071024up
最近、よく近所の散歩に出かけます。今が、散歩には絶好の季節でもあります。爽やかな風と、ようやく色づき始めた木々の葉のそよぎを味わいながら、ふらふらと歩き回っています。
秋の陽は意外に厳しいので、野球帽は必需品。それに、このところ眼がだいぶ弱ってきているので、サングラスも欠かせません。口の悪い姪に言わせると、帽子とサングラスは「犯罪者セット」だそうですが、小さな子どもさんをお持ちのお母さんたちにしてみたら、確かにやや不審者に見えてしまうかもしれません。
このところの子どもをめぐる犯罪の多発は、子どもたちを自由に遊ばせてはおけないような状況を作ってしまいました。なんとも切ないことです。
私たちの子どもの時代には、暗くなるまで外で遊んでいても、なんの怖さも感じなかったけどなあ、と嘆息するしかありません。あのころ、私たち子どもにとって怖いのは、犯罪者でも変質者でもなく、暗闇とお化けと幽霊だったのです。
あんな牧歌的な時代は、もう戻っては来ないのでしょうか。
歩いて小一時間ほどのところに、「湿生植物園」という小さいけれどとても楽しい無料の公園があります。湿地に生えるさまざまな植物を、季節ごとに楽しむことができます。私の、お気に入りのスポットのひとつです。先日、そこの入り口に、こんな「断り書き」の看板がかけられていました。
ん? なんかヘン。
「いやいや、別にご遠慮なさらなくてもけっこうですよ」と、思わず突っ込みを入れたくなるような文章です。ここは、「ご遠慮ください」とするのが、あたり前でしょう。貼り紙の前で、首を傾げてしまいました。
どうも、こんな妙な「敬語・丁寧語?」が、最近やたらと目についたり耳にしたり、ということはありませんか?
保健所が赤福の社長さんを呼んで、処分を言い渡したときの様子を伝えたニュースです。
「無期限の営業停止処分とさせていただきます」と、保健所側が赤福の社長さんに告げたのです。
アレッ? させていただきます?
耳を疑いましたね。
厳しい処分を下したのです。「させていただく」はおかしい。「無期限の営業停止を命じます」とでも言うのがあたり前じゃないでしょうか。
最近、やたらとこの「~させていただきます」という言い回しを耳にします。
社員が「この会社で働かせていただいております」
俳優が「このドラマに出させていただいて、とても嬉しいです」
政治家が「○○法案を提出させていただきます」
それを受けて、政治家が「審議させていただきます」
(そのくせ、強行採決だ激突国会だ、とちっとも丁寧な審議などしやしないくせに)
何なのでしょう、この不気味なへりくだりは。
そのうち警察が、犯人に「逮捕させていただきます」なんてことになるんじゃないか、などと冗談を言いたくなるような“~させていただきます症候群”です。
どうも、本心を隠して適当に物事を誤魔化したいときに、「まあ、とりあえず丁寧語を使えば、なんとかうまくいくかも」的な発想で喋っている、そんな気がします。
“~させていただきます”という言葉には、ちっとも誠意を感じないのです。特に、官僚や政治家がこんな言葉を使ったときは、絶対に要注意です。
患者団体や野党の追及にも「鋭意、調査させていただきます」などと言って、長い間放置してきたのです。
ところが、そのリストの存在が、10月19日に明らかになってしまいました。それは「調査させていただいた」結果ではありません。追求に耐えかねて明らかにせざるを得なかったのです。
「もっと早い時期に公表していてくれれば、死ななくてすんだ患者も多数いたはずです。自分がC型肝炎感染者であると知れば、それなりの治療も受けられたのです。それを知らずに、いったい何人の患者が、これまでに亡くなったと思いますか。厚労省と国は、患者の命より自分たちの保身を優先させたのです。国家が国民の生命をここまでないがしろにして、それで正しいと思っているのでしょうか。ほんとうに悔しい」
患者団体の方の、悲痛な叫びです。
薬害エイズ問題のときと、少しも変わっていません。川田龍平さん(現参議院議員)が、HIVに対する偏見と差別に屈せず、自らの姓名を明らかにして厚生省(当時)に闘いを挑んだときと、今の厚労省の姿勢はまるで変わっていない。官僚も国も、あの十数年前の川田さんたちの痛苦な闘いから、何ひとつ学んでいないことになります。「~させていただきます」を繰り返すばかりで、責任を回避し続けたのです。
