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『エルム街の悪夢(A Nightmare on Elm Street)』というホラー映画を、みなさん、ご存知でしょう。
顔半分焼け爛れた殺人鬼フレディ・クルーガーが、繰り返しナンシーの夢の中に登場し、やがてそのフレディが現実となって襲いかかる、という恐ろしくも不気味な映画です。
1984年に作られて大ヒット。次々と続編が作られて、1994年の『エルム街の悪夢 ザ・リアルナイトメア』まで、計7本の大ヒット・シリーズとなったのでした。
私はホラー映画は苦手ですが、それでもこのシリーズは確か2本を観ています。それだけヒットしたという証しでしょうか。
ナイトメア、悪夢。 この映画は、悪夢が現実になる、というパターンですが、私たちの国の場合は、現実がすでに悪夢を超えているようです。それも、「国権の最高機関」である、国会という名の汚れた場所で。
いまの国会議事堂は、私には、まるで巨大な「石棺」のように見えて仕方ありません。
「石棺」とは、1986年4月26日に起きたソビエト(当時)のチェルノブイリ原発事故で封印された原子力発電所のことを指します。
いまなお凄まじい放射能をはなち続けるチェルノブイリ原子力発電所4号炉を、数百万トンのコンクリートで固めて、なんとか放射能漏れを防ぎ汚染を食い止めようとした人類の巨大な負の遺産、灰色の棺桶のことを「石棺」と呼んだのです。
上空から写されたこのコンクリートに覆われた原発の姿は、ほんとうに「石棺」という以外に表現しようがありません。
コンクリートで分厚く覆ったことにより、一応は放射能漏れは防げたとされたのですが、コンクリートはその後かなり劣化、またしても放射能がそうとうに漏れ出しているといわれています。しかし、根本的にこの放射能漏れを防ぐ手だては、ほかにはありません。何度でも繰り返してコンクリートを注入していくしか、現在のところ方法はないのです。
それが、最先端技術の塊、などと誇らしげに政府や電力会社、原発メーカーなどが呼ぶ原発技術の実態です。政府や企業の言うことを、そのまま信じてはいけない見本のようなものが、この原子力発電所なのです。
日本でも、数々の原発事故隠しがニュースになりました。一歩間違えば、という事故だってあったのです。それを隠し続けた。それが、いまもポツリポツリと現れます。
つい最近も放射能漏れを報告しなかった原発のニュースが報道されたばかりです。
しかし、ここで私は原発について書こうとしたのではありません。
私たちの国の国会議事堂という巨大な石造りの建築物も、すでに「民主主義の石棺」になっているのではないか、と言いたかったのです。
ここで毎夜のように行われていることは、ひたすら数の力で押しまくり強行採決を繰り返す、民主主義の壮大なる葬いの儀式です。
民主主義とは、議論を尽くした上で、多数派がいかに少数派を説得し合意に至るか、というプロセスにほかなりません。しかし、たった一日で出来損ないの法案をでっちあげ、数の力を頼んで押し通した「年金時効停止特別措置法」などの惨状を見ていると、そこはまさに民主主義の墓場です。
選挙目当てのあからさまな強行採決。それを、非民主主義と呼ばずして、どう呼べばいいのでしょう。
安倍晋三首相の掲げる「戦後レジームからの脱却」とは、「民主主義政治からの脱却」の意味でしかなかったようです。
「歴史は夜つくられる」という言葉があります。確かフランス映画のタイトルだったと思いますが、いまではこの言葉は、ひっそりと誰もが気づかない時と場所で、歴史を変えてしまうような、何か重大なことが行われている、というほどの意味で使われています。
どこの国でも、表ざたにできないことは、陰で密やかに行われるものなのでしょう。
しかし、私たちの国ではどうも違うようです。ひっそりとどころか、テレビカメラが回り多くの記者たちが見つめる中で、本来なら表ざたにはできないような恥ずかしい場面が堂々と演じられているのです。
