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9月10日、三重県総合文化センター大ホールにて、「9条の会澤地久枝講演会〜未来への役割」が開催された。この日は総選挙投票日前日。こんな日に果たして人は来てくれるのだろうか? |
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朝9時から準備は進む。開演前20分、澤地久枝さんが舞台裏に到着。青の着物に黄色の帯という色使いの夏らしい装いに、満面の笑顔。70代までが参加する実行委だが、学生たちが今日の企画を担う。
「若い人たちがこんな風に参加してくれてるなんて!」
そのことがなにより嬉しいと、笑顔がさらに明るくなった。
澤地さんは、「境界線の無い」人という印象だ。すべてを受け入れるかのように「空間」が開かれている。頑なさは微塵もない。
午後1時、開演。ほぼ満席。おそらく1600人超。この数は、三重県内に17ある「九条の会」の地道な活動の成果だ。当日券でも200人。9条への関心は高い。「九条の会」発足記念講演会ビデオより、絵本『戦争のつくりかた』の映像が流れ、戦争に至る社会の姿が描き出される。その深刻さを受け止めてざわめきが静まる。
さあ、澤地さんの登場だ。敗戦を満州で迎え、うち捨てられた難民=棄民となった体験。「国とは、一夜にしてきれいにかき消えてしまう、実態のない無責任なもの」だという強烈な実感が、彼女の人生の原点となった。
その視線は、人の体と心に刻まれた痛みと苦しみに向かう。侵略、爆撃、原爆投下の中での悲劇、悲惨。それらの上に憲法は生まれた。9条も、自由も平等も、どれも手放してはならない。戦争体験者とその家族・友人、そして未来を担う若者たちが、戦争で起こったこと、右傾化する日本社会で今起こっていることを、できるだけ正確に事実を把握し伝え合うこと。それらを重ね合わせ、そこから知恵を生み出すこと。そういう知恵は、怖れずとも、易々と奪われはしないものだ。澤地さんは、一人ひとりがそれぞれ、憲法を守るということに関わっていくべきだと、おだやかな強さで語ってくれた。
「さあ、ご一緒に、歩いて参りましょう」
次は、三重県民の番だ。まずは若者のアピール。手作りの旗をかかげ、リレートーク。その中に、在日定住日系ブラジル人の若者がいた。祖父が日本人。憲法を学んで初めて、9条が戦争の犠牲の中から生まれたことを知った。戦争でまず苦しむのは少数者、ブラジル移民は大戦中に差別を受けた。パレスチナでもイラクでも憎しみと暴力の連鎖は続く。日本が9条を持ち、平和であり続けることは、少数者が差別や迫害を受けずに暮らして行けることを意味するのだ、と。胸がつまる。
各地の「九条の会」代表が舞台に並び、アピールを繋いでゆく。86歳になる女性。体調不良でふらつきながらも、響く声で「9条を守ろう!」。50代の男性は、「9条の会は早めに解散すべき」という逆説を用いて「9条保持が国民の総意であるという状況にしたい」と訴える。
若い者も、年を重ねた者も、今、同じ場所に立つ。それだけで十分ではないか。
夜。私は澤地さんのあの「開かれた感覚」が気になっていた。鉄の意志で言葉を刻み込んできた彼女になぜか漂う「境界線の無い」感覚・・・そうか、「軸」だ! 9条や平和主義を、正しさを示す武器や鎧にするのではなく「軸」にする。改憲派のように勇ましく振る舞ってはいけない。「軸」を背骨に、ぶれず、自由な体と心で「人」を受け入れること、澤地さんの姿がそう語る。
この日のことを私の軸に埋め込みながら、午前2時、長い一日がようやく終わった。
WebSite http://happytown.orahoo.com/mieken_9jo_net/
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日本の憲法は、9条は、
大変な犠牲の上にできているという事実を語ってくださる澤地さん。
その理念の崇高さを伝えてくれる、日系ブラジル人の若者。
それらを多くの人に伝えるために、
「武器」ではなく「軸」にしようと思いを新たにするヨーコさん。
現場の静かで熱い思いが伝わるレポートを、ありがとうございました!
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