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『映画・日本国憲法』を制作した映画制作会社シグロが、新作ドキュメンタリーを完成させました。佐藤真監督による『エドワード・サイード OUT OF PLACE』がそれです。映画上映後に、エドワード・サイード夫人のマリアムさんと、作家・大江健三郎さんの講演がありました。イベントは5時間にも及ぶものでしたが、立ち見が出てしまうほどの活況ぶり。最後まで熱気に包まれました。 |
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○映画『エドワード・サイード OUT OF PLACE』
まず、エドワード・サイードをご存知ない方のために、彼の経歴は、こちらに詳しくあります。
●http://www.cine.co.jp/said/said.html
ひと言で言えば、サイードとは、いかなる権力にも怯まず、被抑圧者のためなら知力と時間を惜しまない不屈の精神をもったアウトサイダー。利害に遁走する世界の中で、あくまで普遍性を希求した反骨の亡命者。彼自身が云うところの故郷喪失(エグザイル)の「知識人」として、その生涯を全うしたのです。享年67。波瀾万丈の人生を送ったエドワード・サイードとは、まさに20世紀の申し子と形容するに相応しい人物だったといっていいでしょう。
このような大人物のドキュメンタリーゆえに、さぞかし映画のほうもドラマチックなものになるだろうと想像しました。けれど、映画は撮影開始以前から、大変不幸な出来事にみまわれてしまいます。サイードが、インタヴュー収録前に他界してしまったのです。彼亡き後、映画をどのように撮るのか。スタッフの間でも中止するのか、続行するのか、かなりの議論と迷いがあったようです。が、映画は完成しました。それは、サイードの「記憶と痕跡」を辿って、各地を彷徨するロード・ムービーとして生まれました。
カメラは、1948年以来、今もまだ紛争の絶えない土地へと向けられます。サイードの自伝『遠い場所の記憶』(みすず書房 原題「OUT OF PLACE」)を中東へのガイド・ブックとして、シリア、レバノン、ヨルダン、エジプト、イスラエル、パレスチナといった各国を巡っていくのです。サイード所縁の地を転々としながら、映画はそこで出会ったさまざまな暮らしを営む人々を描き出します。国家や軍が強大な権力をもち、生きるために必要な権利を奪われた不自由な身であっても尚、いや、そうであるからこそ、むしろ賢明に生きる人々の素顔を写していくのです。
例えばカメラは、レバノン軍に完全に包囲され、基本的人権のすべてが奪われたアイネルヘルウェ難民キャンプでのパレスチナ人をとらえます。しかしスクリーンに写されたのは、意外にも彼らの「平穏な助け合い精神に満ちた豊かな人間関係」でした。佐藤監督は、この映画の完成に併せて刊行された書籍『エドワード・サイード OUT OF PLACE』(みすず書房刊)で、次のように記しています。
「ロケハンの旅で痛感したのは、アラブ世界のカオスのようなめくるめく多様性の豊穣さだった。難民生活を続けること50年を超えるのに、まだどこかテント生活をしているのではとのイメージに囚われていた私の迂闊さを恥じ入るばかりだが、どこのパレスチナ難民キャンプを訪れても不思議と心安らぐ、人と人の絆の強さの素晴らしさに心奪われることのほうが多かった。(中略)今回の映画がめざすサイードへの旅は、さまざまなエグザイルのあり方に触れるときに、両義的で非典型的な人生のほうを見据えていくべきだろう。それはまたパレスチナ難民の側だけではなく、この地に“暴力の楔”として打ち込まれたイスラエルという軍事国家の、その構成員であるユダヤ人のさまざまなエグザイル体験も見つめていく必要があるのだ。(『エドワード・サイード OUT OFPLACE』p13 みすず書房刊)」
だからといって、パレスチナ難民の虐げられた境遇や、軍事国家としてのイスラエルの、またそれを支援するアメリカ政府の公平とは言えない対応が正当化されていいはずはありませんが、権力によってさまざまな繋がりを断たれたという意味では、パレスチナ人もユダヤ人も同様の苦難を受けているのです。映画は、危うい境界線上を、まるで針の穴へ糸でも通すかのように暮らす人々にスポットをあてるのです。しかし、そこに写し出された人々は、けっして絶望してはいなかった。ディアスポラ(民族の離散)体験をもち、現在もまだエグザイルの渦中に身を置かざるを得ない人々だからこそ、苦難に屈せず、むしろあくまでも楽観的に生きようとしていた。映画は、アラブ世界の「めくるめく多様性の豊穣さ」を撮ることに成功しています。
このようなアラブ世界の多様性は、しかし同時に、それだけさまざまな立場の人が抑圧されているということを意味してもいます。決して公正であるとは言いがたいメディア・マスコミ報道のなかにあっては、彼らの発言は「声なき声」になりがちです。この「声なき声」を表象=代弁 (representation)し、世界とりわけ西洋に向けて発言しつづけたパレスチナ人の代表的な論客、それこそがエドワード・サイードだったのです。
