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この人に聞きたい

081210up

石内都さんに聞いた

「ひろしま」と「ヨコスカ」を結ぶもの。
横たわる「違和感」

石内さんが幼少時代を過ごした基地の街、横須賀。
そこで抱き続けた違和感は、「ひろしま」につながるものでした。

いしうち みやこ
1947 年生まれ。木村伊兵衛写真賞、東川賞国内作家賞、日本写真協会賞作家賞など受賞。詳しいプロフィールはこちら


絶唱、横須賀ストーリー #30

個人的な体験と私にとってのリアリティ

編集部

 今回の展覧会を見て、「ヨコスカ」から「Mother’s」まで、石内さんは、ご自身の身近にあるきわめて「個人的な体験」を撮ってきている作家なのだと感じました。しかし、「ひろしま」では、それが変わってきたのでしょうか?

石内

 「個人的な体験」というものは、誰にとってもあまり変わらないものなのです。例えば、“母を亡くす”という体験は、誰もがすること。「ひろしま」も遺品ですから、その意味ではつながっています。しかしそこには、「自然死」ではない、「突然死」という問題はありますが。
 私が「ひろしま」を撮りながら感じたこと、ずっと考えていたことは、「人間っておろかだなあ、なんておろかなんでしょう」ということです。だって、こんなにひどいことが63年前にあったのに、今も核実験をやってるわけでしょう。アメリカなんて、北朝鮮に(核廃絶を)よく言えたもんだと思いますね。

編集部

 横須賀にアメリカの原子力空母、ジョージ・ワシントンが配備されることが決まり、先日入港しました。

石内

 学んでないですよね。広島と長崎は、アメリカの実験場所にされたわけですよね。核爆弾がどんな被害を人間に及ぼすのか、被爆した広島や長崎の人々を、ABCC(原爆傷害調査委員会/現放射線影響研究所)という調査団がアメリカからやってきて調べていたわけですが、今も、結局それと同じようなことを、やり続けているわけでしょう。

 それともう一つ、「ひろしま」で感じたこと。“戦争の歴史”は、これまで男が作ってきたんだなぁと。例えば、広島でこの展覧会をやった時に、広島のテレビ局や新聞社が取材に来ました。で、男性の記者はみんな、「この展覧会のメッセージを教えてください」と聞くわけ。「そんなのありません。展覧会を見てくださいねということです」と答えたら、そこで話が終わってしまう。彼らは、反戦平和を言って欲しいわけね。でもそんな当たり前のこと、言わないわよ(笑)。
 どこか男たちは、型どおりで、大義名分が欲しいというか・・・。取材にきた男性と女性では、聞いてくることがまったく違っていて、それも今回、広島で「ひろしま」を展示して、よく分かったことでした。

 これまで広島・長崎の写真は、ずっと男性が撮ってきているんじゃないですか? モノクロで。私は、ことさら自分の女性性を打ち出しているわけではないんだけれど、今回は、「女が撮ったひろしま」だと、それを言われても、いいと思ってます。

 反戦平和ではなく、私がみた「ひろしま」。それは、「このワンピースは、もしかしたら私が着てたかもしれない」というそのリアリティ。そこを感じたわけです。


1・9・4・7 #09

原爆ドームから始まった
「私のひろしま」

石内

 広島に入って、原爆ドームを初めて見た時、「わっ、かわいいじゃん」と思って。ちっちゃくて、けなげで、みんなに見られて恥ずかしそうに立っている姿が、「ああ、かわいい」と感じたんだけれど、そう言うと、まわりにびっくりされました。
 原爆ドームは、それこそ「反戦平和」「反核」のシンボルなわけですよね。そしていつもテレビなんかでは、下から仰ぎ見るようなアングルで映されているから、どーんとしてえらそうな感じで、みんなに伝わっている。

編集部

 等身大の広島をそこに見たわけですね?