「大人の議論」というヤツです。
例の「テロ対策特措法」についての議論の中で出てきた言葉です。当事者の閣僚の一人である高村正彦外務大臣が、こんなことを言ったというのです。
「国際常識に反するのではないかと思いながら、政府がいちいち(使途を)聞いている。米国が(対テロ作戦に)使ったうち日本の提供分はほんの一部だと発表した。それが大人の議論というものだ」(朝日新聞10月20日付)
つまり、高村外相が言いたいのは、次のようなことでしょう。
<日本が「テロ対策特措法」にしたがって、インド洋上でアメリカの艦船に給油した分は、正確には何に使われたか分からない。本来の国際常識ならば、恥ずかしくて聞けないようなことを、日本政府は無理してアメリカに聞いているのだ。
野党は、これをイラク戦争に使った疑いがあるし、テロ対策特措法にも違反しているから、即刻、自衛隊を引き上げさせるべきだ、と主張している。
しかし、アメリカもどこに使われたか分からない、使われたとしてもほんの一部だと言っているではないか。アメリカの言い分も聞いてやって、そこは「大人の議論」で納得してほしい>
まあ、そんな意味になるのだと思います。
アメリカ国防省が発表したのは、「日本の自衛艦から給油された燃料をイラク戦争向けに転用したことはないはずだが、燃料の使途は追跡が困難だから、詳細については分からない」ということでしかありません。
そこを突かれれば、これまで日本政府が「日本がアメリカに供与した燃料は、テロ対策特措法の趣旨に沿って、適切に使用された」とする説明が破綻してしまいます。
そこで、高村外相の「大人の議論」発言が出てきたというわけです。
まあまあ、あんまり硬いことを言わないでよ。そこはそれ、お互い大人でしょ。まあ、そこんところ、汲み取って処理してよ。あんただって大人なんだから、分かってくれるでしょ。
こんなことが、政治の世界ではまかり通るのでしょうか。ことは戦争に直結している事項なのです。そんなウヤムヤ決着が許されていいはずがありません。
“~させていただきます症候群”と同様、適当な曖昧決着を図りたい本心がミエミエです。
戦争という場に、アメリカの要請に唯々諾々と従って自衛隊を送り込んだあげく、そこで行われていることを、きちんと把握もせず国民に明らかにもせず、「大人の議論」とやらで幕引きにしようとする。
今度は防衛省が、アメリカへの給油量を20万ガロンと発表しながら、実は80万ガロンだったことが明らかになりました。その事実を4年前の福田康夫官房長官(当時)の国会答弁の翌日に把握していながら、防衛庁(当時)の幹部は知らんぷりで4年間も訂正もしなかったことが、バレてしまったのです。
知っていながら、口を閉ざしたのです。それは、嘘をついた、ということと同じです。嘘つきです!
これもまた、官僚たちの仕業です。
そして、その防衛官僚のトップに君臨し続けた守屋武昌前防衛事務次官の、凄まじいばかりの関連企業との癒着疑惑。奥さんや娘さんまでひっくるめてのベタベタ関係。
もはや言葉を失います。
スキャンダルはともかく、給油は停止すべきだと思います。
当事国であるアフガニスタンのカルザイ大統領さえ、日本がアメリカ艦船へ給油を行っていたことなど知らなかったと言われています。
当事国さえ、知らなかった。知らないのだから、むろん、感謝なんかするわけもない。感謝しているのは、タダで油を貰っているアメリカだけでしょう。
さらに、日本政府は口を開けば「国際貢献」「国益」を言い立てますが、当初、この地域に軍を派遣していた15カ国のうち、現在も残っているのはわずかに米英仏独日の5カ国のみだということです。
あとの10カ国は、すでに撤退ずみ。それでも、それらの国々が「国際貢献を拒否した」などと国際社会で批判されていることなどありません。「国益を害した」と困っている様子もありません。
そんなことは、むろん日本政府は知っているはずです。しかし、国民には、なぜかほとんど知られていない。
どうも、私たち国民は、肝心の情報をまったく与えられずに、ただただ「国際貢献」なる言葉に踊らされているだけのようです。
(小和田 志郎)
ご意見募集