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開会中の通常国会は与野党共に空回り気味ですが、予算委員会のテレビ中継などを見ていてつくづく思うのは、日本の政治家の「議論下手」です。
先月17日の鳩山首相と谷垣自民党総裁による初の党首討論のことなど、皆さんすっかりお忘れかと思いますが、議論下手の見本のようなやり取りでした。翌日の新聞各紙の見出しも次のとおり。
「かみ合わなかった政治とカネ 党首討論」(読売社説)
「党首討論 より頻繁に、より工夫を」(朝日社説)
「党首討論 時間延長したらどうか」(毎日社説)
「党首討論不発 本質論欠く ムダ追及具体的に」(読売38面)
「政策論議置き去り 谷垣新総裁 追及に新味なく」(毎日3面)
「かわす首相 惑う谷垣氏」(朝日1面)
惨憺たる評価ですが、何もこれ、今回に限ったことではありません。例えば、良い悪いは別にして「話が分かりやすい」との定評があった小泉元首相が、初めて党首討論に臨んだとき(01年6月6日)の評価は以下のとおり。まあ、相手(当時、野党だった民主党代表の鳩山氏)のあることですから、小泉氏だけの責任ではありませんが。
「初の党首討論 議論噛み合わず 具体論は回避」(読売3面)
「党首討論 さらに議論深める工夫が必要だ」(読売社説)
「党首討論 かわす追求、すれ違う論議――小泉首相」(毎日2面)
※いずれも党首討論翌日の各紙見出し。
前記「鳩山VS谷垣」の各紙見出しと比べると分かりますが、指摘されている問題点はほとんど同じ。約10年たっても一向に改善されない党首討論は、日本の政治家の議論下手を証明する好例と言えるでしょう。
大衆の心を掴んで国を動かすのが政治家や指導者の重要な仕事だとすれば、その最大の武器となるのは「言葉」です。そして、戦時下においては「言葉」が実際の兵器よりも強力な効果を発揮することがあります。敵国に対してだけでなく、自国民をいかにプロパガンダ(政治的意図を持った宣伝)によって扇動できるかどうかが指導者の大きな課題であり、民衆はその真偽を見極められるかどうかを試されます。
今回は、ガンダムでのある有名な演説シーンをもとに、戦時下における「言葉の持つ力」について考えてみたいと思います。
ガンダム全43話の中には名台詞がたくさんありますが、多くのファンの心に残っているであろう、ある有名な「演説シーン」があります。
それは、ジオン公国(注1)の総帥であるデギン・ザビ公王の三男ガルマが地球連邦軍との戦闘で死んだあと、ザビ家の長男で実質的にジオン軍を指揮していたギレンが民衆に向けて行なった演説です。
(注1)ガンダムでは、主人公アムロの属する地球連邦と、連邦からの独立を目指すジオン公国との戦いが物語の軸になっている。そのジオン公国は、父親のデギン・ザビ公王を筆頭にした独裁国家で、長男ギレン、次男ドズル、長女キシリア、三男ガルマが軍内で重要な地位にある。
三男の死にうちひしがれたデギン公王は「静かに丁重に冥福を祈ってほしい」と言いますが、長男ギレンは次のように反対します(第11話)。
「今は戦時下ですぞ。国民の戦意高揚をより確かなものにするためにも、国をあげての国葬こそ最もふさわしいはず。ガルマの死は、一人ガルマ自身のものではない。ジオン公国のものなのです」「ガルマは国民に大変人気があったのです。彼の国葬を行なうことによって、国民の地球連邦への憎しみを掻き立てることこそ肝要ではないのですかな、父上」
結局、デギン公王が押し切られる形で国葬は行なわれます。会場の壇上には亡くなったガルマの巨大な写真が飾られ、その両脇には無数の花。数万人とも思われる観衆の大歓声の中、デギンほかザビ家の面々が登場し、国葬を強硬に主張したギレンの演説が始まります(第12話)。戦時下における指導者の演説、そこに含まれるレトリック等を考えるうえでも格好の材料ですので、少し長くなりますが全文を掲載します。
「我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか? 否! 始まりなのだ! 地球連邦に比べ我がジオンの国力は30分の1以下である。にもかかわらず、今日まで戦い抜いてこられたのはなぜか? 諸君、我がジオン公国の戦争目的が正しいからだ。
一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住む我々が自由を要求して何度連邦に踏みにじられたかを思いおこすがいい。ジオン公国の掲げる人類一人ひとりの自由のための戦いを神が見捨てるわけはない。私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。なぜだ!?
