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デスク日誌(26)

071017up

亀田騒動とメディア

   ボクシングWBCフライ級世界戦、「ヒール亀田 vs. ベビーフェイス内藤」の話題で、盛り上がっています。確かに、ひどい試合でしたね。

 あれだけルールを逸脱してしまえば、スポーツというものは成立しません。その逸脱を意識的に行ったのだとしたら、その選手はもう、スポーツマンであることを自ら放棄してしまったのだと言わざるを得ないでしょう。

 同じことは、大相撲の世界でも言えます。

 どうも、大人がおかしい。亀田兄弟にしても、大相撲の時津風部屋の事件にしても、当事者たちよりも、周りの大人たちがダメなのだ、と思えて仕方ありません。

厭な感じ

 私はこれまで、あの亀田親子の言動を見聞きするたびに、何とも言えない厭な気分になりました。その感じがどこから来るのか、それはある種の人たちの物の言い方に似通っていたからだ、ということに気づきました。

 そうです。ネットの世界で、意見の違う他人を、大声張り上げて罵倒する一群の人たちです。

 相手の言い分をきちんと聞かずに、まるで機械的に反応します。そこには「品格」も「品性」もありません。あるのは、いかに相手を傷つけ、圧倒的な攻撃で黙らせるか、という妙な快感を伴った手法だけのように思えます。

 あの亀田親子のインタビューを聞いていると、そんなネット社会の負の部分を見せつけられたような厭な気分になるのです。

 少しでも自分と違う意見に接すると、たちまち居丈高になって差別用語満載の悪口雑言を連発羅列する。ただただ相手を黙らせるための攻撃です。

 似ているのです。

 あの亀田興毅選手と父親の史郎氏の記者会見を見ていて、思わず「いい加減にしろ!」と、テレビに向かって怒鳴りつけたくなったのは、決してやくみつるさんだけではなかったはずです。

 対戦相手の内藤大助選手に対して「ゴキブリだ」とか「負けたら切腹せえよ」とか、はては「何を使って切腹するんじゃ」などといいたい放題。 不愉快でした。

   これらのことが、どうも、ネット社会の現状にダブルのです。相手があまりのことに呆然と立ちすくむのをいいことに、悪口雑言の速射砲。

 そこに、さらに追い討ちをかける人たちが出現します。今回の場合、その追い討ちに加勢したのが「大人たち」だったと思うのです。

テレビ局の思惑

 本来なら、言い過ぎ・やりすぎのパフォーマンスを止める役を務めなければならないはずの「大人たち」が、調子に乗って喚きたてる若者に対し、火に油を注ぐような行為をしたのではなかったでしょうか。それが、父親の亀田史郎氏であり、前時津風親方だったと思います。

 しかし、今回のこの酷すぎたボクシング世界戦について、私がいちばん腹立たしく感じるのは、実はそんな個人に対してではないのです。

 それは、TBSというテレビ局です。というより、メディアそのものに対してです。

 むろん、亀田親子の不遜な言動を、人気があるからと放置してきたJBC(日本ボクシングコミッショナー)にも、責任はあるでしょう。しかし、それ以上に反省を求めたいのは、TBSというテレビ局に対してです。

 TBSは、亀田兄弟の試合の放映権を独占してきました。そのためにTBSがこれまで亀田親子に支払ってきた金額は、多分、相当なものでしょう。特別番組やニュース報道の中で、亀田親子を持ち上げ、ヒーローに仕立て上げてきたのは、その元を取るためだったのでしょう。

 いうなれば、亀田興毅・大毅・和毅の3兄弟は、TBSというテレビメディアに、父親ともどもまるごと抱え込まれていたのです。それは、視聴率至上主義のテレビ局が落ち込んだ甘い罠だったといえます。

 とにかく亀田兄弟は視聴率が取れる。しかも若い。これからも長い間、この3人で商売ができる。だから、まるごと買いとってしまおう。

 実に単純な図式です。そして、そのためには、多少の暴言や暴走には目をつぶってもいい-----。

責任放棄した大人たち

 亀田親子が毒を吐けば吐くほど、一部の熱狂的なファンは大喜びします。まあ、悪役の面白さに眉をひそめつつも、ついチャンネルを合わせてしまった視聴者も多かったでしょう。それが視聴率につながったわけです。

