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2010-12-15up
B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」
【第29回】
「愚民思想」から脱せよ~裁判員裁判の無罪判決に学ぶこと
鹿児島地裁の裁判員裁判で、死刑が求刑されていた被告に無罪判決が言い渡された。殺人事件の起きた家に被告が行ったことは認定しながらも、殺害の直接的な証拠がないことを理由にしている。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に則った、極めて妥当な判決である。
被告が犯行を否認しながら死刑が求刑された事件の1審で、無罪判決が出るのは、ここ35年でわずかに4件目だそうだ(朝日新聞・12月10日夕刊)。逆に言うと、これまでいかに「疑わしきは検察の利益に」という法則が裁判所で通用していたかがよく分かる。今回も、検察は経験則から「このくらいの状況証拠があれば有罪になる」と踏んでいたのだろう。
元裁判官の門野博・法政大法科大学院教授のコメントに、裁判官の本音が滲み出ていた。「意外。網戸やタンスに触ったことは認定しながら被告が犯人でないとする点は説得力が少し足りないと思う。しかし慎重に議論を尽くしたのだろうから、少しでも疑問があれば有罪とは言えないというのも、市民感覚なのかもしれない」(毎日新聞・12月11日朝刊)。
「プロの裁判官」とやらによる裁判なら、今回ほどの状況証拠で十分有罪になっていたことを示唆している。「説得力が足りない」のは判決なのではなく、検察が示した証拠なのに…。いかに裁判官が検察側に軸足を置いているかを、はしなくも露呈してしまっているのだ。「市民感覚」の方が、刑事裁判の基本に忠実だということとともに。
以前に当コラムで取り上げたが、「袴田事件」を取材してから私は職業裁判官が信用できなくなった。元プロボクサーの袴田巌死刑囚(74)が1966年に、静岡県で一家4人を殺害したとされる事件である。袴田死刑囚の自白は、1日平均12時間にも及ぶ警察の取り調べで取られたものだ。犯行時の着衣とされたズボンは本人には小さくてはけず、刃渡り13センチの小刀で4人も殺害できるかという疑問もあった。しかし、1審の静岡地裁は2対1の多数決で死刑を決めた。
この事件の裁判官の1人で、3年前に「私は無罪を主張した」と告白した熊本典道さん(73)は「これだけ長時間、取り調べを受けたということだけで、普通の人ならおかしいと思うはずだ」と話していた。容疑者の人権や数々の不可解な点を無視し、それでも「プロの感覚」とやらで死刑にしてしまうのが裁判官なのだとしたら、本当に恐ろしい。市民感覚が司法に持ち込まれた方がよほど健全だと考え、私は裁判員制度に賛成するに至った(袴田事件については映画「BOX 袴田事件 命とは」をぜひ見てほしい)。
だから、今回の判決について、同じ元裁判官でも木谷明・法政大法科大学院教授のコメントの方がしっくり来た。「判決は『被告人が被害者宅に行ったことがないとウソをついた』と断定した。こういう場合、従来なら被告に対する心証が悪くなり一気に有罪認定に傾くことが多かった。しかし、裁判員裁判で踏みとどまったように思う」(12月11日・朝日新聞朝刊)。
審理のために40日間も拘束された裁判員の皆さんには「ご苦労さま」と言うしかないが、裁判員制度に大きな意義があることが証明された。望むべくは、袴田死刑囚が請求しているような再審の可否の判断に際しても、また再審そのものについても、裁判員裁判の対象にしたい。職業裁判官が目をつむってきた事柄について、市民感覚で再検証する必要が極めて高いからだ。
それにしても、「裁判員感覚 プロと差」なんて、判決への意外感を漂わせる大見出し(毎日新聞・12月11日朝刊)が躍るのは、裁判員制度を推進してきた側にも、反対してきた側にも、そしてマスコミにも、「愚民思想」があったからに思えてならない。推進側でも特に司法官僚は「裁判員になる市民は裁判官や検察官の言いなりになる。容易に有罪にしてくれるし、重い刑罰も科してくれる」とタカを括っていたのではないか。これは、裁判員制度に反対してきたリベラル系識者にも言えることで、推進側の裏返しで「だから裁判員制度は危険だ」という主張につなげられていた。
同じような論理が十数年前、黎明期の住民投票に対して語られていたのを思い出す。「衆愚政治に陥る」という批判だった。でも、多くの現場を見てきた経験から、決してそうではないと明言できる(現に、そういう批判はすっかり聞かれなくなった)。
住民たちは投票のテーマについて深く考え、議論し、将来に向けてどうすればいいのかを一票に託す。一時の煽動に乗せられることなく、冷静に判断しているのだ。だから、そこに表れる「民意」は正直である。住民投票第1号の新潟県巻町では原子力発電所の建設に賛成した票が4割あったし、米軍基地の是非を問うた沖縄県では投票率が6割に届かず、基地反対は有権者全体の過半数を辛うじて上回っただけだった。
裁判員裁判にしても住民投票にしても、「市民は愚かである」という誤った固定観念を捨て、正しい選択ができる条件の整備に力を注ぐべきだ。何より大事なのは、十分で公平な情報の提供である。市民が判断を誤るとすれば、権力側が恣意的な情報提供しかしなかったり、マスコミが興味本位や権力べったりの情報を垂れ流したりした場合だからだ。腐りきった裁判官や議員に任せておけないのなら、どうすれば良いのか。愚かではない市民が、みんなで知恵を絞りたい。
「疑わしきは罰せず」この「裁判」の大原則を、
市民の裁判員が忘れていなかった、ということに、感銘を受けました。
考えてみれば当たり前のことですが、
「検察の利益」を重んじる裁判官が当たり前のように存在している現実が、
今なおあります。司法改革のために取り入れられた「裁判員制度」。
今回のこの判決と内容については、まさにそこへの希望を感じました。
裁判員裁判制度については、また改めて考える機会を作りたいと思います。
どん・わんたろうさんプロフィール
どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。
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