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「杉並に貧乏人の一揆を!」――
そんな言葉を掲げて、2007年4月の杉並区議選に立候補した松本哉さん。
「雨宮処凛がゆく!」にも登場した、型破りな選挙運動をご記憶の方もいらっしゃるはず。
大学時代から、リサイクルショップ店主となった現在に至るまで、
数々のユニークなイベントやデモを仕掛けてきた、ご自身の
その「歩み」について、まずは伺いました。
まつもと・はじめ
1974年東京生まれ。1994年に法政大学入学後、「法政の貧乏くささを守る会」を結成し、学費値上げやキャンパス再開発への反対運動として、キャンパスの一角にコタツを出しての「鍋集会」などのパフォーマンスを展開。2005年、東京・高円寺にリサイクルショップ「素人の乱」をオープン。「おれの自転車を返せデモ」「PSE法反対デモ」「家賃をタダにしろデモ」などの運動を展開してきた。2007年には杉並区議選に出馬した。
松本さんは、東京・高円寺でリサイクルショップ「素人の乱」を営みつつ、駅前の放置自転車撤去に反対する「おれの自転車を返せデモ」など、ユニークな活動を次々に仕掛けておられます。ご自身のホームページでは、その「主張」として、「自分たちの街は自分たちで作る」「街ぐるみで物を捨てない社会」「金がないヒマ人でも何でもできる社会」という三つを掲げていらっしゃいますね。
2007年の4月には杉並区議選にも出馬、JR高円寺駅周辺の路上でライブやDJイベントを開いたりと、異色の「選挙運動」が話題を呼びました。まずはその「選挙に出た」ご感想から伺えますか。
とりあえず、面白かったですね。
そもそも、立候補しようと思われたのはどうしてなんですか?
以前から、いろんなデモとかをやっていたわけですけど、そういうときって警察がうっとうしいじゃないですか。俺はデモにしろ何にしろ言いたいことは言いたいし、いちいちそんなふうに妨害されることに腹が立って。それで、選挙運動にしてしまったら向こうもぐうの音も出ないだろうと思ったんですよね。
たしかに選挙運動と認められたら、公職選挙法さえ守れば、自分の主張をがんがん、駅前あたりで、朝は8時から夜は8時まで、ハンドマイク片手に好きなだけ叫び訴えつづけることができますもんね。
そう。ひたすらむちゃくちゃな騒ぎができるから、それで街を混乱に陥れて、今の秩序を破壊しようかと。あ、公選法の「気勢を張る行為の禁止」(編集部注:公選法第140条には、「何人も、選挙運動のため、自動車を連ね又は隊位を組んで往来する等によって気勢を張る行為をすることができない」とある。)は、気にしてましたけれどね。
あはは、雨宮さんのコラム「高円寺一揆!」を読んで、ホント、笑いましたけど、なぜか支持者に向かって“ダイブ”までしてましたよね。じゃあ、当選して区議会議員になろう、ということはそれほど考えてはいなかった?
当選そのものは二の次というか、あんまり興味なかったですね。
でも、結果は得票数1061票。今回の当選ラインが2000票ちょっとですから、たとえば次回の選挙にまた出たりすれば、どうなるかはわからないんじゃ?
うーん、本当に当選しようと思うなら、それは結構簡単だと思うんですよ。だって、普通に町内会とかに挨拶回りすれば、ある程度票は入ると思うから。でも、本当にそういう票で当選しちゃったら後々厄介なことになるし、面倒くさいから、今回、周りの商店街や町内会の人たちには黙ってたんです。そうじゃなくて、あのめちゃくちゃなバカ騒ぎを見て、どれだけ票が入るかが大事だと思ってたので。
その観点からは、1060票という数字はどうでした?
