070822up
合併号ということで、1週間のお休みをいただきました。「マガジン9条」のボランティア・スタッフ一同も、みんな、それぞれの夏休みを過ごしてきたようです。
私も大好きな伊豆で、短い夏休みを楽しんできました。
西伊豆の、観光客などほとんど来ないような浜辺で、一日中寝転んでいました。パラソルとキャンピング・チェアは自前です。それらを貸し出すような「海の家」なんか、この浜にはないのです。むろん、耳障りな浜辺の音楽もないし、ぎゃあぎゃあと騒がしいだけのグループも、ここには来ません。
多分、大騒ぎできるような設備も雰囲気もここにはないから、騒ぐことだけを目的とする人たちにとっては、つまらない浜辺なのでしょう。
だから、私には最適。
それでも、親子連れやのんびりグループが数組、磯遊びや岩場での素潜りなどを楽しんでいました。猥雑な観光地をちょっと離れれば、手付かずの自然が残っている海辺は、伊豆にはたくさんあるのです。
私には楽しい夏、少しだけ日に焼けて帰ってきました。
背中の皮が、むけ始めています。
うーむ、かゆい。
ときおり、孫の手で背中をポリポリしながら、原稿を書いています。
この暑さの中、今年も8月15日がやってきました。62回目の「敗戦の日」です。私には、その日の様子が、なぜかいつもの年とは違うように感じられました。
(ところで、この「終戦」という言い方に、私はとても大きな違和感を持ちます。白を黒とは言えないので、なんとなく灰色にしてぼかし、本質を見えなくしてしまう、そんな作為を感じるのです。終戦と敗戦、どちらの言葉がこの戦争の終わり方には適切でしょうか。私はやはり「敗戦」とはっきり言うべきだと考えます。ごまかしてはいけません)
8月6日、広島の平和祈念式典では、秋葉忠利広島市長が「過ったアメリカの政策に追随することなく、平和憲法を遵守し」と、はっきり述べました。
同じ9日の長崎の式典では、田上富久長崎市長が「非核3原則の即時法制化を求める」との宣言を読み上げました。
おふたりとも、安倍晋三首相の真ン前での発言です。
そして、8月15日「敗戦の日」、東京の武道館で行われた戦没者追悼式典では、河野洋平衆議院議長が安倍首相の「戦後レジームからの脱却」路線を厳しく批判しました。
それは概ね、次のようなものでした。
「私たち日本国国民が62年前のあまりに大きな犠牲を前にして誓ったのは、過ちを決して繰り返さない、ということでした」「そして、海外での武力行使を禁じた日本国憲法に象徴される新しい戦後レジームを選択して、今日まで平和のうちに歩んできました」「日本軍による非人道的な行為によって人権を侵害され、心身に深い傷を負い、いまもなお苦しんでおられる方々に、心からなる謝罪とお見舞いを申し上げたいと思います」
第16代自由民主党総裁を務めた現在の衆議院議長に、それこそ眼前で痛烈な批判を浴びたのは、第21代自由民主党総裁で現在の総理大臣・安倍晋三その人でした。河野衆院議長は、安倍首相の「戦後レジーム脱却路線」をはっきりと名指しで非難したのです。
今回の参院選での安倍晋三演説風に言えば「戦後レジームを取るか、戦前体制に回帰するかの選択だ」と迫ったわけです。
そしてそれは、河野氏が官房長官時代の1993年8月に出した、いわゆる「河野談話」(従軍慰安婦などの日本政府・軍による犠牲者、被害者に対するお詫びの気持ちを、日本国政府として述べたもの)を否定しようとする「安倍仲良し右派内閣」やそのブレーンたちへの、強烈な批判でもあったのです。
まさに、異例の出来事です。
続いて挨拶に立った、今回の民主党の大勝利によって就任したばかりの、江田五月参議院議長にも、安倍首相の「戦後レジーム脱却」路線は同様の批判を浴びました。
広島長崎両市長も衆参両院の議長も、みんな同じように、安倍晋三首相の「戦後レジームからの脱却路線」=「改憲前のめり路線」=「美しい国路線」、そして最後に行きつくところの「戦争のできる国づくり路線」に、大きな危惧を抱いたのに違いありません。でなければ、期せずして同じような直言が、あたかも安倍首相その人にぶつけるように、目の前で飛び出すはずがないのです。
苦虫を噛み潰したような顔で両市長の平和宣言を聞く安倍首相の腹の中は、暑さと不愉快さで、グラグラと煮え立っていたかもしれません。でもそれは、身から出た錆です。
むろん、このような式典で読まれる文章は、何日も何日もかけて練り上げられたものです。特に、長崎の田上市長の平和宣言などは、宣言起草委員会が長い時間をかけて議論したうえで書かれたものです。決して市長ひとりの意見などではなく、多くの市民の議論の末の総意だったのです。
それは、今回の参議院選挙で示された国民の意志表示と同じだった、と言ってもいい。国民は安倍首相のキナ臭さに気づいたのです。それが両市長や両議長の安倍首相への痛烈な発言の背景です。
