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今までに聞いた人

愛川欽也さんに聞いた

戦争は一番弱いモノに、ダメージを与えるものなんだ
現在ニュースショー「パックイン・ジャーナル」(CS/朝日ニュースター)の
司会でも活躍中の愛川欽也さん。毎週時事ネタにするどく切り込んでいます。
戦争や学童疎開の体験から、憲法9条について語っていただきました。
木村政雄さん
あいかわ きんや 1934年東京生まれ。
俳優座養成研究生(3期生)を経て、劇団三期会を結成。
俳優としてテレビ、映画、舞台でも活躍中。
テレビ人気長寿番組の司会者も務めている。
著書に『泳ぎたくない川』(文藝春秋)『じんじろげの詩』(立風書房)など。
母と離された学童疎開は、寂しくてひもじかった
編集部  機会あるごとに、学童疎開についての体験をお話しなさっていますね。
愛川  僕は、東京の巣鴨の生まれで、国民学校4年の時に、長野県の上田に学童疎開しました。その時は、母親から離れて一人でね。大変な母親っ子だったので、心細くてひもじくて。
編集部  著書『泳ぎたくない川』では、愛川さんご自身がモデルになっていると思われる主人公の敏夫が、戦時中、母親と別れて転々とするくだりがあります。描写がリアルで胸にせまるものがありました。
愛川  あれは、基本的にはフィクション、小説です。でもところどころ、自分が体験したことも書いてある。

