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前回、私は、ガンダムというアニメは、連邦軍の新型軍艦「ホワイト・ベース」に乗り込んだ主人公のアムロたちが、地球や宇宙を移動しながら、戦争を経験し、成長していく物語だと書きました。行く先々に待ち受けている「難関」は敵対するジオン軍との戦闘にまつわるものが多いのは当たり前ですが、「それ以外のこと」こそが、それまでのアニメではあまり描かれてこなかった「ガンダムらしい部分」と言えるかもしれません。
その一つに「食料(食事)に関する描写」があります。
こう書いただけで、ガンダムファンの方たちには「あのシーンのことかな」と思い当たるシーンがいくつかあることでしょう。
テレビドラマ『北の国から』の「子どもがまだ食べている途中でしょうが!」(©田中邦衛)や『アルプスの少女ハイジ』の「クララが立った!」(©ハイジ)、もしくは『太陽にほえろ!』の「なんじゃこりゃ!」(©松田優作)などなど、多くの人が記憶している昭和のテレビドラマやアニメの名場面がたくさんあります。これから書くガンダム第9話のシーンは、それらと同様に、ガンダムファンのほとんどが記憶に留めている名場面と言えます。
軍艦「ホワイト・ベース」には、ガンダムを含めた「人型ロボット」が3体積まれ、少数の軍人と共に民間人が100人以上も乗っています。「サイド7」に暮らしていた住民たちで、ジオン軍の攻撃を受け、軍艦に避難したのです。そのため軍民一体となって行動を共にしているわけですが、「ホワイト・ベース」はジオン軍の包囲網の中で補給を受けられなくなり、食料不足に陥ります。
そんななか、食堂で食事をとるアムロ。その前には少年とその祖母らしき人が座っていて、トレーに載ったわずかな食料を食べています。その2人の横には中年の男が1人。なんとこの男、横の少年がよそを向いている隙に少年の食事をくすねてしまうのです。全く気づかない少年と祖母——。その一部始終を見ていたアムロは、「一緒に食べよう」と少年に自分の食事をゆずります。それを見ていたアムロの幼馴染が「アムロ、ちゃんと食べなければダメよ」と言うと、「だったらこんなところで食べさせるな」とアムロは席を立ちます。
このわずか約30秒のシーンを初めて見たのは、以前も書きましたが、私にガンダムを見るきっかけを作ってくれた「アメトーーク」というバラエティ番組の中ででした。
ガンダムをこよなく愛する「ガンダム芸人」として出演していた品川祐さんは、このシーンについて、「子どものころ見ているときは何にも思わなかった」けど、大人になってその意味に気づいたと言います。そして、「これが戦争なんですよ! これを子どもの見るアニメに入れるかねと思った。子どもが食べている食事を大人が盗んで食べるんですよ」と興奮気味に語ったのでした。
当時、「ガンダムなんて、けっ!」と思っていた私ですが、ここまで大ヒットしたアニメの中で、こんな描写があることに素直に驚きました。
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その後、DVDボックスセットで第1話から見直していたとき、同じ回の別のシーンが気になりました。食事係の男性と別の乗組員の男性が揉めるこんなやりとりがあります。
乗組員「なぜアムロとリュウだけ、おれたちより食事の量が多いんだよ」
食事係「(略)命令だ。(アムロとリュウの)2人を正規のパイロット並みに扱えってな」
乗組員「おれたちだって戦っているんだぞ」
食事係「兵隊の食事のカロリーは作業量によって決められているんです」
食事をめぐる地味な言い争いですから、見逃してしまいがちでしょうが、このシーンで描かれているように、実際の軍隊においても、食事の内容はもちろん量も規則で決められているケースが多いのです。
例えば、旧日本海軍の航空機の搭乗者です。搭乗者の食事に関する研究は大正8年ごろから行なわれていました。航空機の搭乗者は心身疲労が激しいことから、「疲労回復」と「士気高揚」のため、また視力低下などを防ぐために、栄養たっぷりの食品が与えられました。通常の食事に加えて鶏卵や生牛乳が支給され、飛行時間が2時間を超えたときは果物やコーヒー、紅茶などが支給。太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃(昭和16年12月8日)に参加した空母「瑞鶴」のパイロットには、疲労回復の意味もあったのでしょうか、爆撃後にみつ豆やコーヒー、サイダーなどが出されたと言います。
