ活動を展開しています。
平和や環境などをテーマにしたイベントへの出演も多いおふたりに、お話を伺いました。
ことぶき
ナビィ(Vo)、ナーグシクヨシミツ(Gu&三線)の男女二人組ユニット。1985年の結成以来、6枚のオリジナルアルバムを発表。1991年の「エストニアロックサマー」参加をはじめ、日本国内のみならず世界各地でのライブ活動を展開中。
先日、新宿のライブハウス「Naked Loft」で開かれた、沖縄・東村高江で進む米軍ヘリパッド建設(※)反対イベントでのライブを見せていただきました。おふたりは、これまでにも辺野古の海上基地建設反対のイベントなどにたびたび参加されていますが、この高江の問題を初めて聞いたときには、まず何を思われましたか?
※ヘリパッド建設問題…沖縄本島北部・やんばるの森に囲まれた東村高江では現在、米軍基地一部「返還」との交換条件として定められた、ヘリコプターの離着陸地帯である「ヘリパッド」の建設が予定されている。周辺の自然環境や住民の生活に多大な影響が出ることが懸念されており、住民らを中心とした座り込みなど、反対運動が続いている。
私はまず、すごく空しくなっちゃったというのがありました。結局、辺野古の10年(※)って何だったんだろうという気持ちになってしまって。
この10年の間、辺野古の住民がいて、内地から支援に行った人もいっぱいいて、一過性のものではない反対運動がずっと継続されてきたわけでしょう。特にここ最近はずっと座り込みもやっていたし。それによって、政府はずっと「(基地を)つくるぞつくるぞ」と脅して、いっぱい妨害もして、お金も与えて、それでも建設できなかった。それは、すごいことだと私は思っていたんです。
でも、この高江の話を聞いて、沖縄県とか日本政府とか、もちろんアメリカにとっては、別にそんなにすごいことじゃなかったのかなという気がしてしまって、それが空しいというか、ショックだったんですね。だって、高江でも辺野古と同じことはきっと起こる。反対運動が高まって、またヘリパッドは10年つくれないかもしれない。でも、だから「もう基地を作るのはやめようか」とはならないんだな、と思って。
※辺野古の10年…普天間基地「返還」の代替措置としての沖縄県名護市・辺野古への米軍基地建設は、1996年の日米特別合同委員会(SACO)合意によって定められ、翌97年に米国防総省による具体的な計画案が出された。同年12月には、辺野古への基地移転の是非を問う名護市住民投票も実施され、過半数が反対票を投じるという結果が出ている。
むしろ、高江の状況を見ていると、建設に関しての情報を出さないとか、村外・県外からの注目を集めさせないようにするとか、そういう面において日米政府は辺野古から「学んだ」のじゃないか、という気がします。
そういうところだけずる賢く学びやがって(笑)みたいなところはありますよね。敵の大きさ、みたいなものを感じました。
ヨシミツさんはいかがですか。ご自身も沖縄の出身ですけれど、最初に話を聞いたときには何を感じられました?
