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2013-04-03up

小石勝朗「法浪記」

とかく、「難しい、とっつきにくい」と思われている「法」。だから専門家に任せておけばいいと思われている「法」。しかし私たちの生活や社会のルールを決めているのもまた「法」なのです。全てを網羅することはとてもできませんが、私たちの生活や社会問題に関わっている重大な「法」について、わかりやすく解説してもらうコーナーです。今あるものだけなく、これから作られようしている「法」、改正・改悪されようとしている「法」、そして改正の必要があるのに、ちっとも変わらない「法」について、連載していきます。「法」がもっと身近になれば、いろんなことが見えてくる!

第2回「パソコン遠隔操作事件」

あまりに多くの「偶然の一致」が意味することは

 おそらく多くの人は「彼が犯人だ」と思っているのではないだろうか。彼と犯行を結び付ける直接的な証拠は、まだ明らかにされていない。しかし、「偶然」にしては「犯人」と一致する要素があまりに多いからだ。

 いわゆる「パソコン遠隔操作事件」である。

 4人が誤認逮捕されたこの事件。警察は2月10日にIT関連会社社員の片山祐輔被告(30)を逮捕した。3月3日に別の容疑で再逮捕する。

 しかし、片山被告は一貫して犯行を否認した。取り調べ録画の要求が受け入れられなかったため留置場から出ることを拒否し、2月19日以降は取り調べを受けなかった。当然、自白調書は取られていない。

 それでも検察は3月22日、起訴に踏み切った。昨年7~8月、遠隔操作ウイルスを使って大阪府の男性のパソコンから、大阪市に大量殺人を予告するメールを送信して業務を妨害したり(偽計業務妨害罪)、日本航空に「爆弾を持ち込んだ」とのメールを送って航空機を引き返させたり(ハイジャック防止法違反〈運航阻害〉)、また、同様の方法で愛知県の会社のパソコンからネット掲示板に殺人予告を書き込んでイベントを妨害したりした(威力業務妨害罪)、とされた。

 片山被告の弁護人の佐藤博史弁護士は、1990年に栃木県で起きた「足利事件」の主任弁護人を務めた経歴を持つ。殺人などの罪で無期懲役の判決を受けて服役した男性が、2010年に再審無罪を勝ち取った事件である。

 実は今回、佐藤弁護士も報道などの影響で、片山被告と初めて接見するまでは「半分くらい犯人だろうと思っていた」そうだ。しかし、詳しく話を聞くにつれ無実であると確信するに至り、メディアを通じて冤罪を訴え続けている。3月下旬、話を聞く機会があった。

 佐藤弁護士は、片山被告が疑われた理由から説明した。いずれもすでに報じられていることだが、まとめてみる。

 神奈川県・江の島にいる猫に遠隔操作ウイルスの関連情報が入った記録媒体を貼った首輪が取り付けられていたが、発見の2日前に、この猫に近づく片山被告の姿が防犯カメラに映っていたとされること。「真犯人」がメールで「記録媒体を埋めた」とした東京近郊の雲取山に、片山被告はその1カ月ほど前に登っていたこと。「真犯人」からのメールに画像が添付されていたアニメキャラクターの人形を、片山被告が2011年にネットで購入していたこと。

 また、米国のデータ保管サービスのサーバーに残っていた遠隔操作ウイルスに、片山被告が派遣されていた会社のパソコンで作成されたことを示す痕跡があったとされることや、片山被告に8年前、ネット掲示板に殺害予告を書き込んだ犯罪の前科があることも挙げていた。

 たしかに、これだけ重なれば疑われても仕方ないな、と思ってしまうのが一般の感覚かもしれない。

 これに対して、佐藤弁護士が反論としてまず挙げたのが、遠隔操作ウイルスに使われていた「C♯(シー・シャープ)」と呼ばれるプログラム言語を片山被告が書けないこと。上司らも認めているそうだ。派遣先のコンピューターで扱っていたのも別の言語だった。不正なプログラムを作るには、一般のプログラムを作るのとは全く別の技術が必要で難しいらしいが、「知識も関心もなかった」と主張している。