また、ゼロ戦などは航続距離が長いことから長時間の搭乗になるため、「機上食」として海苔巻き、稲荷寿司、サンドイッチなど操縦しながら片手で食べられる「弁当」が用意されました。
もちろん、このような海軍における食事に関する決まりは、航空機の搭乗者だけではなく艦船の乗組員についても定められています。例えば、身体が発育途中であり、まだ海軍の作業に不慣れな新兵には、1日に白米30グラム、生野菜80グラム、白砂糖5グラムほかが増加されました。
パイロットが食事の面で優遇されるというガンダムの設定は、軍隊での決め事を実に忠実に踏襲していたと言えるわけです。
※海軍の食事に関する記述は、藤田昌雄著『写真で見る海軍糧食史』(光人社)、高森直史著『海軍食グルメ物語』(光人社)などを参考にしました。
戦時下における食料不足は、もちろん軍隊だけではありません。ガンダムでも、戦時下の一般庶民の食生活を垣間見ることができます。
第27話では、ジオン軍のスパイとして働く少女ミハルとその弟と妹が登場しますが、彼女たちの食卓に上がる料理はパンと水だけ。しかもこのパン、どう見ても硬くて、まずそうなんです。セリフ等で言及しなくても、それを子どもたちがほおばる描写だけで悪化した食料事情が分かります。
芥川賞作家の長嶋有さんは、『KINO vol.02 思考としての「ガンダム」』(編集・発行/京都精華大学情報館)というムックで、ガンダムにおける食事シーンを引き合いに出し、面白い指摘をしています。食欲にあふれる宮崎駿の食事シーンの演出に対して、ガンダムの監督である富野由悠季さんが描く「飯のまずさ」は、日本アニメ界の巨匠2人の「差異として語られるべきところ」だとし、ガンダムのなかで食事がなんともまずそうに描かれていることを具体例と共に語っています。
同書で長嶋さんも指摘している第19話では、訳あって部隊を離れた主人公のアムロが、町の酒場でジオン軍の兵士たちと遭遇します。それはそれで緊迫したシーンなのですが、ここでも戦時下での食料不足がしっかりと描かれています。
敵の将校がその酒場に入ってくるなり「オヤジ、まずは美味い水をくれ」と言います。いくら、そこが砂漠の中の町とはいえ、最初の注文がワインやビール、そしてジュースでもなく、ただの水。さらにその将校が部下の兵士たちに「みんな、何を食ってもいいぞ。作戦前の最後の食事だ」と言うものの、連れの女性が「(メニューを見ながら)何もないのね」と一言。一般家庭だけでなく、町中の店も含め、いたるところで食料が不足していることが、この描写から分かります。
では、戦争中はどこも食料が不足しているのかといえば、「あるところにはある」わけで、ガンダム第10話ではそのことが描かれています。ジオン軍支配下のある町でのパーティのシーンがあります。男も女も着飾って、大きなシャンデリアの下には肉料理をはじめとする豪華な食べ物。優雅な音楽が流れるなか、みんなグラス片手にお酒を飲んでいます。その中には前市長や財界人らしき人たちなどがいますが、ジオン軍の支配地域となった今も、地球連邦政府の傘下にあったときと同様の一定の地位と生活レベルを保っているように見えます。結局、特権階級の者は、占領下であろうと、いや占領下であるからこそ、庶民よりも上の生活ができるということでしょうか。
実際の戦争における食料事情と言えば、太平洋戦争時の南方戦線での餓死等に触れないわけにはいきません。例えば、太平洋戦争の陸軍戦死者165万人のうち、約7割が飢餓によるものです。いかに軍上層部が兵站を軽視し、無謀な作戦を押し進めていたかが分かります。
先に海軍でのパイロットに対する優遇措置をはじめ、日本海軍の食事に対する細かい配慮について触れましたが、戦争が激しくなると、いたるところで多くの兵隊が飢えや病気に苦しめられました。
太平洋戦争のターニングポイントとなる戦闘が行われたガダルカナル島では、戦線に投入された約3万人の日本の将兵のうち約7割が死亡しましたが、その多くは飢えなどが原因とされています。同島の兵士たちの間では、その過酷さを表す下記のような「生命判断」が流行ったそうです。
立つことのできる人間は……寿命は三〇日間
身体を起して坐れる人間は……三週間
寝たきり起きれない人間は……一週間
寝たまま小便をするものは……三日間
ものいはなくなったものは……二日間
またたきしなくなったものは……明日