僕自身は、変な言い方だけどあきらめというか、そんなにショックはなかったんです。辺野古もそうだけど、沖縄の中で基地がたらい回しにされている、ずっとその繰り返しだから、「ああ、また同じことなんだな」って。
もちろん、それで行動をやめるというわけではないし、だからこそそういう状況を頑張って伝えなきゃいけないんだと思ってはいますけど、状況に慣らされちゃってるみたいなところはありますよね。この何十年の間でも、沖縄の人が「あきらめる」ような状況がつくられようとしているのは、ありありとわかりますし。
沖縄では2月に、中学生の少女暴行事件もありましたね。
あの事件の後、アメリカ人のTVタレントが「アメリカ人として悔しい」と言っていたけれど、もし米兵がみんな本当の意味で愛国心のある人なら、それから本当に「日本を守る」ために来てるんなら、あんなことは絶対しないと思う。
実際には、そんなことのために軍隊に入っているんじゃなくて、衣食住の安定を求めて来た人のほうが圧倒的に多いんですよね。以前、米海軍の退役軍人で平和活動家のアラン・ネルソンさんに話を聞いたときにも「海兵隊に入ってくるのはすごく(経済的に)貧しい人たち」とおっしゃっていました。
もっと言えば、そこで就職先が軍隊しかないというアメリカという国自体もすごく歪んでると思うし、日本がそこに頼ろうとしてることもおかしいと思う。それって、今にも潰れそうな保険会社に保険料を払っているようなものじゃないかと(笑)。
もちろん、アメリカにもいい点はいろいろありますよね。たとえば「民主主義が根付いている」とはよく言われますし、女性の社会進出も日本よりずっと進んでいる。でも、なぜかそういうところは見倣わないで、軍事関連のこととか、福祉の切り捨てとか、よくないところばかり見倣っていっているような気がします。
ほんとにそう。それに、ヨーロッパとかポリネシアとか、アメリカ以外の国にもいいところはいっぱいあるのに、それは全然取り入れようとしないで、常に見倣うのはアメリカなんですよね。
さて、おふたりは、基地問題だけではなく、平和や憲法をテーマにしたイベントなどにもたびたび出演されていますが、憲法9条について思うことをお聞かせいただけますか。
一つ思うのは、やっぱり沖縄のことです。戦後、沖縄の人たちは、日本国憲法の、平和憲法のもとに戻りたい、といって復帰運動をしていたわけですよね。戦争を体験した自分の先輩たちが、心から求めていたものがこの憲法だった。だから絶対に守りたいという思いがあります。
それからもう一つ、僕は今の日本というのは、いろんな意味で世界に自慢できるものがどんどんなくなっていっていると思うんですけど、その中で憲法9条は、未来の日本の子どもたちが一番誇れるものになるんじゃないかなと。世界の国々を見ていても、じわじわとそうなってきている感じがするし、その意味でもこれはぜひ守らないと、と思いますね。
誇れるものがない、わけではないと思う。たとえば、今流行ってるマクロビオティックなんて、もともとは日本古来の食生活だよね。人間の体も自然の一部なんだっていう考え方そのものが日本人のずっと持っていたものだし、そういう感覚は素晴らしいと思うんです。
ただ、戦後の日本では評価されなくて廃れつつあったそういう考え方が、最近はアメリカから逆輸入されて日本の中に再び根付いてきている。もしかしたら憲法9条にも、そういうことがあるかもしれないよね。
海外で評価されたことによって、また日本で評価されるようになるとか?
仮に、1度改憲されて9条がなくなってしまったとしても、未来永劫日本が「戦争の放棄」という理念をなくすわけではなくて、やっぱり自分たちのもとにそれを取り戻さなくちゃ、ということになるのかもしれないと思うんですよね。
ミーツーニーニー(ヨシミツさん)も今沖縄のことを言ったけれど、沖縄では戦後もずっと「有事」が続いていて、憲法9条には守られていなかったわけですよね。それに比べると、戦争のない時代に生まれて、戦争のない時代をずっと経験してきた私たちは、やっぱり「ボケちゃってる」んだと思うんです。今が「平和である」ことも、憲法9条があることも忘れてしまってる。戦後、アメリカの占領下に置かれていた沖縄の人たちが「憲法9条を持つ日本のもとに戻りたい」と思ったような気持ちを持ったことって多分、私たちはないから。
だからこそ、一度外に出ることで、その9条の価値に、もう一度私たちが「気づき直す」きっかけになるかもしれない、と。もちろん、それは「改憲されてしまう」前でありたいですが。
今でもすでに、「日本の憲法9条ってすごい」って言ってる人たちは、大きな組織ではなくても世界にたくさんいるわけでしょう。「マガジン9条」で、そんな人を1人1人紹介していくっていうのはどうですか? 今週はスペインの何とか島のおじいさんの意見で、来週はニカラグアの何とか君の声です、みたいな(笑)。これだけネット社会になっているんだし、世界のそういう人たちとも、どんどんつながっていくべきですよね。
一方で、ここ最近はネット上では、「憲法9条を変えて軍隊を持つべきだ」という意見も広がっていますよね。お2人もそれぞれご自身のブログを持たれていますが、そこへの書き込みなどで何か印象に残っていることはありますか?