戦いはやや落ち着いた。諸君らはこの戦争を対岸の火と見過ごしているのではないのか? だが、それは罪深い過ちである。地球連邦は聖なる唯一の地球を汚して生き残ろうとしている。我々はその愚かしさを地球連邦のエリートどもに教えねばならんのだ。ガルマは、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、死んだ! 戦いはこれからである。
我々の軍備はますます整いつつある。地球連邦軍とてこのままではあるまい。諸君の父も兄も、連邦の無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。この悲しみも怒りも、忘れてはならない! それをガルマは、死をもって我々に示してくれたのだ!
我々は今、この怒りを結集し、連邦軍に叩きつけて初めて真の勝利を得ることができる。この勝利こそ、戦死者全てへの最大のなぐさめとなる。国民よ立て! 悲しみを怒りに変えて、立てよ国民。ジオン(公国)は諸君らの力を欲しているのだ。ジーク(勝利)・ジオン!(観衆もそれに答える形で『ジーク・ジオン』と連呼する)」
※『機動戦士ガンダムDVDBOXセット1』解説書(P40)を参照。
人口増加によって地球を追い出された側(ジオン公国国民)に対して、追い出した側(地球連邦)の過去の行為(収奪そのほか)をあげつらい、憎しみを煽る。国民的英雄の死とその悲しみを随所に散りばめながら、聴衆に対しては戦死した自分の家族のことを思い出させ、今こそその怒りを戦争にぶつけるべきだと言う。んー、戦意高揚のための見事な演説ですね。
この演説は地球にも中継されたため、地球連邦軍の軍艦ホワイト・ベース(WB)内で、アムロほか乗組員もその放送を見ていました。敵の指導者の力強い演説にアムロは一瞬ひるみますが、WBの若き艦長は「ザビ家の独裁を目論む男が何を言うのか」と反発します。確かにこの演説は、ある意味では「都合のよい演説」と言うことができます。
ギレンは、地球連邦の収奪にあった被害者(ジオン公国)としての立場から戦争の正義を訴え、国民に支持を求めています。しかし、同じように地球連邦による収奪の被害者であった他の地球連邦「自治区」を、ジオン軍は開戦当初に攻撃。各自治区に駐留する地球連邦軍を攻撃することも大きな目的だったとはいえ、NBC(核・生物・化学)兵器の無差別使用等によって数十億人が死亡しました。地球連邦に向けられたジオン軍の刃は、同じ被害者であるはずの他の自治区の住民にも向けられたのです。ところが、演説では、収奪者としての地球連邦とそれに抗するジオン公国という「善か悪か」の二元論が語られ、ジオン軍の行為は正当化されています。
この演説がなされたのは開戦から約10ヵ月後。地球連邦側が人型兵器の本格的量産を開始するなど態勢を立て直しつつあり、ジオン軍には開戦当初の勢いはありません。国力30倍の相手に対して戦闘の火蓋を切るという、「無謀な行動」のツケが出始めたとも言えるでしょう。ガンダムでは、ジオン軍側の補給物資の不足等が随所で描かれることからも、国の「体力差」が戦争に大きな影響を及ぼしていることが分かります。
壮大な演出と巧みな弁舌によって見事に仕立てられたギレンの演説ですが、「劣勢」を「戦いはやや落ち着いた」と言い換え、自分たちの非道は一切語らないなど、隠された部分にこそ真実があることが分かります。
ガンダムを特集した書籍等では、演説をしたギレン・ザビは、あのアドルフ・ヒトラーと比較されることがあります。ギレンは自分の弟の死をも利用して、自らの大演説によって国民の戦意高揚を狙ったわけですが、ヒトラーもまた大衆掌握のための言葉の重要性を見抜いていた指導者でした。
ヒトラーは、著書『わが闘争』(1925年刊)で、宣伝を正しく利用すれば巨大な効果が収められるとして「戦時宣伝」「初期の闘争 演説の重要性」「宣伝と組織」などの各章で大衆扇動に対する考えを述べています。
ヒトラーが、最も重視したのは演説です。運動を躍進させるために必要なのは「偉大な文筆家」ではなく「偉大な演説家」だとし、「世界的革新のでき事は、書かれたものによってではなく、語られたことばによって招来される」と言います。
そして、「ある一定の事実、ある過程、必然性等に大衆の注意を促すこと」が大切であり、話す内容は「最低級のものがわかる程度」のレベルにして、宣伝は「(インテリではなく)大衆にのみ向けるべき」だとしています。ヒトラーは大衆を「受容能力は非常に限られており」「提供された素材を消化することも、記憶しておくこともできない」と定義。そのため、「(話の)重点をうんと制限して」「最も簡単な概念を何千回もくりかえすこと」が必要だと言います。
