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2010-09-01up
伊勢崎賢治の平和構築ゼミ
東京外国語大学の伊勢崎ゼミことPCS(平和構築・紛争予防講座)では毎年、沖縄で米軍基地や戦跡を訪れ、地元の人たちの声を聞く研修旅行を実施しています。今回は、そこに参加した3人の学生たちに、現地で受けた印象、考えたことなどを率直に語ってもらいました。
3人の祖国もまた、さまざまな形で紛争や民族対立を経験しています。さらに、一緒に沖縄を旅した中には、イラクやアフガニスタンという、今まさに戦争が続く国からやってきた学生たちもいたとのこと。普天間基地「移設」問題に揺れる沖縄の姿は、彼らの目にどう映ったのでしょうか?
第6回:留学生たちが見た「沖縄」(その2)
「過去の記憶」をどう語り継ぐのか
ラディスラブ・レシュニコフスキ(ラド) Ladislav Lesnikovski オーストラリア生まれ。日本人の母親とマケドニア人の父親を持ち、5歳のときに日本を経てユーゴスラビア(当時)のマケドニアに移住。大学生のときにユーゴスラビア紛争を経験する。大学卒業後、JICAの現地職員を経て来日。研究テーマはマケドニアを中心とする地域紛争。
アスカナ・ルイサ・グルシンガ Ascana Luisa Gurusinga インドネシアのスマトラ島出身。地元の大学で国際関係学を学び、1年間の社会人経験を経て日本に留学。研究テーマは独立運動が続くインドネシア・アチェにおける平和構築。
マリエット・パラヌク Mariet Paranuk ロシアのコーカサス地方・アディゲ共和国の出身。ロシアの大学の東洋学部を卒業後に来日。研究テーマは故郷のコーカサス地方の民族紛争、特にグルジア人国内避難民のアイデンティティを中心に研究している。
■政治利用される「過去の記憶」
マリエット
私がすごく印象に残っているのは、最初の日にひめゆり平和祈念資料館に行ったとき。道中、ボランティアの人たちが、沖縄戦のことについてすごく詳しく説明してくれたんです。私は、本当に沖縄のことを何も知らないで行ったから、いろいろと説明してもらってすごく勉強にはなったんだけど…。
少し気になったのは、彼らがあまりにも強く「米軍基地さえなくなれば、何も問題はなくなる、みんな幸せになるんだ」と思い込んでいるように感じられたことです。理論ではなくて感情で、そう思っているというか。
伊勢崎
彼ら若い語り部は、自分自身は戦争を体験していないけれど、生存者から話を聞いて非常に衝撃を受けて、その経験を語り継いでいこうとしているわけです。語らなければ、生存者が亡くなることで経験は途絶えてしまうから。
そうした活動は、非常に重要なことですよね。沖縄戦やひめゆりのような悲劇が繰り返されないよう、その記憶は絶対に忘れられてはいけない。だから、語り部の存在は非常に重要だし、これからも未来永劫、維持していかなければならないと思う。
でも一方で、次世代の彼らが、語り部としての立場で自衛隊に反対し、憲法9条に賛成し、在日米軍基地に反対する、それはどうなのか、という思いもあります。もちろん、個人としての熱い思いは別にして、だけど…。でも、過去の事実、過去の物語を語り継ぐことは、「政治」からは解放されなければいけないんじゃないだろうか。
ラド でも、「政治から解放される」ことは可能ですか? 僕は無理じゃないかと思います。旧ユーゴの体験から考えても、歴史というのは常に政治利用されるものだという気がするのですが…。
伊勢崎
それはそう。政治利用されない「過去の記憶」というのは、残念ながら、ないでしょう。というか、政治というのは、必ず、常に「過去の記憶」を利用する。
例えば、「過去の記憶」として一番力を持っているホロコーストがあるよね。「ホロコースト教育」もあって、小説、映画、博物館など、莫大なお金がかかっている。もちろん、この厳然たる歴史事実に目を背けることはできない。僕たちは常に厳粛に襟を正さなければならないと思う。