深夜堂々(こんな言葉は聞いたこともないけれど)、国会というあの石棺の内部で、怒号と罵声に追い立てられるようにして、次々とどうにもおかしな法律が作られていく。 今国会の最後の最後に、例によって与党の強行採決で、6月30日午前2時46分に成立したのが「公務員制度改革関連法」でした。
午前3時ごろといえば、ほとんどの人たちが寝静まった深夜です。抜け穴だらけと評される法律が、なんと、参議院の委員会採決をすっ飛ばして強引に本会議に送られて、そんな深夜に与党の賛成多数で成立しました。
普通であれば、まず法案は両院の担当委員会で議論し、その上で採決をして、それからやっと本会議に送られる、というのが筋道です。ところが今回は、この委員会の委員長が民主党議員だという理由で、委員会での討論も採決も行わずに、与党は数の力をたのんで、強引に、そして一方的に本会議に送りつけてしまったのです。
まあ、なんということでしょう(少し古いフレーズ)。手続きそのものを無視しての強行採決。手続きを無視していいのであれば、国会審議など必要はなくなります。選挙で多数を得た側は、何の審議もせずに、どんどん自らが望む法律を作っていけばいいことになります。
「選挙が終われば民意は見えた。多数党はすべてを国民から負託された。国民の意志は多数派である我々の意志である。我々がこうと決めたら、即ちそれは国民の意志であるはずだ。だから、少数派の意見などに、耳を傾ける必要はない」
これが、現在の安倍晋三首相の心境なのでしょうか。
こういう国会運営をするリーダーを、普通の言葉では「独裁者」といいます。私は、安倍晋三さんの顔写真の鼻の下に、ちょび髭を描き加えるという運動を起こしてみたい気分になっています。
これで一体、今国会で何回目の強行採決だったのでしょう。同一会期内での強行採決数としては、ギネスブック級の凄さです。
安倍晋三首相、それだけは大したもんです。
知人の新聞記者も週刊誌記者も、「こんな国会はまさに前代未聞、後世に汚点を残す国会として記憶されるだろう」と口を揃えていました。
汚点だろうが何だろうが、安倍晋三首相にとっては歴史に残ればそれだけで満足なのかもしれません。彼の祖父・岸信介元首相のように。
それにしても、この公務員制度改革法にしても政治資金規正法にしても、なんとも酷い中身としか言いようがありません。
公務員の天下りを防ぐ、という名目で考えられたはずの公務員制度改革なのに、天下りの斡旋機関をこれまでの各省庁別から一本に統合して、内閣府が一括して行う、というだけの話。いろいろ説明はしているけれど、要するに、これまで以上に天下りは行う、ということ。細かくつめて見てみれば、そうとしか言いようのない代物です。
政治資金規正改正法にいたっては、開いた口が塞がらない。
これまで領収書が要らない、ということで使い放題、黒い資金の隠れ場所になっていた政治資金に網をかけよう、透明化しよう、という主旨だったはずなのに、これまた領収書は5万円以上のみを添付、さらにそれが必要な政治資金団体はひとつだけに限定しました。
つまり、政治家が複数持っている政治団体に資金を振り分けてしまえば、さらに、使った金を4万9千円ぐらいに小分けしてしまえば、領収書は不要。もうお金の入りも出も何もかも闇の中、という呆れるほど図々しいザル法なのです。
松岡利勝前農水相の自殺を受けて、なんとか政治家と金の流れを明確にして、国民に疑惑をもたれない政治にしようという主旨の法律だったはずなのですが、松岡大臣の自殺を早く忘れてしまいたい、自身にも後ろ暗いところのある自民党政治家たちの大陰謀、それがこの規正法です。
これらを、深夜の国会でゴリ押しに押し通す。そこに、政治倫理も民主主義も欠片も見えません。
私が、国会を「民主主義の石棺」と呼びたくなる理由がお分かりでしょう。
やはり、しっぺ返しは始まっているようです。
7月2日付の各新聞は、世論調査の結果を発表しました。 そこに示された数字は----。
(小和田志郎)
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