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『わが闘争 上・下』 アドルフ・ヒトラー (著), 平野 一郎 (翻訳), 将積 茂 (翻訳) (角川文庫) ヒトラーの政治信条や国家観が記された本書は、国事犯として拘置所に収容されていたときにヒトラーが口述筆記によって記した。原本は、第1巻が1925年に、第2巻が1927年にそれぞれ初版が出されている。 |
こうしたヒトラーの演説やナチス・ドイツによる宣伝手法について研究した『ナチ・ドイツと言語』という本があります。著者の宮田光雄さんは「簡潔で《断定的》な語法によって細かい議論を拒絶」することや、「単純化した論理で、あれかこれかの《二者択一》を」迫ることを「ナチズムに典型的にあらわれる《言葉》や《語り口》」としています。なんだか、「9・11」直後に「米国と共にテロリストと戦うのか否か」を国際社会に迫ったブッシュ大統領や、「郵政民営化の是非」のみを選挙の争点にした小泉首相を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
また、同書では、ヒトラーやナチスが民衆から支持を受けた理由は、第一次世界大戦の敗北による政治的・経済的な困難だけではなく、「むしろ、敗北と苦難の中から、ふたたび人びとに名誉感情と自己意識とを回復してくれる〈救済者〉にたいする民衆的待望から生まれてきた」としています。
ガンダムにおける戦争末期、前記のギレンは自国兵士に向けた演説の中で「人類は、我ら選ばれた有良種たるジオン国国民に管理・運営されて初めて永久に生き延びることができる」と述べます(第42話)。地球から追い出され、その後は搾取され続けた、いわば「敗北と苦難」の意識が刻みこまれた聴衆に対して、ジオン国国民の優秀さを説くことで「名誉感情と自己意識の回復」を訴えているとも言えるでしょうか。
『ナチ・ドイツと言語 ヒトラー演説から民衆の悪夢まで』 宮田光雄著(岩波新書) ヒトラーの演説やメディアで使われた言語、教育の言語、ジョークや人々の夢に現れる言葉までを検証し、そのレトリックと意味を考える。ナチ・ドイツにおいて用いられた言語と語り口が現代においても力を持っていることが分かる。 ←アマゾンにリンクしてます。 |
実は私は、ガンダムに登場するギレンに関してはヒトラーよりも、ナチス・ドイツで宣伝大臣を担当したヨーゼフ・ゲッベルスとの比較も面白いと思っています。ラジオ、映画などのメディアをフル活用してプロパガンダを実施したゲッベルスは、ヒトラーに匹敵する扇動者と言えます。
※以下、テレビ「メディア操作の天才 ゲッベルス」(2004年/ドイツ)を参考に記述。
1933年3月、ゲッベルスは宣伝大臣に就任すると、ラジオ、新聞、映画、演劇、プロパガンダの5つの部局で宣伝省を構成。大観衆を前に「良いプロパガンダなくして政府は存続しえない」と語り、「(映像は)プロパガンダの道具として欠かせないものとなるだろう」と日記に書いています。ナチス党大会(34年)を記録した『意志の勝利』やベルリンオリンピック(36年)を収めた『オリンピア』などは、その典型的な作品です。
ゲッベルスが宣伝媒体として最も重視したのはラジオで、国民が手軽に購入できる超低価格ラジオの発売を実現させます。その結果、1937年にドイツ国内のラジオ受信者数は816万になり、それまで1位だったイギリスを抜き去ります。この超低価格ラジオは、海外放送は受信できない仕組みになっていたため、政権に都合のよい情報を一方的に流すための道具となりました(『対米謀略放送「ポストマン・コール」』を参照)。
『対米謀略放送「ポストマン・コール」』 田中貴久雄著(幻冬舎ルネッサンス新書) 太平洋戦争中、米軍兵士の厭戦気分を高めるために日本軍がラジオを通して前線に発信したラジオ番組「ポストマン・コール」。捕虜として放送に従事させられた元米軍兵士の証言等を通して、日本の対米謀略放送の真実に迫った1冊。 ←アマゾンにリンクしてます。 |
そんなゲッベルスが、「ドイツ国民の士気を高めるために非常に効果的で」「演説家としての実績を代表するものになるかもしれない」と自画自賛したのが、1943年2月18日にスポーツ宮殿で行なった演説です。
