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Kanataの「コスタリカ通信」#006:グアテマラへのショート・トリップ(その2)

Kanata 大学を休学して2010年2月から1年の予定でコスタリカに滞在。日本の大学では国際学部に所属し、戦後日本の国際関係を中心に勉強をしている。大学の有志と憲法9条を考えるフリーペーパー「Piece of peace」を作成し3000部配布した。

コスタリカ地図

 グアテマラの古都アンティグアでのプロセシオン(聖行列)は、1週間近く毎日行われます。その日によって神輿の種類が違っていて、イエス・キリストが十字架を背負っているものや、十字架にかけられるまでがすべてストーリーになっているものもありました。基本的にイエス・キリストの神輿は男性、マリアの神輿は女性が担いでいて、子どもだけが行う行列というのもありました。行列には音楽隊が演奏しながら付いて回り、人々は紫色や黒の衣装を身にまといます。どのタイミングで衣装が変わったのかははっきりと分からなかったのですが、最初は紫色でセマナ・サンタの終盤には黒に変わります。女性の衣装も白から黒へと変わります。紫は悔い改め、黒はイエス・キリストの喪に服しているという意味あいがあるようです。神輿が通る前に、街の人々は道にalfombra(直訳すると絨毯)を花びらなどの植物で作ります。それぞれの通りによって雰囲気が違い、「JHS」の文字はjesús(イエス)を意味します。

 このalfombraの上を神輿と音楽隊が通って行き、その後ろを追いかけるように政府の清掃車が通り、あっという間に通りが元通りになるという仕組みでした。神輿とともにお香を焚きながら歩くので、通りにはお香のにおいが充満していました。神輿はゆらゆらと横に揺られながら運ばれていて、日本で「わっしょい」といいながら上下に揺らしているのと共通点を感じました。行列が通る際に、通りで行列を観ている際に、十字を切っている人の姿も見かけ、彼らにとってこのイベントが神聖なものであることがうかがえる瞬間でした。
 このプロセシオンは夜遅くまで行われ、12時を過ぎても音楽が通りに聞こえていました。行列の拠点になる教会や広場の前にはたくさんの出店が出ていて、これもまた日本のお祭りに近いものを感じました。

プロセシオンの後をついて回る、政府の清掃業者の人たち。alfombraを掃除するのとともに、プロセシオンを観に来た大勢の人々が出すごみも回収している。

 アンティグアにとってセマナ・サンタは1年の中で一番大事な期間であり、街が一番賑わう時期です。街は観光客であふれていて、プロセシオンが通る道は歩けないほど人が並んでいました。「次にこの道にプロセシオンが通るらしい」と聞きつけて、沿道に腰掛けて2時間以上待っていた時に話したグアテマラ人のおじさんは、毎年セマナ・サンタにはアンティグアを訪れていると言っていました。他の国や地域でもプロセシオンは行われるようですが、そのなかでもやはりアンティグアを訪れるのだそうです。

十字架を背負うイエス・キリストの神輿を担ぐ男性たち。

 ちなみに、グアテマラを訪れて一番驚いたのは、先住民の人口でした。行く前から、多いことは聞いていたのですが、首都にもアンティグアにもたくさんの先住民がいました。グアテマラの人口約1300万人のうち、40%近くを占めるようです。街ではたいてい先住民族の伝統手芸品の織物やそれをあしらったバッグなどが売られていました。先住民に対する差別はないのかという質問に対し、今も残ってはいるがとても小さいというふうにグアテマラ人は言っていました。でも、地震が起きた後修理されずに廃墟として観光地になっているアンティグアの教会では、昔は入口が複数あって、お金持ちの市民、お金のない市民、先住民というように分けられていたようです。アンティグアを離れて、アティトゥラン湖の湖岸にあるいくつかの先住民の村も訪れたのですが、訪れた村すべてで教会に集まっている姿があり、彼らにもキリスト教が浸透していることを感じました。

アティトゥラン湖畔の先住民の村。一番見晴らしの良い場所に教会がある。

 コスタリカにも先住民はいますが、人口の1〜2%と少数。一度も先住民に会ったことがないというコスタリカ人もたくさんいます。帰りに少しエルサルバドルも見て回ったのですが、エルサルバドルでも先住民の姿を見かけることはありませんでした。もともとの絶対数自体が違うのかもしれませんが、コスタリカが先住民に対してどういった政策を行ってきたのかということがますます気になってきました。コスタリカの教科書では「コスタリカの先住民は混血を通して、いなくなった」という記述がなされていたこともあり、先住民に対する扱いというものもコスタリカの問題点のひとつとして挙げられるのではないかと思います。

 日本にいるときには、日本の先住民に興味を持って勉強したことはありませんでした。しかし歴史的に、強制的に連れてこられたにもかかわらず、国の不当な制度や人々の差別や偏見により、国にきちんと存在を認められずに生きている在日コリアンのことには関心があり、わずかながら勉強していました。こちらで体験し学んだものを、帰国後に活かしていければいいなと考えています。

アティトゥラン湖畔の村にあったお店。色彩豊かに描かれた先住民たちの絵。

 行き帰りのバスでは、スペイン語がいまいち理解できない場面などでも多くの人が助けてくれてなんとか乗り切ることができました。帰りのバスでは、セマナ・サンタ最終日ということで国境が大変混みあい、バスの外で暑い日差しの下、何時間も待たされるという場面もありました。また、一緒に行った友人が台湾人だったためにお互いの意思疎通もすべてスペイン語で行っていたので、苦労する場面も多々ありました。それでも旅先で同じ言葉を使っていろんな人と話したり、スペイン語といってもそれぞれの国の違いを肌で感じることができて、得るものの多い旅でした。帰って来た翌日から授業が始まり、またあわただしく日常生活がはじまりました。

一番大きな中央公園にある噴水。女性の乳房から水が出ているというとても斬新なデザイン。スペイン統治時代にスペイン政府がインディヘナにつくらせたものだそう。

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自分にとっての異国から、さらに異国への旅。
そこからも、見えてくることはたくさんあるようです。
次回もお楽しみに。

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