※飯田進著『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』(新潮社)より抜粋(初出は『戦史業書 南太平洋陸軍作戦<2>』=朝雲新聞社)。
『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』 飯田進(新潮新書) 海軍民政府・資源調達隊員としてニューギニアに派遣された著者が、自身の体験と、膨大な資料や元兵士の著作物から地獄の戦場での出来事を明らかにする。 ←アマゾンにリンクしてます。 |
戦場での食料等をめぐる凄絶な出来事については、上記『地獄の日本兵』ほか数多くの書籍等で記述されています。もちろんガンダムではそこまでの描写はありません。しかし、玩具メーカーがスポンサーの「子どもを対象にしたアニメ」という制約のなかで、「勝った、負けた」の戦闘シーンだけでなく、今回明記したような戦時下の食料事情まで配慮して描写しているところに、この作品のすごさを改めて感じてしまいます。
最後にもう一つ、ガンダム第16話のこんなシーンについても触れておきます。この頃、アムロたちを乗せた軍艦「ホワイト・ベース」は中央アジアを西に移動しているのですが、食事係が若き艦長に「塩がないのです」と告白。食料があっても塩がなければ人間は生きていけませんから、塩を確保すべく湖に針路を向けることになります。
結果的には、このことによって、ジオン軍との新たな戦闘に巻き込まれるのですが、わざわざ「塩が不足するエピソード」をもってくるところに、またまた驚かされました。
今回の原稿を書いているとき、今年8月にNHK-BSで放送された『シリーズ証言記録 兵士たちの戦争 東部ニューギニア 絶望の密林戦』のことを思い出しました。日本軍だけで約13万人の戦死者を出し、「飢餓の戦場」の代名詞ともなったニューギニア戦線で戦った元兵士たちの証言をもとに作った番組です。食料や武器・弾薬の補給が断たれたなか、降伏を許されず、極限状態に陥った戦場での飢餓の模様が元兵士たちによって次々と語られます。まさに「地獄」という言葉を思い浮かべずにはいられない生々しい証言の数々でしたが、そのなかで2人の元兵士が「塩に関する証言」をしています。
「塩分は非常に大事なんで。塩分があれば、ここ(上のほう)まで這い上がれないような人が、ちょっと舐めさせると、この上に這い上がれた。それぐらい(塩は)よく効いたんですから」
「岩塩だけは大事に大事にしてあるんだよ。というのは、人間は塩分がなくなると関節が外れそうになって歩けなくなっちゃうんだよね」(同番組より。カッコ内は筆者補足)
私は先ほど「食料があっても塩がなければ人間は生きていけませんから」とサラッと書きましたが、もちろん知識としてそのことを知っているだけで、実感・体感として認識しているわけではありません。そんな私でも、この元兵士の証言を聞くと、生きていくうえでいかに塩が大切なのかを改めて思い知らされます。
ひとつのアニメの設定と、実際の戦場での元兵士の体験を単純に比較することはできませんし、してはいけないことでしょう。しかし、「塩」についてのガンダムでの描写が、決して意味のないものではないことが、上記のドキュメンタリー番組からもお分かりいただけると思います。
ガンダムでの食料(食事)の描かれ方については、まだまだ書きたいことはありますが、今回も紙幅が尽きました。次回は、ガンダムで描かれる「戦争と子ども」について考えてみたいと思います。
『戦下のレシピ 太平洋戦争下の食を知る』 斎藤美奈子 (岩波アクティブ新書) 一般庶民が戦争中に何を食べていたか、についてはこちらの本を読むとよくわかる。 ←アマゾンにリンクしてます。 |
(氷高優)
工業製品だけでなく、イベントなども対象に、毎年優れたデザインを選考して表彰する「グッドデザイン賞」の大賞候補に、この夏お台場に展示されていた等身大ガンダムが選ばれました。10月2日付『朝日新聞』でそのことが報じられていましたが、審査委員長の内藤広・東京大学教授によれば「審査する側にも思い入れのある人が多く、ほとんど異論が出ませんでした」とのこと。52日間で415万人を動員した等身大ガンダムの魅力が改めて認められたということでしょう。大賞の発表は11月6日。ぜひとも「有終の美」を飾ってほしいものです。
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