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9月の連休を利用して、久しぶりに沖縄へ行った。
一番の目的は、9月21日に開催された「ピース・ミュージック・フェスタ」。「音楽やアートの力で沖縄の基地問題についてアクションを起こそう!」を呼び声に、2006年に始まった野外音楽フェスだ。ロックバンド「ソウルフラワーユニオン」の伊丹英子さん、「DUTY FREE SHOPP.」の知花竜海さんらが実行委員に名を連ねるなど、趣旨に賛同する県内外のミュージシャンが参加し、毎回相当に豪華な顔ぶれになる。
1回目、2回目の開催地は、普天間基地の移設問題に揺れる名護市の辺野古、3回目の昨年は東京・上野、そして今回は、普天間基地を抱える宜野湾市の海浜公園。キャッチフレーズは「わったー地球(しま)はわったーが守る」。雲一つない晴天、秋晴れというには少々強すぎる、眩しいくらいの日差しの下で、フェスタは始まった。
ステージには、音楽ジャンルも実にさまざまのミュージシャンたちが次々に登場する。地元・宜野湾出身のサルサバンド、KACHIMBA1551。オリオンビールのCM曲でも人気の若手ロックバンド、Shaolong To The Sky。「STOP六ヶ所」プロジェクトなどにも参加している沖縄出身のラッパー、カクマクシャカ。先住民族アイヌの弦楽器奏者であるOKI率いるDUB AINU BAND…。石垣出身の唄者・新良幸人はアイルランドの国民的ミュージシャン、ドーナル・ラニーと、加藤登紀子は沖縄発インストルメンタルバンドの太陽風オーケストラ、そして若手沖縄民謡歌手の上間綾乃と競演する。そんな、ジャンルもバックグラウンドも飛び越えた贅沢な光景も、フェスならではの楽しみだ。
真っ赤なドレス姿で登場した加藤登紀子さんは、ときにステージを下りて客席の間を歩きながら、名曲「100万本のバラ」や、かつてベトナム反戦や学生運動に世界が揺れた時代をテーマにした歌「1968」を歌い上げる。「辺野古を、泡瀬の自然を絶対に守る。今日から、みんなで革命を起こしましょう!」——その言葉に、客席から拍手がわき起こった。
途中で一度降った雨のおかげか、暑くもなく寒くもなく、涼しい風が吹いてなんとも気持ちのいい日和。ビール片手にステージを眺めながら、幾度となく頭をよぎったのは、ちょうどその前日に行った、もう一つの「フェスティバル」のことだった。
「キャンプ・キンザー・フェスティバル」。那覇市の北東、浦添市にある米海軍施設「牧港補給地区」、通称キャンプ・キンザーで開催された「お祭り」だ。
沖縄だけでなく、在日米軍基地ではしばしば、「近隣住民との友好」などを掲げての「開放デイ」が設けられる。普段は立ち入り禁止の基地の一部区域に、その日だけは一般の人たちも入ることができ、場合によっては戦闘機などの兵器類を見学することができる、のである。
キャンプ・キンザーは「補給地区」の名前どおり、医療支援や物資補給などの「戦務支援」を任務とする基地なので、いかにも、な兵器類は見られない。それでも、迷彩色にペイントされた救急用らしきトラック、地雷処理の機能があるらしい(と、横で見ていた見知らぬ男性が教えてくれた)装甲車、何に使うのだかもよくわからない巨大な重機類がずらりと展示されていた。中でも、コックピットに座ることのできる輸送用(?)ヘリは大人にも子どもにも大人気。ずっと長蛇の列ができていた。
その奥には、一日中ダンスや音楽が繰り広げられる特設ステージ。周囲にはアメリカンなスナックやお菓子の屋台が所狭しと並ぶ。子ども向けの移動遊園地もあって、まさにちょっとした「お祭り」の様相だ。天候に恵まれたこともあって、連休の行楽としてやってきたらしき家族連れの姿も目立った。
ゲートや展示のそばに立つ米兵たちも、あくまでにこやかでフレンドリーだ。見学者には「ハロー」と笑顔で挨拶し、写真を撮ろうとしていれば、「撮ってあげようか」と申し出てくれさえする。巨大な車両の姿を背景に、米兵と一緒に写真に収まる見学者も多い。そんな光景だけを見れば、たしかにそれは「友好のお祭り」なのかもしれなかった。
それでも、どうしたってぬぐいきれない違和感がそこにはある。
だだっ広い基地を取り囲む、金網と有刺鉄線のフェンス。普段その中で何が行われているのか、付近の住民は知ることもできない。かつては、基地の周りの国道に銃口を向けての軍事訓練が行われ、問題になったこともあった。
にこやかに微笑みかけてくれる若い米兵に、「日本」や「沖縄」を見下す思いはない、かもしれない。日本人の家族を持つ米兵も、きっといるだろう。それでも、仮に彼が基地外で事故や事件を起こしたとしたら、その身柄は日本側には渡されず、法で罰せられることもなく、事態はうやむやのままになる、可能性が高い。これまで沖縄で起こってきた、いくつもの事件や事故がそうだったように。
そんないびつな関係のもとに成り立つ「友好」って、何なんだろうか?
