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2010-06-02up

Kanataの「コスタリカ通信」

#008

街の「安心」って何だろう

 もう少しで、こちらにきて4カ月になろうとしています。方向音痴なわたしもだんだん地理が頭に入ってきて、バスに乗るのもうまくなってきました。でも、18時ごろにうす暗くなり始めると、家のすぐそばでも歩きたくない状況になります。街灯が少ないことや、すれ違う人の雰囲気などもなんとなく変わってきます。少しの距離でも暗くなってからはタクシーを使うようにしています。コスタリカ人も現在、治安に対してはとても敏感になっていて、住宅地でも厳重に個々人が防犯対策を行っています。とはいえ、少しやりすぎなのではないかと思うほどの防犯対策です。

住宅地の写真だが、どの家にもとても背の高い扉がある。

 先日、授業で首都・サンホセの治安について描かれたドキュメンタリー映画『doble llave y cadena(二重の鍵と鎖)』を観ました。それぞれの店や住宅が大きな扉や鉄条網、何段階にも分かれた鍵を持っている様子が映されていて、「サンホセはまるで監獄のようだ」と描写されています。「昔は鍵をかけなくても泥棒に入られることはなかった」「警察が守ってくれないから、自分たちで自分たちを守るしかない」などの言葉も聞かれました。警察への信用のなさがうかがえますが、一方で一度泥棒に入られたことで防犯対策をどんどん加速させていった人が「門をつくり、銃を持ち、柵もつけたけれど眠れない」ということを言っています。まさに恐怖の連鎖から人々が抜け出せなくなっている状況に思えました。さらに、過剰な防犯対策のため、火事が起きても逃げられなかったという事件も起きているそうです。「監獄」という表現が映画の中で用いられていましたが、“悪人”が街という監獄にいるのか、住民が恐怖という監獄にいるのか、分からない状況になってしまっているのではないでしょうか。

犬も飼い犬は外に出さない。ちょこっと空いた穴から顔を出してこちらを見ている。

 現在、コスタリカ国民の84%が、国が抱える一番の問題は治安と考えているそうです。わたしが2年前コスタリカに来たときに訪問した小さな村では、「夜、最後に帰ってきた人が鍵を閉めてね」と言われるだけで、もちろん扉も鉄条網もありませんでしたが、首都や大きな街に近づけば近づくほどこういった問題は深刻化しているようです。国民の治安への意識が高まる中、先日5月から大統領に就任したラウラ・チンチージャはこのような政策を打ち出しました。

①4年間で、警察官の数を50%増員する
②警察法規の中の警察官の昇給システムを見直し、元警察官の年金特別体制を促進する=給料を上げることで、モチベーションアップをはかる
③警察内で働く事務や料理人などの人員を減らす
④犯罪に関する情報の統計システムを完璧なものにし、このシステムにより常時犯罪行動を監視することを認める
⑤電子監視システムを公共のあらゆる場に設置する

①、②警察の増員、給料増額について
 普段、首都の中心部では警察をよく見かけますが、おしゃべりをして笑っていたりする印象があります。街の人々は警察をもっと増やすべきだと新聞でも訴えています。さらに彼らのモチベーションアップのための昇給が考えられているそうです。しかし、警察を増やしたところで事件が減るとは限らないし、人々の恐怖も減るのでしょうか。わたしの感覚では、かえって緊張感が増し、安心して街を歩くという気分にはならない気がしてしまいます。

子どもたちが道端で遊んでいる姿をあまり見かけない。

⑤監視カメラ設置について
 先日、わたしの住む街にも監視カメラが設置されたという報道を目にしました。「監視カメラは犯罪の抑止力になり、犯罪が起こった場合は検挙の大きな力になり、将来の安全、安心の礎となる」という考えを基に設置が行われ、監視カメラという名称ではなく「安全カメラ」と呼ばれるそうです。
 しかし、カメラに守られる“安全”とは何でしょうか。防犯ということを利用すれば、そのためのカメラも売れるし、それを監視するための雇用が増えると世の中は喜ぶのでしょうか。それを一日中見続ける仕事がこの世に存在していることを考えるだけで、やりきれない気持ちになります。働くことは生きることとも言い換えられるはずで、やはりカメラの映像を見続ける生き方があるのはおかしいと思ってしまいます。そんなものに守られる“安全”の中で生きていきたいとは思えません。

大きな扉に鉄条網。

 どんどん高まっていく不信感、恐怖の連鎖。そしてそれを煽るような防犯グッズの販売広告。コスタリカでも銃を持つ家庭が増えているそうです。人々の恐怖の連鎖を解いていくために必要なことは、個々人が防犯のために大きな扉や鉄条網を設置し、銃を持つことでしょうか。警察の数を増やすことでしょうか。監視カメラを設置することでしょうか。そもそもの原因である人への不信感を取りはらうためには、個々人がばらばらで何かをやっていくのではなく、そして権力の力を借りるのでもなく、人と人とのつながりの中ですすめていくべきだと考えます。カメラではなく、人の目によって心地よく暮らしていくことができるのではないでしょうか。
 今、治安や安全というものは守られるべき人権のひとつであるという考え方が世界のスタンダードになっています。しかし、現在の方向性の背景にはそれを商売として捉えている資本主義の考え方があるということを忘れてはいけないし、大きな流れであるそういった考えや権力に頼らない方法を模索していかなければならないのだと思います。

27日に噴火して死者も出ているグアテマラのパカヤ火山の写真。活火山でマグマがドロドロと流れていたので、いつ噴火してもおかしくなかったとはいえ、3月に登ったのでとても驚いた。火山近くの看板にも、もし噴火しても責任は負えないという内容の看板があった。

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煽られる恐怖と不信感、強化される権力の監視。
思わず日本の話? と思ってしまいそうな構図です。
安全を守るのはシステムなのか? 人と人との関係性なのか?
今週の「雨宮処凛がゆく!」もあわせてお読みください。

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KANATAさんプロフィール

Kanata 大学を休学して2010年2月から1年の予定でコスタリカに滞在。日本の大学では国際学部に所属し、戦後日本の国際関係を中心に勉強をしている。大学の有志と憲法9条を考えるフリーペーパー「Piece of peace」を作成し3000部配布した。
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