「英国人は主張している。我々の総力戦計画が諸君(国民)の反感を買っていると。(中略)諸君に問う。必要とあらば想像を超えるほど全面的徹底的な総力戦を望むか? 諸君に問う。勝利を戦い取るため、総統に従っていく決意はあるか? 苦難を共にし、最も重い負担に耐える覚悟はあるか? これより先、我々のスローガンはこうだ。『人々よ立ち上がれ。そして嵐を起こせ!』」
聴衆を煽り、戦争への参加を促す展開などは、ガンダムでのギレンの演説とそっくりです。この演説の出来栄えに満足したゲッベルスは「国民は戦いと勝利のため全てを犠牲にする覚悟だ」と日記に書きますが、約2年後にドイツは敗戦。演説を讃えた国民の多くが総力戦の犠牲となりました。
ガンダムでは、ギレンの演説にも匹敵する大演説をぶった人が地球連邦側にもいます。終戦間際まで戦争を指揮したレビル大将その人です。
開戦当初、ジオン軍によって地球連邦軍は押しまくられ、開戦1ヵ月後には事実上の降伏勧告を突きつけられます。地球連邦が受諾に傾くなか、ジオン軍の捕虜となっていたレビル将軍は脱出し、全地球圏に向けて演説。捕らわれの身だった自分が実際に目にしたのは「疲弊しきったジオン軍」であり、そんな相手に降伏する必要はないと訴えたのです(注2)。
(注2)この演説シーンはテレビ版や劇場版にはなく、小説などで記されています。
この演説は「ジオンに兵なし」というフレーズで人々に衝撃を与え、連邦軍は徹底抗戦へと舵を切ります。ある意味では、「ジオンに兵なし」というフレーズが停戦の機会を葬り、戦争の流れを大きく変えたと言えます。
現実の世界でも、言葉が戦争の流れを大きく変えた事例があります。
90年代前、旧ユーゴスラビア連邦からの独立を目指すボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)と、それを阻止したいセルビア共和国との間に起きた「ボスニア紛争」をご記憶の方は多いでしょう。私は「弱者ボスニアを攻める強国セルビア」という単純な構図で捉えていたのですが、そんな曖昧な考えを覆してくれたのが『ドキュメント 戦争広告代理店』という本でした。
同書は、国際的な関心も低く、ボスニアに手を差し伸べる国もほとんどなかった紛争において、米国の民間PR企業がボスニアに協力し、「ボスニア=善、セルビア=悪」という二元論を仕立てあげ、国際社会の支援のもとボスニアが独立を勝ち取るまでの経緯を丹念に綴っています。
『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』 高木徹著(講談社文庫) 2000年に放送された「NHKスペシャル 民族浄化~ユーゴ・情報戦争の内幕」の企画・取材等を担当した著者による書。国際社会における情報操作の舞台裏を記した本書は講談社ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞した。 ←アマゾンにリンクしてます。 |
国際世論の流れを変えるターニングポイントとなったのは、二つの言葉です。セルビア側の攻撃でボスニア市民に被害が出ている様子はニュース等でも報道されていましたが、それだけでは国際世論は動かなかった。そこで発せられたのが「民族浄化」と「強制収容所」という言葉でした。
ボスニアの主要民族であるモスレム人を、セルビア人が虐殺していると伝える際に「民族浄化」という言葉が使われ、さらには「強制収容所」の存在も報道されます。二つの言葉は、第二次世界大戦におけるナチス・ドイツによるユダヤ人大量虐殺を連想させ、セルビア側の残虐さが強調されるようになり、国際世論は一気に反セルビアへと傾いていきました。
PR戦略をうまく行使したボスニアと、それができなかったセルビアの差が戦争の行方を決定づけました。今では「民族浄化」と言えるほどの住民虐殺や、拷問や強制労働を伴う強制収容所が実際にどれほどあったのか定かでないことを考えると、言葉の持つ力の大きさと共に怖さを感じます。
メディアの発達した情報社会に生きる私たちには、日々大量に発信される情報の真偽を見極める力が求められます。今回触れたガンダムの逸話や過去の戦争の事例を見ると、なかでも権力者である政治家の発言の「虚と実」を見抜くことこそ重要だということが分かるのではないでしょうか。
(氷高優)
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