石内

 そうですね。報道とかジャーナリズムって、どこか誇大妄想みたいなもので、じゃないと、強く伝えていく力にならないから、それもわかるんだけれど。で、結局、私自身もそれに毒されているわけです。だから原爆ドームに対しても、そういうイメージをずっと持っていたわけで。でも実際に自分の目でみたら、ぜんぜん、ちがうじゃない、と思って。それが、私の本当の「ひろしま」のスタートですよ。

 写真というのは、撮影者と被写体との距離感がはっきりしているものです。そして写真には、そこに真実がうつっていると思いがちですが、フレームの外にも真実はいっぱいあるわけ。でも切り取られたそれだけが真実、というように、映し出されてしまいますよね。だから私は、ドキュメンタリーがあまり好きじゃない。なので、私はまったくそれとは逆のやり方、被写体を私物化して撮るやり方をやってきたのです。


Mother's #39

横須賀・基地への違和感を抱え続けて

編集部

 今、横須賀を撮ると、以前とは違ったように撮れるんじゃないんですか?

石内

 横須賀は、もう撮らないですね。

編集部

 撮らない?それはどうして。

石内

 私にとって横須賀は遠い町になりました。実は、先日横須賀に行ったんですよ。すると偶然なんだけれど、ジョージ・ワシントン入港に反対するデモをやっていたのね。けっこう大規模なデモですよ。で、そのデモ隊が、歩道橋を渡っているの。ちゃんと並んで、上って降りて。おまわりさんの誘導で。
 それをみて、ショックを受けてね。単なるデモンストレーションでピクニックに近い感じがしました。ああ、でもそんな時代なんだ、今は。変わっていくのは、しょうがないとは思うのだけれど。

 私にとっての横須賀は、違和感です。その違和感を撮ってきたんです。なぜ違和感が? それは、米軍基地ですよ。そして広島と横須賀を結ぶものは、どう考えてもアメリカです。
 今回、目黒区美術館での「ひろしま/ヨコスカ」とタイトルをつけて、「ああそうだったのだ」と気がつきました。本人は、これまで気がつかずにやってきたわけですが。

編集部

 タイトルから受けるイメージと、写真を拝見して感じられる石内さんと個々の写真との距離感というものが、それぞれ違っていて、おもしろいなと感じました。

石内

 私の写真は、個人的な体験や個人的な違和感を写真に定着してきました。広島は、最初は違うと思っていたけれど、できあがった写真を見てみると、やはり同じでした。私はいろんなものは撮れないんですが、「ひろしま」はうまくリンクしたようです。

編集部

 基地への違和感を持ちながら アメリカと共に歩んできたこと。これは、石内さんの個人的な体験でありながら、日本人全員が体験していることとも言えますね。

石内

 これはもう運命なのかな。日本そのものが、アメリカから逃れることはできないし、実験材料にされたって、けっきょく何も変わっていないわけ。ますます悪くなる一方ですね。

編集部

 アメリカ、基地というお話が出たところで、憲法9条については、どう考えてらっしゃいますか?

石内

 9条について、そんなに深く考えたことは、実はありませんが、戦争放棄をうたっている憲法は、世界の他にないんだし、せっかくあるんだから一度ちゃんとやってみれば? 守ってみたら? と思います。だって今の状況をみれば、あまりにも中途半端でしょ。というか、守っていませんね。
 憲法9条は、その言葉そのものが、理想すぎるのかもしれないけれど、これも一つのイメージであり、漠然とした非常に抽象的なものですが、イメージすることで、いろんな解決先が見えてくることもある。
 しかし・・・改めて9条をこうして読んでみると、明らかに今の状態は憲法違反ですね。

一枚の写真に焼き付けられた石内都さんの記憶が、
私たちに様々なことを想起させます。
お近くの方は、この写真展開催の期間中に是非、お運びください。

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◯「石内都展 ひろしま/ヨコスカ」 
目黒区美術館(〜2009年1月11日)(月曜日と年末年始は休館) 
10:00〜18:00(入館は17:30まで)

◯「石内都作品展 ひろしま/ヨコスカ」 
ZEIT-FOTO SALON (〜12月25日)日・月・祝日休廊 
10:30〜18:30(土〜17:30)  
目黒区美術館に出品していない写真を中心に未発表写真、
モノクローム2点カラー1点も展示しています。

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ひろしま(集英社)
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