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私のとても尊敬する編集者にIさんという方がおります。
大手出版社の取締役をしばらく務めたあと、その関連会社の社長に就任。やがて相談役を経て、このほど、長かった編集者生活に別れを告げることになりました。
出版業界では、そうとうに有名な名編集者のお一人でした。
そのIさんが、「編集者としての最後の仕事」として携わったのが、『永遠平和のために』(イマヌエル・カント著、池内紀訳、発行・綜合社、発売・集英社、定価・本体1300円)という本です。
120ページほどの、とても小さいけれど、でもほんとうに美しい本です。
(あの安倍晋三氏が使って以来、“美しい”という言葉はずいぶんと貶められてしまいましたが、言葉の本来の意味で、とても美しい本なのです)。
翻訳は池内紀さん、装画は山本容子さん、デザインは木村裕治さん、そして、藤原新也さん、野町和嘉さん、江成常夫さんという3人の写真家の素晴らしい写真が本の中身を引き立てています。
帯の推薦文は、瀬戸内寂聴さんと江國香織さん。
まさに、Iさんの編集者人生を象徴するように、当代一流、最高の芸術家たちが、Iさんのために力を結集してくれたような贅沢な本です。
これほどの人たちに協力してもらえるということは、編集者冥利に尽きる、というものでしょう。
本の帯に、こうあります。
<16歳からの平和論
この小さな本から「国連」や「憲法9条」の理念が生まれた>
Iさんの想いが込められた文章です。
これまでさまざまな雑誌や単行本の編集に携わってきたIさんが、最後まで“平和”の意味を探し続け、その表現に苦心を重ねた集大成が、このとても小さな『永遠平和のために』という本なのだと思います。
Iさんはまた、この本のための宣伝用の文書に、次のように記しています。
<数年前、『新潮』の対談で、浅田彰さん(京大教授)と柄谷行人さん(哲学者)が、憲法9条は、カントの『永遠平和のために』を出発点としているのだ、と言っているのに接した。岩波の文庫を読んでみた。むつかしくて、とても読めない。
これを、なんとか、わたしを含めて、高校生にも読めるようなものにできないものか、と思い、ドイツ文学者の池内紀さんに相談した。おりしも、改憲論議が盛んとなった。若い人たちに、ぜひ、自分で考え、自分の意見を持ってもらいたいと思った。
この本は、その手がかりの基の基になる本だと考えた>
編集者はよく、黒子(くろこ)だと言われます。黒子とは、歌舞伎の早替わりのときなどに、黒ずくめの衣装でそれを手伝う役目の人のことです。つまり、絶対に必要だけれど、目立ってはいけない仕事です。
同じように、編集者が表面に出ることは、あまりありません。とくに、単行本の編集者は、著者の陰に隠れた存在に徹することが多いのです。
名伯楽と呼ばれた編集者は数多いけれど、彼らの業績が一般に伝えられるのは、その職を去って、しかも、彼らが育て、伴走した著者たちが亡くなってからがほとんどです。大成する著者の陰には、有能な編集者が存在する、と言われるのは概ね正しい。(残念なことに、そんな編集者は、めっきり少なくなりましたが)。
だから編集者の足跡は、こうした宣伝用パンフレットや帯の文章などに、ささやかに残るだけです。それで満足するのが、編集者なのです。
Iさんも、そういう編集者のおひとりでした。そして、とても頑固な編集者でした。
どんなセクションにいても、Iさんは、平和の希求という観点を捨てませんでした。平和を阻害するような、戦争への道筋を拓くような本や雑誌の特集に手を染めることは、断固拒否しました。いくら“売れ線”の本であっても、見向きもしませんでした。編集者としての“矜持”です。
そんなIさんの、これが編集者としての最後の仕事です。
やたら声高に、反日だとか国益だとか売国奴だとか、はては歴史の見直しまで叫ぶような昨今の出版物の横行に眉をひそめつつ、静かに平和の価値を再認識しようとする本を、ひとりの編集者の記念碑として、そっと私たちに残してくれたのです。
さて、ではこの『永遠平和のために』というのは、どんな本なのか。
まさに、「新しい訳が新しい輝きを放つ」という好例です。小さな本ですから、じっくり向き合っても、ほんの数時間で読み終えられます。だから、何度でも読み返せます。
3人の写真家の、訳文に合わせた“絵解き”も見事です。それらを見ているだけで、“平和の意味”が心に浮かびます。
<風はどこから来るか
風は過去のほうから来る>
カントの風です。
カントは、難解なドイツ観念論の祖として有名です。
『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』という、いわゆる3大批判書を著し、批判哲学を確立した偉大な哲学者です。本を読んだことはなくても、その名前だけは知っている、という人も多いはずです。私もそんなひとりです。
そのカントが、老境71歳のときに世に問うたのが、この小さな冊子『永遠平和のために』なのです。戦乱のヨーロッパにあって、パンドラの函の底に残っている“希望”を見つける努力が結実した本なのです。
しかし、カントという名前から来る重い圧迫感は、この本にはありません。池内さんの柔らかな訳文が、砂に吸い込まれる水のように、読む者の頭に沁み込んでくるのです。
本文はきわめて短い。
第一章・国と国とが、どのようにして永遠の平和をうみだすか。
第二章・国家間の永遠平和のために、とりわけ必要なこと。
これに、補説、付録、がついている、というとてもシンプルな構成です。
第一章は、私なりの要約では、
①国際間協定について
②植民地主義(領土拡張主義)の否定
③常備軍の廃止
④戦争経済(国債、借款)の否定
⑤内政不干渉
⑥謀略の禁止
ということになります。
現代世界でも遵守しなければならない事項が、きちんと整理されています。とくに目を引くのは、むろん③常備軍の廃止です。浅田・柄谷の両氏が「憲法9条の出発点」と述べた理由が、これでお分かりでしょう。
いま私たちが置かれているこの世界、この戦火の止まない地球上の国家というものの存在・役割を、老カントはきわめて明確に見透していました。
まさにカントは“預言者”だったのです。
預言は、「付録」の部分でも、見事に発揮されています。
ここでは主に“政治とモラル”について語られます。モラル崩壊の政治が、いかに悲惨な結果をこの地上にもたらすか。
それは、私たちの国の政治の崩壊寸前の現状を前にすれば、一目瞭然でしょう。武器調達をめぐる、あまりに汚れた政官財の密着・癒着・虚偽・不正。
戦争(の道具)が人間を堕落させ、品性をドブに落とし込むことの証明を、私たちは最近、毎日のように見せつけられているではありませんか。
人を殺すための道具が、いつの世でも、もっとも巨大でもっとも汚れた利益を生みだす。群がる者たちが手にするのは、人間の血が染みた札束。
多分、カントの時代でも、同じことは起こっていたのでしょう。
しかし、カントはそれでもなお、希望とそこに至る道筋を考え続けたのです。
それがこの本です。そして、そこに新しい装いを与えてもう一度、カントの希望を世に送り出そうとした編集者の想いを、私はきちんと受け止めようと思うのです。
本書の最後に、カントは次のように語っています。
「永遠平和は空虚な理念ではなく、
われわれに課せられた使命である」
ぜひ、この本を読んでいただきたいと思います。
(鈴木耕)
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