 率が取れるなら、何をやってもかまわない。

 テレビ局の堕落を、象徴的に現しています。

 本来ならば、テレビ局の「大人たち」は、暴走する亀田親子に歯止めをかける役目を果たすべきでした。あまりの悪口雑言には、せめて注意を促すぐらいのことをやらなければならなかったはずです。なにしろ、TBSは亀田親子の巨大なるスポンサーだったのですから、その程度のことができないはずはない。

 TBSがメディアとしての社会的責任を自覚していたならば、画面に写るあまりにひどい亀田親子の言動に、待ったをかけなければならなかったはずです。  ところが、視聴率に目がくらんだTBSは、そんな役目を簡単に放棄してしまった。亀田親子が対戦相手との共同記者会見で、見苦しいほどに相手選手を挑発し、悪口を投げつける。それが話題となって、他局のテレビやスポーツ紙に取り上げられる。それでまた、視聴率が上がる。

 なんとも、さもしい根性ではありませんか。

 視聴率のためにはボクシングというスポーツそのものを貶めてもかまわない、TBSがそう判断したといわれても、反論できないでしょう。

 社会の公器(もはや死語になりかけていますが)という立場を、この亀田騒動に限っては、TBSは完全に放棄してしまったのではないでしょうか。

同じ穴の狢(むじな)

 これはしかし、TBSだけの問題ではありません。

 時津風部屋の少年力士死亡事件については、あれほど執拗に相撲協会の態度を批判する各テレビ局が、この亀田問題については、亀田親子は批判しても、本来の責任者であるはずの肝心のTBSを、ほとんど批判していない。

 多少の批判は、中継したアナウンサーやディレクターなどの現場スタッフに向けられ、テレビ局自体の責任を問う声は、いまだ聞かれません。

 (テレビ朝日コメンテーターの川村晃司氏が、きちんとテレビ局自体の責任に言及していましたが、これは例外です)。

 当然です。もし他のテレビ局がTBSに批判の矢を放てば、それはブーメランのごとく戻ってきて、自局に突き刺さることになるからです。

 世界水上や世界陸上などの独占中継時に見せる、あの異常とも思えるはしゃぎようは、一歩間違えば、TBSと同じ陥穽に落ち込む危険性を秘めているのです。いや、すでにそこへ陥っているといっていいでしょう。だから、他局は同じ穴の狢であるTBSをかばいこそすれ、批判は避けて通るのです。

 相撲協会は、自分たちとは違う組織です。いくら批判しようが痛くも痒くもありません。むしろ、叩けば叩くほど視聴率が取れるのだから、水に落ちた犬、もう叩き放題です。

 ならば、同じ論法で、亀田親子を暴走させた責任者としてのTBSも叩かなければならない理屈なのですが、そこはすっぽりと頬かむりです。

 メディアの堕落、と書いた理由です。

大人たちの劣化

 大人たちは、少年犯罪やいじめなどについて、「若者たちの劣化」だとか、「ゆとり教育の失敗」だとか、訳知り顔で批判・論評します。特に政治家たちの言い草がそうです。

 しかし、私には、そんなことを言う「大人たちの劣化」のほうこそ問題だと思われてなりません。(自分も含めて、という自覚ぐらいは私も持っているつもりですが)

 あの亀田親子の暴走を、なぜ誰も止められなかったのか。時津風部屋の悲劇を防ぐ手だてはなかったのか。

 こんな「大人たちの劣化」が、一群の人たちの、聞くに堪えない暴言暴走を助長してきたのではないかと思うのです。

 あの亀田親子の、他人を敬うという意識のひとかけらもないような言葉遣いを放置し、それを垂れ流してきたのがテレビです。それを見聞きした人たちが、「あんなことを言っても許されるのなら、ネット上で何を書こうが勝手だろう」と考えたとしてもおかしくありません。

 今回の事件後、各テレビ局が、まるで手のひらを返したように内藤選手を持ち上げるのも、なんだかテレビ局の自己弁護をむりやり見せつけられているようで、あまり気持ちのいいものではありません。これを、メディアの「必殺手のひら返し」といいます。同じ事例が、掃いて捨てるほどあるからです。

 むろん、内藤選手には何の責任もありません。逆に、内藤選手の爽やかさと訥々とした口調は救いでした。内藤選手によって、亀田親子の後味悪さを消してもらったことに、私も含め、みんながホッとしているようです。

もっと大切なことが

 そして、最後にやはり一言。

 もっと報道しなければならない大事なことがあるはずです。

 あの沖縄の「教科書問題」なんか、大集会の以前には、ほとんど報道しなかったではありませんか。

 もっと大事なことが、いーっぱいあるだろう、と思うのです。

(鈴木 耕)

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