結構多かったんじゃないかと思いますよ。
ちなみに、選挙期間中は、駅前で音楽を流したりされていて、周りから「何をふざけてるんだ」みたいな反応はなかったんですか。
通りがかりに「うるせえ」って言われたりしたことはたまにありました(笑)。でも、周りの商店街の人たちは少々無茶苦茶やってても「ああ、あのリサイクル屋の兄ちゃんでしょ」みたいな感じで、おばあちゃんとかが票を入れてくれたりして(笑)。選挙終わった後、俺、ここの商店街の役員になっちゃいましたから。普通、逆じゃないですか? 追い出されるかと思ったら。そのことは、相当面白かったです。
へーっ、いいとこですね、高円寺の商店街って。
さて、現在のお店「素人の乱」を始めるに至るまでのお話を伺いたいのですが、まず法政大学時代は、「法政の貧乏くささを守る会」というのをつくって、学費値上げなどに対する反対運動をされていたそうですね。学内にコタツを持ち込んで「鍋集会」をされたりとか(笑)。
ただ、松本さんは1994年度の入学ということで、そのころ世の中ではもう「デモなんて格好悪い」という雰囲気だったんじゃないかと思うのですが。
一般的にはそうだったでしょうね。でも、そのころも法政では毎日のようになんだかんだとデモがあって、それが結構日常という感じだったんです。学費値上げの問題とか、キャンパス再開発の問題とか。だから、何かを訴える手段としてはあまり違和感はなかったです。
じゃあ、松本さん一人が頑張っているという感じではなかった?
全然ないですね。俺よりむちゃする、とんでもない奴らばっかりでしたから(笑)。
入学された次の年、1995年には地下鉄サリン事件がありましたが、それを境に社会の雰囲気が変わって、締め付けが厳しくなっていったとも言われます。そうしたことは感じてらっしゃいましたか。
それはありますね。入学当初は本当にむちゃくちゃなことをやれてたのに、それがだんだん減っていった。それと同時にキャンパスも再開発されて、すごい自由のない、窮屈で管理された場所になっていくという流れがあったから、それに刃向かっていたという感じですね。
結局大学には7年いたんですけど、最後はもう、「早く出ていってくれ」という感じで無理矢理追い出されたんですよ。何もしてないのに、なぜか勝手に単位が全部取れていて(笑)。その後も学内の締め付けはどんどん厳しくなっていって、今は逆に、大学の中でも法政は一番厳しいところになってるんじゃないですか。学内でデモやっただけで逮捕者が出たり、ビラまいただけで捕まったりとか。
そして、卒業されたのが2001年の春。いわゆる就職氷河期ですが、就職については、どう考えてたんですか? 就活とか、一応、やってみたりしました?
それは考えたこともなかったですね(笑)。でも高校時代は、漠然と、大学行って卒業したら、普通の勤め人になるのかなあ、とぼんやり思っていましたよ。それが、法政入ったら、どうみても30過ぎているような人たちが、校内をぶ〜ら、ぶらしてる。それみたら、あれでもいいんだ、俺も好きにしていいんだ、となったわけ。
それに採用するつもりの会社がないんだから、100社とか受けてどこも引っかからないとか、間抜けじゃないですか。みんなアホなことやってるな、と思ってました。
そして、「素人の乱」オープンが2005年。どうしてリサイクルショップをやろうということに?
卒業した後、やっぱり飯を食わなきゃいけない。それで、いろんなバイトをしてたんですけど、その一つがたまたまリサイクルショップだったんですよ。それが結構面白くて、これは自分の職業にしてもいいかなと思って。もちろん、さすがにすぐに店は持てないんで、3、4年くらいはノウハウを勉強して。そこをやめるときに、また別の店に行くなら自分でやってもいいかなと思って、「素人の乱」の一号店を立ち上げました。
でも、店をやるとなるとある程度まとまったお金は必要でしょう?
いらないですよ(笑)。うちの場合、最初は倉庫だけ借りたんです。敷金礼金を入れても、せいぜい20〜30万くらい。それだけですよ。あとはひたすらビラをまいて、モノが来たらそれをインターネットとかを使って売って。売れないものがたまって倉庫があふれそうになってきたら、1週間とかの一時店舗を借りて売りさばいて。それを繰り返して、少しずつ少しずつ資金を貯めていったんです。
店舗を借りるときも、商店街の会長さんとかに紹介してもらったので、敷金礼金なしとかで、1号店は初期費用5万円ですからね。
5万円ですか!
