高橋さんは、安倍首相を小泉前首相と比べた場合、「真打登場!本格派」と評します。そして、現在の教育基本法改定の動きは、日本を戦争の出来る国にするための3点セットのひとつであるといいます。@戦争をするための軍隊をつくり(憲法9条の改定)、A軍隊を支えるための国民意識をつくるために新・教育基本法で愛国心をそだて、B戦争で死んだ国民を英霊として靖国神社に祀る。この70年近く前の大日本帝国憲法下での日本政府のやり方を、今またそのまま復活させようとしているのだと指摘します。
防衛庁が防衛省になり、自衛隊の海外での活動を正式任務に格上げし、9条を改定し新しい日本軍が立ち上がろうとしている。そして、教育基本法改定による愛国心教育がはじまり、先ごろの有力政治家の「靖国国営化」論も噴出! この3つはセットになっているのです。
(このへんのお話は、マガジン9条のインタビューでも語っているのでそちらを参照してください。)
高橋さんはこの基本法の改定案の恐ろしさを私たちがどこまで認識しているのか、と警鐘を鳴らします。もし成立したら、教育関係の法律が全部影響をうけ、学習指導要領も当然変わってしまいます(すでに伊吹文科大臣がそう発言)。現行法が「主権者を育てるための」「子どもたちのための」教育であるとしているものが、国家のための教育にもどってしまうのです。
私がこの講義の中でもっとも興味をひいたのは、高橋さんが配布してくれた資料でした。
今回の改定案では、愛国心教育について「伝統と文化を尊重し、それらをはぐぐんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養う」という文言になっています。郷土を愛するのは当然のこと、偏狭なナショナリズムに導くものではないという改定論者の意見もありますが、国旗国歌法の制定のときに「日の丸、君が代を強制するものではない」といいながら、現に強制されるようになっているではないですか! 小泉政権は内心の評価はできないとしていたのに、安倍政権はおそらく愛国心の態度の評価(たとえば君が代を歌う声の大きさを測定するとか)をしようとするのではないか? という疑念がぬぐえません。
加えて、この法案には、「国際社会の平和と発展」というインターナショナルな視点がもりこまれている(から大丈夫だ)という説得理由もあります。ここで高橋さんは1938年に出版された「修身科講座」(草場弘 大明堂書店)について言及。これは、戦前に修身の授業を教える先生のための解説書で、そこには、「我々はこの精神(筆者注:国際協力の精神)に立脚して日本国民として、先天的に仁愛の精神を強く有する国民として、全体的にも個人的にも常に諸外国と提携協力することに努めねばならぬ。それには第一に、自他国家国民の互いの権限を尊重愛護し、第二に自他国民の文化理解尊敬に努めて互いの意志の疎通を計り、第三に民族的人種的偏見に陥らず、第四に経済的の共存共栄を計らねばならぬ」と書いてあるのです。・・あれ?こんなに立派な国際協力をうたっていながら、あんな戦争に突っ込んじゃったの? 建前として、戦前もこんな修身教育が行われていたのです。
また、改定案の文言の「国」は、統治機構(政府)を意味するものではない(から大丈夫だ)という反論もあります。でも、高橋さんは「だまされてはならない」と警告します。
法律で「国」という言葉は、=統治機構(政府)であるに決まっているし、そうでなければならないはず。この法案においても、他の箇所では「国」=統治機構(政府)として使われているのに、この部分だけ「伝統と文化」や「郷土」を意味するのだというのはおかしい、というわけです。ここで二つめの資料、1939年の雑誌「主婦の友」6月号が登場します。
靖国神社の絵とともに、巻頭言「最も大きい愛」という文章には、「(略)命を惜しまずつくすことは、祖国の急に赴く場合ばかりではない。愛する家庭のためにも、愛する肉親のためにも、愛する働きのためにも、愛する友のためにも、命を捨ててつくさねばならぬ場合は必ずあるべきはず」・・ほらほら、こんなふうに戦前だって祖国=家族、友、などに置き換えられて教えられていたのです。それなのに、みんな、政府のために国家のために死んでしまったのではないですか? 家庭のために死んだのでしょうか?
そして、やがて伝統、文化、歴史などは統治機構を超えたものとされ、それは天皇への敬愛の念を教育で植え付けられるようになっていくのかもしれません、と高橋さんはいいます。ええ? また天皇のために死ぬようになるんですか? それはいやだな……。
二つの資料は本当に驚きでした。昔の文言と、今回の改定案は変わらないじゃない!と思ったわけです。
最後に、高橋さんは、日韓共同のドキュメンタリー映画『あんにょん・サヨナラ』の中から戦時中の靖国神社の様子を映した映像を見せてくれました。これもまた、衝撃でした。身の毛がよだちました。それはニュールンベルグで見たナチスの行軍風景となんら変わりのないものでした。今までの靖国神社に対する私の考えが変わりました。機会があったら、ぜひ見てほしいと思います。