ショックだったのは、「沖縄の事をわかった気になっているだけだ」というような事を書かれたとき。自分としてはナイチャーとして感じた「沖縄」を発信し、わかったつもりにならない努力をして来たつもりだったので「何が足らなかったのかなぁ」とすごくいろいろ考えました。
でも、それよりも、もっと衝撃的だったのが——ネット上でのことではないんですけど——実は、渋谷で署名活動をしていたときに、見ず知らずのサラリーマンに首根っこを掴まれたんですよ。
ええっ! どうしたんですか? 署名活動は何の?
イラクで、3人の日本人が武装勢力の人質になっていたときで、その救出を求める署名を集めていたんです。そしたら、突然「あんな奴ら死んでもいいんだよ。俺なんてこんな大変な目に遭っても誰も助けてくれないのに、何で助けなきゃいけないんだ」って。
突然、ですか? それは怖いですねえ。
本当に真面目そうな人なんですよ。それが「自分のケツも拭けない奴が、イラクの人間を守ろうなんていうことが間違ってるんだ」とか、罵詈雑言。それで、家に帰った後も虫が治まらなくて、自分のブログにその話を書いたんですね。
そうしたら、それに対して「日本のサラリーマンはみんな頑張ってる。イラクであんなことやってる奴らは税金も払ってないのに何言ってるんだ」みたいな書き込みがあったんですよ。いや、だからボランティアとかやってる人の中にも、税金払ってる人もいれば払ってない人もいるんだって! と突っ込みそうになりました(笑)。
あの事件のときは、人質になっていた方たちやその家族へのバッシングも酷かったですよね。
本当に、日本人が大嫌いになりそうでした。でも自分も日本人なんだなと思ったらノイローゼになりそうで(笑)。
マスメディアも酷かったと思います。フォトジャーナリストの豊田直巳さんに聞いた話なんですが、人質になっていた方たちのご家族が最初に発言したのは、「迷惑をかけてすみません、助けてください、お願いします」ということだったんですね。豊田さんは彼らとずっと一緒にいて、それを見ていたんだそうです。
ところが、メディアはそれを最初は報道せずに、小泉首相が「自己責任だ」というようなことを言ったのに対して家族の人たちが怒った、その映像をくっつけて流した。それによって、見ている人の感情を逆撫でして、生意気だというふうに思わせるメディアの手法だった、と豊田さんは言っていました。彼らへのバッシングを起こすという意図があったんじゃないか、という話で、すごく怖いと思いましたね。
小泉首相をはじめ、日本の政府自体がそういった対応でしたからね。
人質になった1人、高遠菜穂子さんが解放されて帰国した後、「もう1回イラクに戻りたい」と言ったのに対して、小泉首相が「何を馬鹿なことを言ってるんだ」みたいなことを言ったでしょう。あれを聞いて、私が一緒にバリ舞踊を習っている友達が、こんなことを言っていました。「私はNGOとかボランティアとかに興味はないけれど、もしバリでイラクと同じような状況が起こったとしたら、自分だってバリから離れられない、この人たちを捨てては逃げられないと思うと思う、なんでそれがわからないんだろう」と。
それを聞いて、そういう「置いて逃げられない」気持ちがわかるかどうかというのは、NGOをやってるとかボランティア精神がという話ではなくて、そこに住んでる人たちとどれだけ深く関わったかなんだな、と思いました。逆に言えば、日本という国の政府がいかにそういうことをやっていないかということですよね。国の外交レベルのお粗末さをすごく感じました。
戦争のない日常を生きる私たちにとって、あまりに当然のものになっている憲法9条。
その意味を再認識するために、外からの視点を取り入れることも必要なのかもしれません。
次回、おふたりが考える「平和」の意味について、お話を伺っていきます。
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