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かやま りか 精神科医、帝塚山学院大学人間文化学部教授。1960年北海道生まれ。 東京医科大学卒。主著に『若者の法則』(岩波新書)、 『ぷちナショナリズム症候群』(中央公論新社)など多数。 |
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編集部 |
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最近、急激に加速してきた「改憲論」をどう とらえていますか? |
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香山 |
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今の社会の暗い雰囲気に若者が切迫感を持ち、それが「ぷちナショナリズム」を生んでいるのでは、という話をしましたが、私がさらに気がかりなのは、従来の「いかにもタカ派」といった強面の人たちではなく、ソフトでスマートな若手の識者たちが、ぎょっとするような改憲論を当たり前のように口にしだしたことです。
「日本も憲法を変えて軍隊を持つのが常識。国際社会の中でアメリカと対等にものを言うためにも、軍隊ぐらい出さないと。どうしてそれがわからないの?」といった強い主張を彼らがさらりと言っていることに、非常に驚いたのです。
そういう人たちは、これまで順風満帆な人生を送ってきた、いわば「勝ち組」の人たちですから、「こういう人生を送ってこられた日本はいい国だ。だから、富や繁栄を守るための自己防衛をするのは当たり前だ」といった思考になるのだと思います。
彼らはもちろん、自らは軍隊として出て行かなくていいわけですから、「では実際に誰が軍隊として行くのか」ということは考えなくていい。自分の富や成功を、自分たち以外の人が守ってくれればいいという感覚なのでしょう。まさに、勝ち組が勝ち組であり続けるための主張ですよね。 しかも、そういった主張に対して、若い人たちがそんなに批判的でないのがとても不思議ですし、気がかりです。 |
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編集部 |
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安易な「ナショナリズム」の波や、 加速する改憲論に待ったをかけるのには、 どうすればよいのでしょうか。 |
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「勝ち組」のナショナリズムは、「今、世界の状況がこうなのだから、日本もこうしなければいけない」という、一見前向きで建設的な意見に聞こえます。それに対してアンチテーゼを唱えるのはとてもむずかしい作業だと思いますが、私はふたつのアプローチがあると考えます。
ひとつは、「“まず現実ありき”で世界や日本のありかたを決めていくことが本当にいいのか」と改めて問い直してみること。「裸の王様」的ではあるけれども、この本質的なことを今、もう一度考えてみる必要があると思います。
もうひとつは、彼らの主張は前向きだったり建設的だったりするように見えるけれども、私にはそれが自分の本当の信念ではなく、むしろ個人の中に不安や問題があって、それを防御するために強い姿勢を取っている人が多いように思えるのです。ですから、そのような人に“公を見て言っているようで、実は自分自身のことが見えていないのでは”と伝え、洞察してもらうことが必要なのではないでしょうか。
しかし、彼らにそう伝えるのは非常にむずかしいことです。言えば言うほどもっと強気になってしまうことが多いですから。でも今、本当にその作業が大切だと思っています。
一方、「ナショナリズム」にすがっている若者に対しては、「勝ち組」よりもまだ説得の余地があると思います。
彼らは、信念を持ってナショナリズムに乗っているというよりは、個人的に追いつめられているがために、もっと弱い者を排除したり、あるいは自分を救ってくれそうな力強いものに魅力を感じ、取り込まれてしまっている。そのようなストーリーがわかりやすくて心地よいからです。ですから、リベラルな側がもっとわかりやすく魅力的な提案をしていけば、十分にわかってもらえると思います。 |
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編集部 |
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香山さんにとって、 9条の存在とはどういうものですか? |
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香山 |
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自分が住んでいる国を意識するときは必ず、9条がある特別な国だというふうに思ってきましたし、9条をよりどころとして社会を考えてきたのだと、今、9条を変えようとする動きが出てきた中で思います。その一方、あまりにも当たり前と思っていたところがいけなかったとも思います。
もちろん内実が伴わないといけないですから、9条がありさえすればそれだけで世界に誇れるというものではないと思います。でも、もしも9条がなくなったとして、「日本はどんな国?」と思うときに、何をよりどころとしたらいいのかわからないという個人的な恐怖があります。 |
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編集部 |
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では、日本全体にとっての9条の意義とは どういうものだとお考えですか? |
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香山 |
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今になってみればという話になりますが、とりあえずこれがあるから、という安心感が、社会全体としてひとつの歯止めになっていたと思いますね。でも、そのことにどこか安心してしまっていて、たとえば自衛隊がこんなに大きくなっていたことにも気づかずにここまで来てしまった。
しかし、現実を隠蔽していたという部分があったにせよ、9条があるから平和でこられたと思いますし、9条の存在が人に与えてきた影響は強力なものだったと思います。
今、「9条を変えよう」と主張する人たちは、「9条を変えたからといって、日本が戦争国家になるわけではない。拡大解釈をすれば戦争ができることになるかもしれないが、まさかそんなことにはならないだろう」と楽観視していますが、それは逆にリアリティがありません。
「変えよう派」は「9条をまもろう」という人のことを、「今はそんな楽観的なことを言っている場合ではない」と言いますが、楽観しすぎているのはむしろ「変えよう派」のほうではないでしょうか。私はやはり、一度変えてしまえば日本は危険な方向に向かってしまうと思うのです。 |
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今の日本人の考え方に対する、 臨床的な視点からの鋭いご指摘に、はっとさせられました。 香山さん、どうもありがとうございました! |
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