でも一方で、「過去の記憶」としてのホロコーストを啓蒙したい人たちの延長に、今のイスラエル、アメリカ国内のユダヤ人のロビー勢力という存在があるのも事実です。たぶん、ホロコーストの啓蒙は、パレスチナの人たちにとっては、ホロコーストの犠牲者に敬意を払う気持ちはあっても、イスラエルが現在犯している罪に対して、国際世論の目を反らすためのプロパガンダとしか思えないでしょう。
同じように「ヒロシマ・ナガサキ」も、日本にとって、全世界にとって、厳粛な「過去の記憶」です。でも、たとえ理解のあるアメリカ人でも、原爆は第二次大戦を止めるための最終手段だったという考えがそこには交錯するだろうし、中国だったら、また別の反応があるでしょう。ただ、事実としてだけ伝えたいというのが、こちらの意図だとしても。
ラド 日本でいえば、南京大虐殺の問題もまた「政治利用」されている例なのかな、と思います。
伊勢崎
南京大虐殺をめぐっては、日本が虐殺をやったということより、その「規模」をめぐって、日本国内で右派と左派が衝突している。千人だろうと、三十万人であろうと虐殺は虐殺なのに。一方で中国では、「過去の記憶」としての南京大虐殺は、平和のためというより、愛国教育の一貫として使われているしね。
戦争紛争にかかわる「過去の記憶」は、永遠に伝えていかなくてはならない。でも、たぶん、PCSで学ぶ僕たちが平和を実際に構築するために考えるべきなのは、「過去の記憶」の啓蒙ではなくて、その政治利用に警鐘を鳴らすこと。政治利用が対立を激化して平和の構築を阻む、そういう緊張状態を緩和することなのだと思う。
■訴えを広げる「戦略」を
伊勢崎 また、今回は、2004年に米軍ヘリ墜落事故のあった沖縄国際大学に行って、そのときの写真展示などをしている学生たちとも交流しました。
ラド 事故のあと、米軍がやってきてあたりを封鎖したことに対して、「ここは米軍基地じゃない」と言って怒っている人たちがいるわけだけど、マケドニアでも同じようなことはあったから、気持ちはわかります。コソボ紛争のとき、NATO軍はマケドニアの上空を通過してコソボへの空爆を行っていたんです。公式には否定していたけれど…。それで、NATO軍のヘリが山にぶつかる事故があったときも、その現場にはまず米軍がやってきて、マケドニア警察も中には入れなかったんです。それに対して、みんな怒っていた。それと同じことですよね。
伊勢崎 ただ、その写真展示などの手法については、PCSのメンバーからいくつか否定的な意見も出ていたよね。
マリエット
うーん。学生たちは一生懸命頑張っているとは思ったし、写真は見ていて面白かった。でも、きちんとその内容を伝えるには、ターゲットを変えなきゃ駄目なんじゃないかと思ったんです。
つまり、写真展は学内でやっていたけど、あのときは春休みでほとんど人がいなかったし、見に来る人が来ても日本の、それも沖縄の人だけ。例えばアメリカ人を招待すれば、その人は見て、何かを考えて、周りの人にそれを伝えようとするかもしれない。でも、そういうこともできていないわけでしょう。それじゃ、せっかくの活動もあまり役に立たない。
アスカナ うん。せっかくいい写真パネルとかを作ったんだから、もっとちゃんと広げればいいのに、と思った。
伊勢崎 戦略的じゃないということだよね。学内だけでやっていても、運動は大きくならないし、せっかくの活動が埋もれていってしまう。
マリエット 学生の1人は「メンバーが少なくて、そこまではまだ手が回らないんです」と言っていたけど…。
伊勢崎 せめて東京でやるとか、そういうことを考える必要があるんだろうね。戦略的にやれば、基地の問題に対する認知度ももっと高まるはず。僕たちPCSが協力してもいいよね。
「過去の記憶」を語り継ぐ重要性と、
それが「政治利用される」危険性。
そのどちらをも、私たちは強く認識する必要があるのかもしれません。
次回、「基地と沖縄」についてさらに考えます。
伊勢崎賢治さんプロフィール
いせざき・けんじ1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)、『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)など。近著に『伊勢崎賢治の平和構築ゼミ』(大月書店)がある。
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