そう、だからお金を貯めた記憶がまったくない(笑)
へーっ、お店って、どんなに小さくても、それなりの自己資金というか、貯金というか、担保がないと持てないと思ってましたが・・・それにしても現在、「素人の乱」は全部で11店舗。「次々に店ができてすごいな」という感じなのですが、お金でないとしたら、やはりそういった誰かの紹介とか、人間関係のたまものという感じなのでしょうか。
そうですね。人間関係だけですね(笑)。もともとこの辺の商店街に知り合いは結構いたし、このあたりもシャッター商店街みたいになっていて、このままじゃ未来がないからせめて若い奴でも入れて、少しでも活性化したほうがいいんじゃないかという話になっていたときだったんです。だから、1号店の後も周りのおっちゃんたちが「次ここ空いたよ」「ここ入んなよ」とかって勝手に紹介してくれて(笑)。
ちなみに、「素人の乱」は全部の店が独立採算制で、それぞれがみんなオーナーなんです。誰かがボスで、みたいになると感じが悪いかな、と思うので。
昨年の9月、新宿・紀伊国屋で「生きさせろ!集会」と題するイベントが開催されましたが、フリーター労組、首都圏青年ユニオン、派遣ユニオン、ガテン系連帯など、反貧困を掲げる様々な立場の人が登壇してのパネルディスカッションが非常におもしろかったです。まさに就職氷河期を生きてきた、運動の若きリーダーたちが連帯して集まった、という感じで。 松本さんも「貧乏人大反乱・素人の乱」代表として参加されていたわけですが、他の皆さんが社会構造の問題を取り上げ、また安い賃金で搾取されていて大変なんだ、という訴えをなさっている中で、松本さんだけが違うポジションに立っているというか、飄々と「(貧乏でも)不安には感じてない」ということを話されていたのがとても印象的でした。そして会場からの「(不安を感じないというのは)どうしてですか?」という質問には、「助け合いとか人の関係があるからかな」と答えられていましたよね。
どちらかというと僕はそういうのもう「やめちゃった」感じなんですよね。人に雇われて何かやるとか、会社に保障してもらってとか、最低賃金闘争だとか、公からバックアップをもらうとか、そういうのはもうどうでもいいや、自分たちは自分たちで生きていけるような場所をつくっちゃえばいいんじゃないの、という感じでやってるから。
労働運動については、今の金持ち優先の経済システムの中で、貧乏人の労働者がどんどん搾取されているというとんでもない事態になっているわけで、そこはもちろん応援はしますけど、当事者ではないという感覚なんです。
なるほど。既存の経済活動にはのっからないぞ、ということですね。それにしても、就職氷河期と言われる世代の人たちって、もちろん本当に大変な状況に置かれている人たちもいるんですけど、一方でいろいろと面白いことをやってる人たちも多いですよね。
多いですね。逆に言えば、すごく恵まれた世代かもしれないと思います。まっとうな就職をできない、というかしなくて済んだから、あとは勝手に生きていくしかない。するといろいろ生きのびるために考えるでしょう。最初はたしかに大変だけど、すごくいい機会を与えられたんじゃないかという気もしてますね。
さて、松本さんはこれまでにもさまざまなデモやイベントなどを仕掛けられているわけですけれど、その中で憲法や法律、といったことを意識される機会はありますか。
デモにせよ何にせよ、法律なり権利なりというのは意識せざるを得ないですね。これはOKだけどここを越えると捕まるとか、そういうのがありますから。
本来、憲法21条で、デモや結社の自由は保障されているはずなんですが、最近になって、それがかなり脅かされつつあるように感じます。
いやー、それはもう、たるんでるからでしょう。
「たるんでる」とは? 私たちが?
そう。俺らがたるんでるから、権力側がどんどん押してきている。権利って、最初からあるわけじゃないじゃないですか。ずっと勝ち取ってきたものというか、法律もへったくれもないような江戸時代くらいから――外国ももちろんそうなんですけど――一揆とかを起こしたりさんざん抵抗して、自分たちの権利をずっとつくってきた。その、「ここまで来た」という線引きが今の憲法だと思うんですよね。
言いたいことがあるのに言わなかったら、権力側の言い分が通るのはそりゃ当たり前で。向こうは常に全力でいろんなことをやろうとしてるじゃないですか。悪いことばっかり企んでて(笑)。だから、こちらもずっと「いや、そんなの冗談じゃない」とかずっと言い続けて、それでようやく現状維持ができるのに、もう「権利はあるからいいや」っていう感じで本気でやってこなかったから、今めちゃくちゃ押されてるわけであって。ある意味で当然ともいえる状況だなと思いますね。デモやるだけですごい変わってることのように思われるくらいですから。
発言の一つひとつが、なんとも飄々としてユニーク。
次回はそんな松本さんの目から見た、
最近の世の中の動きについてお聞きしていきます。
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