今、沖縄の人たちは複雑な事情を乗り越えて「新しい米軍基地はいらない」と一つになり、選挙や集会など民主的な方法で意思表示を続けています。そうした民意をまるで無視し、工事のための海底調査などを力尽くで進めていくこの国。「辺野古・高江」は、ぎりぎりの抵抗が続く最前線の場所になっています。その現場に赴き、カレーや鍋を囲みながら「ゆんたく」(沖縄の言葉で「おしゃべり」の意)をする、沖縄の学生有志団体「ゆんたくるー」。彼らはそこで何を見て、何を考えているのか。沖縄の現状や本土に向けての思いなど、さまざまなことを沖縄より伝えてもらいます。「ゆんたくるー」の学生たちが交代で、ほぼ毎週連載でお届けします。
はいたい! ぐすーよー、ちゅーうがなびら。わんねー安里美保んでぃいちょーいびーん、ゆたさるぐとぅうにげーさびら。
私はうちなーんちゅの父と関西人の母の間に生まれ、高校まで大阪で育ちました。大学入学を機に父の故郷である沖縄での生活が始まりましたが、今年3月に大学院を卒業し、現在は地元・大阪で働いています。
今回は、沖縄にいたときに参加したゆんたくるーのイベントや、私の率直な思いを伝えたく、このお便りを書かせていただきます。
○複雑な心境
ゆんたくるーのイベントに参加する以前にも、ゲート前には何度か訪れたことがありました。テントに集まる先輩方は心優しい方々ばかりで、子どもたちのため、沖縄のためにと、身を粉にして現場で非暴力の戦いを続けていました。しかし、その場に足を運ぶこと、先輩方の話に耳を傾けること、賛同することはできても、私は自分自身の基地への疑問や思いを口にすることはなかなかできずにいました。
戦後、至るところに作られてしまった米軍基地と共存していくこととなった小さな島沖縄では、現在も基地で働いている人や米兵にパートナーを見つけた人が、実際に私の周りにもいます。私も数ヶ月間、生活費を稼ぐためや英語を使用する目的のために基地の中でアルバイトをしたことがあります。身近な人の生活を否定し傷つけてしまうことに繋がるのではないかと、基地は反対だと大きく声を上げることは難しく、簡単には口にしてはいけないのかもしれないと思っていました。そして、沖縄にルーツを持ちながらも日本本土で生まれ育った私は、基地問題を知れば知るほど、さらにどう口にしていいのか分からなくなっていました。
怒りはない、だけど、悔しくて悲しい。このままじゃいけない。沖縄の文化や人柄に惹かれ、先祖との繋がりに沖縄へ想いを馳せていた私は、自分自身の中で複雑な思いがぐるぐると巡っていました。
○基地への疑問を共有する
そんな中、大学の友人からゆんたくるーの「辺野古カレー」に誘われ、同世代の声をもっと聞きたい、今の気持ちをシェアしたいと思い参加しました。キャンプ・シュワブゲート前付近、テントを張って24時間体制で座り込みをしている方々から少し離れた原っぱにレジャーシートを敷いて、そこは同世代の人たちだけが集まる空間でした。
メンバーが作ってきてくれたカレーを囲み、手作りの美味しさ、優しさに幸せを感じながら、ゲート前と言ってもテレビやネットで目にするのとは違い、とてもリラックスして話しやすい環境でした。
そこでは、沖縄県内外、様々な場所からやってきた同世代の人たちと、それぞれの経験や立場から話を聞け、共感できたり、新しく知ったりすることが多く、また、自分の思いをそこにいる人たちに聞いてもらえました。県外からやってきた人が「実際にゲート前に来てみて、沖縄の人と一緒に抵抗することに違和感を覚えた。沖縄側からではなく、自分が住む土地からこの問題を考えることが大切だと思った」と言っていたのが印象に残っています。
不安に思っていることや問題に感じていることを口にできる場、シェアできる場がそこにはありました。
○沖縄と日本
沖縄は昔、日本とは違うひとつの国だったという重大な事実がありますが、私がそのことを知ったのは沖縄に住んでからでした。その前までは沖縄は日本の一都道府県としか認識しておらず、今に至るまでにどのような歴史があったのかなどは全く知りませんでした。沖縄で大学に入って始めて、琉球王国に薩摩が侵略し武力併合によって日本の一部となり、その後、第二次世界大戦で日本の捨て石作戦として地上戦が行われたことを知りました。望まない形で行われた沖縄戦の後に、望まない形で置かれた米軍基地。本来存在しないはずの基地、ましてや“他所様”の基地をめぐって、沖縄の人同士が争うこと、複雑な思いを抱えながら生きていかなければならないこと、被害を受けることに私は納得がいきません。
○生かされた命
沖縄戦体験者である祖母から、当時の話を何度か聞いたことがあります。那覇から遠く離れた北部の山までひたすら歩き、数日間ずっと恐怖や飢えなどと戦いながら逃げ隠れていたそうです。祖母の体験を聞くと、私たちが、生かされた大切な命だと思い知らされます。戦争がいかに残酷なものか、二度としてはいけない大きな過ちであるかがよく理解できます。だから私は、戦争という大人の愚かな争いがなくなるよう、これからも自分なりに考え、行動していきたいです。戦争に繋がる基地の存在に、疑問を持ち続けていきたいです。
○基地問題を共有する
最後に一番強調して言いたいことは、基地問題は沖縄だけの問題じゃないということです。沖縄の声を聞かずに新基地建設を強行的に進める安倍政権に対して、翁長県知事らがそれを阻止するためアメリカを訪問しました。話を聞かずに権力で押し進める安倍政権のやり方に「日本人」として恥ずかしさを感じます。それと同時に、それだけ強行的に進めるやり方に、日本が戦争へと向かう不安を感じずにはいられません。
日本本土に住む私たちが沖縄をめぐる基地問題について知り、考えて、日本全体の問題であると捉えることが必要だと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ゆんたくるーでは、
6月20日に那覇市内でのデモを行いますこの6月23日で、沖縄戦”終結”から70年が経つ。
戦後70年、沖縄戦、6月23日。
想いを持った人たちが集まって、それぞれの旗を作る。
それを持って、音楽を聞きながら、スピーチを聞きながら、那覇の街を歩いてみる。【日時】6月20日(土)13:45〜17:30
【集合場所】県民広場(沖縄県那覇市泉崎1-2-2)
【主催】ゆんたくるー
【スケジュール】
13:45 OPEN
14:00〜15:00 ワークショップ
15:15〜15:30 インフォメーション
15:30〜17:00 フラッグマーチ
(県民広場〜国際通り〜モノレール通り〜牧志駅〜国際通り〜県民広場)
17:10〜17:30 Closing Ceremony
ゆんたくるーでは活動のためのドネーションを募っています。ご支援よろしくお願いします。
銀行名:ゆうちょ銀行
●ゆうちょから
記号:17070 番号:1196681
●他銀行から
店名:七〇八 預金種目:普通 口座番号:0119668
名義:ゆんたくるー(ユンタクルー)
「自分の住む土地から基地問題を考える」こと、「基地問題は沖縄だけのことではない」こと、こうした認識が県外で広がっていることを感じます。恐怖や飢えと戦った日々から70年。生々しい記憶は、いつまでも消えることはありません。6月23日は太平洋戦争末期の沖縄戦が終結したとされる「慰霊の日」。この日に開かれる沖縄全戦没者追悼式に、今年も安倍首相は出席予定です。どんな言葉を語るのでしょうか。「国」ではなく、そこで生きてきた一人ひとりの国民のことを考えてどうか語ってほしいものです。