------『泳ぎたくない川』より抜粋〜
 戦争はますます激しくなっていた。
 敵機が日本のあちらこちらの都市を爆撃し始めた。
 帝国議会は、昭和十九年七月に「学童集団疎開」を決めた。児童は都会にいると危険なので、田舎に疎開させるのだ。親戚など縁故のない子供は、学校でまとめて、田舎の寺や旅館などにつれていくことになった。
(途中略)
 母親たちは、もんぺを穿き白いカッポウ着を着て、「在郷婦人会」と書かれたたすきをかけてホームで提灯を振っていた。それはまるで父や夫を戦場へ送るような勇ましい光景だった。
「バンザーイ、バンザーイ」
と母親たちは声をあげた。その勢いで気の弱い母や泣き虫の子供も涙を忘れた。
 異様とも思える親子の別れだった。
(途中略)
 学童疎開の食事はひどいものだった。
(途中略)
 大きな釜に、お米と沖縄という名前の岩のような形のさつまいもをぶつぶつと切って入れ、味噌と塩で煮込んだ雑炊を毎日食べた。ざらざらした甘くないいもを箸で持ち上げると、どろっとした味噌のお湯のような液体だけが残った。そして食べてもすぐに腹が減った。
 夜、敏雄はそっと部屋を抜け出して、手伝いのおばさんたちが帰った後の炊事場をのぞいた。空になった釜に水がはってあった。見ると水面に釜の底に焦げついたものがいくつも固まりとなって浮かんでいた。
「ごはんだ」
 敏男はそっと炊事場に入った。浮かんでいるものを、そばにあったどんぶりに手ですくって入れた。塩を見つけて少しかけた。鼻をつまんで口に入れた。以前湿気た煎餅を食べた時のことを必死に思い出しながらぬるっとしたその固まりを飲み込んだ。うまくなかった。どんぶりを洗って元に戻して、庭に出た。
 本堂から、しくしくと泣く女の子の声が聞こえた。
------
泳ぎたくない川『泳ぎたくない川』
愛川欽也
文芸春秋刊
愛川  僕らは、戦時中の学童疎開でひどいめにあっているからね。東京生まれで親しい田舎がなかったし貧乏だったから。そのときの辛い体験から、もう戦争はいやだと。だから僕の場合は、体験で戦争がきらいと言っているんですよ。でもね、僕と同じような年代の人でも、憲法9条を変えようと言っている人がいますけれどね。もしかすると、戦争中でもいい思いをしてたんじゃないのかな。
憲法9条がある幸せの恩恵について考えてほしい
編集部  第1回の「この人に聞きたい」で毛利子来さんの戦争体験のお話をのせたら、20代〜30代の若い世代から、とても反響がありました。今の時代だからリアルに響いてくることもあるのでは、と考えさせられましたが。
愛川  そうですか。先日、江戸東京博物館のイベントで講演しましたが、圧倒的に年齢が上の人が多かったです。500人入るホールに600人以上いらっしゃってくれて、盛況でしたけれどつい言っちゃいましたよ。「みなさんと一緒に(戦争体験や疎開体験を持ったまま)僕たちは死んでいくのかね」って(笑)。
 戦時中の話や憲法について、僕はずいぶんとテレビやラジオやいろんなところで話をしてきました。しかし今、話を聞いてくれる人はもはや少数派だと思っています。淋しいけれどしょうがない。僕みたいに、(戦争や憲法について)しゃべっているタレントはいないでしょう。僕もみなさんに聞かれるから、本音や体験を語り続けてきただけなんですが。でもそのしゃべっている僕が肌で感じているのは、つくづく少数派になったなあ、ということ。
 今の風潮だと、憲法改定について国民投票をやったところで、半分以上が改憲に賛成しちゃうんでしょうね。その時の自分の虚脱感を考えるとね、ぞっとします。だからといって、しゃべるのをやめるわけではないですけれどね。
編集部  どうか、これからもどんどんお話ししていってください。愛川さんのように、長い間戦争や憲法について語っている著名人の方は、非常に少ないようですね。実はこのコーナーでも、いろんな方にインタビューをお願いしているのですが、「政治の話はちょっと」と断られることが多いので。
愛川  そのことなんですよ、僕が言っているのは。20年ぐらい前は、スタジオでも憲法や政治の話はよく出ていましたよ。それが今はまったく話をしない。聞いてもこない。中には“改憲反対”とはっきり言う方もいますが、稀有な存在ですよ。20代や30代のテレビタレントに、尋ねてごらんなさい。何も言わないでしょう、たぶん。
編集部  愛川さんが、今のような憲法観をお持ちになったのは、いつからですか?
愛川  中学2年の時です。担任の岡田隆吉先生に「平和憲法と民主主義」を教えてもらってから70歳になる今まで、僕の座標は一度もぶれたことありません。意固地ではなくて。
 岡田先生は、戦地から引き揚げてきた復員兵でした。先生は、民主主義の国でいちばん大切にしなければならないのは憲法だ、といつも話していました。その憲法に「戦争放棄」と書いてある。これはうれしかったですよ。だってそれまでは、兵隊さんになる教育だったのが、戦争放棄で軍隊放棄でしょう。そして主権在民とある。この国にはじめて、主権在民という歴史が刻まれたわけです。これは素晴らしいことなのだと、先生は僕たちに上手に教えてくれたのですね。
 戦時中の辛い体験と岡田先生に教えてもらったことが、今の僕の、憲法を守り続けたいという考え方の基になっているのです。
編集部  あえて今の若い人へ伝えたいことは?
愛川  戦後60年、この憲法があったから、日本がまがりなりにも自分の国の利益のために、よその国と戦争をしなかった。侵略もしなかった。だからこそ今、平和ボケと言われようとも、若い人たちがマアマアのんきに暮らせていけているんです。憲法9条はその基本なのですよ。だからこれを無くすのはもったいないし、ずっと大事にしてもらいたい。
 戦争というのは、一番弱い者のところに、ダメージを与えるようにできているのです。だから、この憲法による幸せの恩恵についてじっくり考えて、守っていかないと未来は危ないよ、と言いたいのです。
戦争体験を語り続ける愛川さんが持つ、
今の風潮への危機感が伝わってきました。
ありがとうございました。愛川さんには、
「憲法9条Q&A」のコーナーにもお答えいただいています。
そちらも合わせてお読みください。
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