 そもそも、派遣先での仕事中にウイルス作成や遠隔操作といった全く関係のないことをしようとしても、時間をつくるのは困難だったようだ。土・日曜は休みだし、しかも片山被告は仕事に集中できなくなったとして、昨年12月から今年2月にかけて休職している。職場で作業できないとすれば自宅のパソコンに痕跡が残っている可能性が高いはずだが、報道を含めて今のところ捜査側からそうした情報は出ていない。数カ月かかると言われるウイルス作成は「能力的にも環境としても不可能だった」と佐藤弁護士は指摘する。

 雲取山に登ったこと、江の島に行って猫に触ったことは認めているが、記録媒体を埋めたり猫に付けたりしたことは否定している。アニメキャラの人形は11年末に捨てたという。8年前の犯行は単純な手口で今回とは犯人像が異なるし、「警察や検察への恨みはない」と話しているそうだ。

 では、いくつもの状況証拠の合致は何を意味するのだろうか。

 「片山被告のパソコンが真犯人に覗かれていて、利用されたのではないか」。佐藤弁護士は、こう推理していた。だから、雲取山に登ったりアニメキャラの人形を買っていたりといった情報を真犯人は知ることができた。ならば派遣先のパソコンから遠隔操作ウイルスが米国のサーバーに送られた痕跡が残っていてもおかしくはないし、それはむしろ無実の根拠になる、という論理である。

 たとえば、片山被告が江の島の猫に首輪を付けている場面を写した写真や映像があれば決定的な証拠となり得ることは、佐藤弁護士も認めている。片山被告が江の島に行ったのは1月3日で多くの人出があったそうだが、防犯カメラを含めて、そうした写真や映像の存在は明らかになっていない。猫に触っただけで「=犯人」とならないことは言うまでもない。

 こうした推理を「あり得ない」と切り捨ててしまうことはたやすい。しかし、警察を含めて多くの人が「あり得ない」と思っていたパソコンの遠隔操作がいとも簡単に行われ、4人もが誤認逮捕されたことが、この事件が顕在化した発端だった。そう考えると簡単に「あり得ない」で済ませることはできない気がする。

 佐藤弁護士は捜査のあり方も批判していた。取り調べの録画を要求したのは、身上調書を取られる段階で片山被告が「C♯は使えない」と答えたのに、「使える」がごとく書かれたからだそうだ。録画を拒まれたことに対しても、「録画をするなら取り調べに応じると言っていた。なのに、取り調べをしないまま起訴した。恐るべきことだ」。4人の誤認逮捕という大失態を挽回しようと威信をかけた捜査が暴走につながったのではないか、と背景を見立てていた。

 佐藤弁護士によると、検察は起訴後の意見書に、片山被告が「自宅パソコンや元勤務先のパソコンの記録をほぼ完全に消去する手段を講じていた」と決めつけ、「細かい間接事実・間接証拠の積み重ねによる立証を余儀なくされている」と記しているそうだ。

 これに対して、佐藤弁護士は「証拠が何も出てこなかっただけ」と反論し、「警察・検察の手に、片山さんが真犯人であることの確実な証拠は一つもない」と強調していた。

 今後の焦点は、裁判で検察がどんな証拠を出してくるかだ。もし片山被告と犯行を結び付ける直接的な証拠がないのだとすれば、片山被告が犯人だとする説も、片山被告のパソコンが覗かれて利用されたとする説も、「どっちが正しい」と確実に言い切れないという意味では可能性論として同レベルと言える。その場合に何より重視すべき原則は「疑わしきは罰せず」であることを、裁判所は忘れてほしくない。

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すでに4人もが「誤認逮捕」されているこの事件。
中には、「自分が犯人である」と「自白」してしまった人もいました。
それだけを見ても、「逮捕=犯人」と言えないのは当然のこと。
思い込みに基づく捜査や取り調べ、そして報道がどれだけ危険なものか。
過去の冤罪事件からも、私たちはちゃんと学ぶ必要があります。
捜査や取り調べについて書かれた法律が、「刑事訴訟法」です。
冤罪事件を生まないために、改正の必要性が強く求められています。
「刑事訴訟法」の問題点と改正の動きについては、
「伊藤塾明日の法律家講座」のこちらのレポートでも詳しく紹介しています。

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小石勝朗さんプロフィール

こいし かつろう記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。