一方の、宜野湾ピースフェスタ。陽がすっかり落ちて涼しくなるころ、客席の盛り上がりは最高潮になった。
一気にテンションを上げたのは、「フジロック」の出演などでも知られる、ロサンゼルス発のラテンミクスチャー・バンド、オゾマトリ。続いて、辺野古や東村高江での基地建設反対運動を支援し続けているミュージシャン、UA。そしてトリはソウルフラワーユニオン。人気ナンバー「うたは自由をめざす!」のメロディに乗せた、「沖縄から/宜野湾から うたは自由をめざす」のコーラスが響き渡る。ラストは、それまでに登場したミュージシャンたちがそろってステージに集合し、舞台上に収まりきらないほどの大人数での、島唄「豊年音頭」。パーカッションと鳴り物、ギターと三線、ラップとお囃子、そしてカチャーシー、カチャーシー。
ステージから溢れる熱気にうかされながら、楽しくて、なんだか心の底から笑えてきて、「お祭り」はやっぱりこうじゃなくっちゃ、と思う。前の日から心によどんでいた「違和感」は、とっくにどこかに消えていた。
「普天間基地の県外移設」を掲げていた民主党が政権に就いて1カ月半。鳩山首相が県内移設を容認する可能性を示したとも報道されるなど、普天間と辺野古をめぐる状況は揺れ動き続けている。「あくまで県外移設が基本」との方針は否定されてはいないものの、米政府は「(移設に関する)再交渉の余地はない」としており、事態がスムーズに進展するはずもないことは確実だ。
それでも、やっぱり「このままでいい」はずはないのだと思う。しばしば指摘される「基地なしに沖縄の経済は成り立たない」ことも、今の時点では事実かもしれないけれど、だからといって「それでいい」わけはない。キンザーのフェンスの中で胸を覆ったあの「違和感」を、次の世代にまで持ち越したくはない、と思う。
以前、岡留安則さんのコラムに「(政権交代を経て)基地のない平和の島、そんな時代へのスタートラインにようやく立つことができた」との一文があった。そのとおり、何年かして振り返ったときに、「ああ、やっぱりあのときが“スタートライン”だったんだ」と思いたい。改めて今、そう強く感じている。
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ピースフェスタには、以前にもここで書いた、「もうひとつの辺野古」ともいうべき国頭郡東村高江で、米軍ヘリパッド基地建設反対運動にかかわっている人たちも姿を見せていて、高江の置かれた状況を伝えるためのブースを出していた。
ブログ「やんばる東村 高江の現状」によれば、座り込みを続ける彼らをヘリパッド建設工事に対する「妨害行為」で訴えている沖縄防衛局の真部局長が新聞でのインタビューに答え、「これで高江の住民を排除できたら辺野古も訴える」と発言したとのこと。そんなことが「前例」になったら、日本全国の「反対運動」やデモなどが全部、排除されてしまうことにもなりかねない。やっぱりこれは、高江や辺野古だけ、沖縄だけの問題ではなくて、私たち1人ひとりと確実につながっている話なのだと思う。
THANKS!
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