国民の生活などは二の次三の次、ひたすら祖父・岸信介元首相の意志を継いで憲法を改定することにのみひた走った、安倍晋三という戦前回帰願望首相の国民無視の志向性が、ここに来て大きな破綻を見せ始めました。
「平和のどこが悪いのか?」
国民の単純明快な問いに対する安倍首相の答えは、まだありません。
「平和より、強い国がいいのだ」
多分、安倍首相はそう答えたいのでしょうが、その答えはますます支持率の低下につながります。それが怖くて、安倍首相は自らの心に封印したのです。例によって「靖国神社の参拝に行くとか行かないとか、外交問題になっているので、明言はしない」と言います。
これ、どう考えても、ヘンです。外交問題だからこそ、なぜ行くのか、またはなぜ行かないことにしたのか、はっきりと諸外国に向けて説明し、外交問題化を避けなければならないはずなのです。論理がメチャクチャです。まあ、安倍首相に、論理を要求してもムリとは思いますが。
安倍内閣の閣僚たちも同じです。昨年まで、大騒ぎして暑いさなかの靖国参拝を行っていた閣僚たちが、今年は事前の参拝予定者、ゼロ。でも、当然のように目立ちたがり屋さんは出てきます。高市早苗内閣府特命担当大臣です。
かつて「私は戦後生まれだから、戦争になんか何の関係もない」と放言し、あの田原総一郎氏にさえ「最低最悪」とこき下ろされた方です。
それが急に、「あの戦争で尊い犠牲になられた方々に思いを馳せ」たのだそうです。突然思いを馳せられた戦死者たちも、大いに戸惑っていることでしょう。で、今年の8月15日の靖国参拝閣僚は、この高市大臣ただひとり。
小池百合子防衛大臣などはごたごたで忙しくて、とても靖国を参拝している余裕なんかなかったでしょう。
それにしても、防衛大臣と防衛事務次官の大喧嘩がメディアを騒がす事態、集団自衛権なんぞを議論しているヒマがあるのでしょうか。機密も有事即応体制もあったものじゃない。携帯が繋がったの繋がらなかったのと悪口の言い合い。機密保持なんてことは、かけらも考えなかったらしい。何かがあったらどうするのか。
やはり、防衛省になど昇格させるべきではなかったのです。今回の事態は、軍人と文官の確執、という面もあります。そこをきちんと詰めることなく、省に昇格させてはいかに危ないか、この騒ぎが如実に物語っています。
この防衛省問題に、さらなる恐ろしさを感じさせたのは、「ヒゲの隊長」なるキャッチフレーズで今回の参院選に比例区当選した、元自衛隊イラク派遣部隊長(当時は一等陸佐)の佐藤正久議員の言葉です。
この人、当選直後のインタビューで「イラクという戦場から、国会という戦場に戦いの場を移した」と、イラクが戦場であったということを自ら認めて、小泉前首相の「自衛隊のいるところは非戦闘地域」という迷答弁をあっさり否定して見せたけれど、それでは足りず、今度はTBSテレビのインタビューで次のように語ったのです。
「もしイラク駐在中に、オランダ軍が攻撃されたら、こちらから出かけて行って巻き込まれるような状況を作り、『駆けつけ警備』としてやむをえなかったという状態で交戦するつもりだった。友軍が攻撃を受けているのに見殺しにするのは、軍人としてとてもできない」(要旨)
これは一体どういうことでしょう。自衛隊員がはっきりと「自らの意志で外国軍と交戦するつもりだった」と言明したのです。憲法も法律も知ったことじゃない。巻き込まれるような状況を自分で作って戦うのだ、と言うのです。憲法違反は承知の上。恐ろしい。
この人、今度は「国会を戦場にする」という。ほんとうに、恐ろしい。こんな発言を繰り返す人を、議員になどしておいていいわけがない。メディアは、なぜもっと大きくこの発言の批判をしないのか。
憲法の非戦条項を、どう考えているのか。
自衛隊では、憲法について、いったいどう教えているのか。
そういえば少し前、自衛隊が国民の活動を監視していた、という報道がありました。自衛隊という組織が、とうとう暴走の気配を見せ始めたという感じがしてなりません。
背筋が寒くなります。
やはり、防衛省は庁にとどめておいて、しっかりと官邸がコントロールすべきだったのです。いまは、シビリアン・コントロールが失われつつあるような気がします。
けれどそれは、「仲良し官邸団」と揶揄される現在の安倍官邸ではまったくムリでしょう。
ああ、考えれば考えるほど、切なくなります。
平和の意味を、なんとなく考える夏。
そうしたら、はっきりと安倍首相の危なっかしさが分かってきた夏。 だから、9条の価値が大きく思えてきた夏。
そんな夏だったような気がします。
(小和田志郎)
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