映画『エドワード・サイード OUT OFPLACE』は、この「声なき声」を表象=代弁(representation)するという生前のサイードの姿勢に真摯に向き合い、それに応えようとした映画であった。だから、これは<サイードの映画>ではなく、むしろ<サイードとしての映画>だというのが似つかわしい。つまりそれは、パレスチナ人やユダヤ人に関わらず、人々が人生の中で経験するエグザイル(故郷喪失)とはいったいどういうことかを、実際に暴力によってエグザイルされた人々を上映することで、普遍的に問う映画でもあったといってよいでしょう。
映画では、サイードをよく知る友人・知人が多数出演し、彼に関する貴重な思い出などを語ります。ノーム・チョムスキーも出てきます。書籍『エドワード・サイード OUT OFPLACE』には、映画では大幅にカットされた友人たちの発言が詳しく収録されています。この書籍は、エドワード・サイードの入門書としての役割も担っています。
○大江健三郎さん講演『《後期のスタイル》という思想─エドワード・サイードを全体的に読む』
サイード夫人マリアムさんの貴重な講演の後、生前のサイードと親交のあった大江健三郎さんの講演がありました。彼がこの日のために、半年ほど前から何度も推敲を重ねた原稿は、一時間半に及ぶ講演時間でも伝えきれないほどの量だったようです。そのため一部が省略されてしまいましたが、近く文章で読める日が来ることを期待したい、印象的な内容でした。サイードとの交友エピソードについてユーモラスに語りながら、しかし最後まで高いテンションに貫かれた本講演は、彼の固い意志をあらためて感じさせるほどの迫力でした。
その意志とは何に対するものでしょうか。いうまでもなく、眼の前にある危機に対するものにほかなりません。大江さんにとって、それはまず文学の、世界情勢の、わが国の政治的状況の、そして老年という生の、危機のことでした。ですから講演内容は、これらのことが交叉した重層的で多面的な魅力をもったものであると同時に、たいへん複雑で錯綜したものでもありました。
このレポートでは、この複雑多岐にわたる講演の中でも、とりわけ「教育基本法」について言及した箇所に関して、簡単に報告します。特に、この日は4月29日みどりの日。折しもその前日、「教育基本法」が閣議決定され、国会に上程されてしまいました。大江さんは、このことを危惧し、強い調子で政府を批判しました。
自民党と公明党が合意したという「教育基本法」の中の文面、特に「伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛する」といった表現は、国家による文化の統制を意味するものであると。なぜ、彼はこの日、サイードについて語る講演で、このことにわざわざ言及したのでしょうか。それはこの日みどりの日が、もともとは昭和天皇の誕生日であったからです。つまり彼は、政府が「教育基本法」を28日に閣議決定したのは、あきらかに天長節であった4月 29日を意識してのことだというのです。
天長節とはまた、聞き慣れない言葉です。みどりの日は、戦前は天長節とよばれていました。大江さんが、これらの関係を危険に感じとるのは、それが自ら生きる場である「文化」と密接に絡んでいるからです。というのも、「春の叙勲」がこの日にあるのです。
文化の序列化──国家による文化の囲い込み──が、本来不可能なことであることは論をまちません。というのも、文化は、本来さまざまな形態をとるものであり、国家の境界線を軽々超えていくものだからです。翻って云えば、このことは、外からやってくるさまざまな文化を国家が排除することはできないということを意味してもいます。にもかかわらず、擬政者は、ときに文化の力を幽閉し、あるいは排除し、悪用しようとすらしてきました。
特にわが国では、天皇自身がというのではなく(現行憲法下の天皇制ではそのようなことはありません)、むしろ権力を欲する者が、天皇の権威に肖って、そこに群がるという構図が描けます。もし芸術家や知識人、あるいは科学者が、このような政治家の文化への軽佻浮薄な政治利用におもねるのであれば、文化の衰弱は避けられない。歴史を顧みればわかるように、政府や軍が強大な権力を握ったことで、どれだけ多くの文化人が亡命や沈黙を余儀なくされ、また自ら命を断ったことか。それこそが、国の魅力を失わせる元凶になったにもかかわらず。
こうした「文化」にまつわる政治的な制度が、大江さんの、また、なによりサイードが希求してやまなかった文化の多様性と普遍性に反するものであることはいうまでもありません。むろん、それは、憲法改悪に向けた動きとパラレルな動きです。ですから、しっかり見ていかなければならないのです。
今回の講演は、近視眼的な物事だけをあげつらうものではありませんでした。大江健三郎の文学の射程は、世界的な視野にたっています。だが、それは人類史という観点から観れば、所詮は些末な物事でも、そうした些末な物事が積み重なって、取り返しのつかない悲劇に帰結してしまう。映画『エドワード・サイード OUT OF PLACE』と本講演は、これらのことを再考する絶好の機会を与えてくれました。 |
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